理想の姿へ

たまごかけマシンガン

理想の姿へ

 世界は未曾有のパンデミックで、社会は不景気の荒波に揉まれていた。俺もその波に流された一人で、今しがた職を失い、行き先も無いままプカプカと浮かぶよう、夜の街を歩いている所だ。


 ふと、服屋のショーケースに映る自分と目が合った。マスクを着けても隠しきれない醜い顔に、大きな溜め息が出る。こう自分が糞な人生を送っているのは、何もかもこの容姿のせいなのではとさえ思ってしまった。


 世界は残酷だ。産まれてくる時から何もかも決まっているのに、「産まれてこない」という選択肢は選べない。自分たちは運命というレールに繋がれたまま、抜け出すことも出来ずに苦しみ続けるのだ。


——ただ、これも運命というのなら、少しはそのレールにも感謝しなければならない。


 薄暗い路地裏に、黒い衣を被った男がいた。一瞬、ホームレスの類かと思ったが、直感がもっと別の何かだと告げる。自分の膝ほどしかない背丈で、のっそのっそと近付いてきた。


「お兄さん…………」


 しゃがれた声を漏らしながら、皺くちゃの手をこちらに向ける。正直、この時の俺は、自分よりも醜い存在を見つけたと優越感に浸っていた。


「どうしました?」


 少し気分が良くなった俺は、男の声に応えることにした。だが、男がニヤリと口を吊り上げると、ボロボロの歯が見えて、再び気分が悪くなる。


「お兄さん、疲れてるみたいだねぇ……。人生に疲れきって、今にも死んじまいそうな顔をしてるよ……」

「ははは。分かりますかね?」


 俺は笑顔で返しつつも、内心、「お前に俺の何が分かるんだ」と腹が立っていた。適当にあしらって帰ろうと、どんな言い訳を使おうか思案していたが、いい嘘も思い浮かばず、男が次の言葉を紡ぐ。


「そんなお兄さんが幸せになれる、秘密の道具を与えてあげましょう……」


 男はそう言って、銀色に光る小さな針を取り出した。俺はこの時点で、この男は何か危険な者だと気付き、走って逃げ出そうとも思ったが、同時に、その未知の危険に興奮も覚えていた。さっきまで下らないと思っていた人生に、少し刺激が与えられたのだ。俺は面白半分に男の話に乗ることにした。


「この針を舌に刺していると、理想の姿になれるんだ……」

「理想の姿……?」

「ええ、金は一銭も要りません……。これを貴方に差し上げましょう……」


 俺は呆然としたまま、男から針を受け取る。『理想の姿』というワードに、俺は強く心を惹かれていた。


 俺は暫く、この針を眺めながら歩いていた。舌に刺すと言っていたが、舌ピアスよりかは幾分か小さい。そういう物に疎い俺でも、自由に取り外しが出来そうだ。


 偶々、見つけた小さな公園に腰掛ける。この場に居るのは、俺と電灯に集まる虫ケラだけだった。普通なら、こんな得体の知れない物なんて、考えるまでも無く捨てるだろう。だが、今の俺は普通じゃ無かった。


 舌を出して、そこにプスリと針を刺す。


「うっ……!」


 全身に鈍い痛みが走る。その瞬間、この針には毒か何かが盛られていたんだと確信した。でも、その割には死に至る気配も無い。痛みも直ぐに消えうせ、ただ妙な違和感だけが残った。俺はマスクをはめると、おもむろに立ち上がる。そこで違和感の正体は、ズボンが窮屈になっている事だと気がついた。


 公衆便所に駆け込んで、鏡を見る。そこには見覚えのない、高身長の美男が映っていた。俺はこれが夢かと思い、手をあたふたと動かして、自分自身の身体を触る。それに合わせて、鏡の美男も同じように間抜けな踊りを踊っていた。


 そこで、俺はこれが現実だと気付き、思わず、夜の公園で一人、高らかに笑っていた。


 それからは夢のような生活が待っていた。すぐに新たな職を見つけ、特に大きな成果も上げていないのに昇進できた。信頼できる友人も増え、話しかける女たちは皆、声色を高くした。そんな生活をしていく中で、以前のドブネズミのような自分も忘れ、洒落た腕時計をつけながら、これ見よがしにカフェテリアで小難しい思想書を読み耽っていた。


 結局、人生は顔なのだ。どんな綺麗事を並べ立てようと、遺伝子に刻まれた本能には逆らえないのだ。俺は心の底から確信した。


 そんな日々を送っていた、ある時だった。


 珍しく残業をしていた帰り、駅の前で突然、誰かに抱きつかれる。驚いて振り返ると、それは中学生ほどの少女だった。抱きしめる手から、彼女がブルブル震えているのが分かった。


 少女は黒いワンピースと布マスクを身に纏っていて、テレビに出てても遜色ないほど可愛かった。そんな少女が俺の腕にギュッとしがみついたまま、何も言わずに黙っている。いや、正確には何か言葉を発そうとしているようだが、それは声にすらなっていなかった。


「あの……どうしたのかな?」

「あっ…………あっ……」


 少女はやっと、小鳥の鳴くような声を漏らしたが、いかんせん文章にはなっていない。俺は彼女のそんな様子を見て、少し勘づいた。


「もしかして、家出してるの?」


 そう言うと、少女は大きく首を縦に振った。


 俺はこの時、思わず笑いが溢れそうになった。人間という生き物は、顔さえ良ければ、初対面の相手でさえ、完全に信じきってしまうのだ。それは今の俺にとっては、物凄く都合の良い機能だった。


「じゃあ、俺の家に泊めてあげるよ!」


 少女は救われたような笑顔を浮かべる。俺はそれを見て、再び笑いそうになった。彼女がこれから何をされるかも知らず、俺を信じ切っている様は滑稽で堪らなかった。あるいは知っていて尚、捨てられたいだけの屑なのか。それはそれで憐れで笑えてくる。


 俺が扉を開けると、少女は何一つ疑う事もせず、家の中に飛び込む。明かりをつけて、自身の部屋まで誘導すると、少女は自身の居場所が定まらず、突っ立ったままキョロキョロと辺りを見渡していた。


 そこを後ろから、襲いかかるように押し倒す。


 少女はソファの上に倒れ込み、俺は彼女の衣服を脱がす。彼女の性格を考えると、何をされようと誰にも助けを求められないだろう。そう考えた俺は、獣のように彼女の服を引きちぎった。少女は必死に抵抗するが、彼女の華奢な身体で勝てる訳もなく、すぐにその白い柔肌を露わにした。


 興奮で脳が灼き切れそうだ。もはや、自分でも制御が効かない。


 彼女のマスクを奪い取って、口の中に舌を入れる。


——すると、舌に刺すような痛みが走る。


 頭から水を被ったように冷静になり、顔を上げる。妖艶に糸を引く彼女の舌には、銀色に光る針があった。俺は恐る恐る針を抜く。


 少女はボロボロの歯の老人へと変貌した。

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