前日譚:豪腕・開花
トリッシュは痛む左腕を庇いながら、洞窟に飛び込んだ。ドカッと腰を降ろす。背中に触れる冷たい岩肌が、熱した身体に心地よかった。ウルフの群れから必死に逃げてきたのだ。心臓が激しく鼓動しているのが分かる。
(あー痛ったー……)
息を整える間もなく、懐から取り出したポーションを、蓋を口で引き抜き、一息で飲み干した。癒しのエーテルが身体の内側から満たされる。噛みつかれた左腕に、力が戻って来た。
「あいつら……次会ったらゆるさないからね」
パーティーを組んでここまでやって来た。薬草集めをする簡単な依頼のはずだったのだが。ビビリ屋のファイター、回復のできないプリースト、好きな魔法しか使わないソーサラー。声を掛けて来たパーティーについてきたら、たかがウルフの群れに囲まれただけで崩壊してしまった。声を掛けてきた時は、身なりも良く、まともなパーティーだと思ったのに……。親の七光りで装備を整えたトンデモパーティーだった訳だ。彼らはトリッシュを囮にして一目散に逃げていった。
「悪い奴はどこにでもいるもんだなっとー」
トリッシュはぼやく。だが、こんな憂き目にあっても決して捻くれず、状況を見つめる芯があった。――考える頭がそもそも無いとも言う。
この女、後に『豪腕のトリッシュ』と二つ名の付くグラップラーである。細かいことは気にしない、天衣無縫、豪放磊落が売りとなる冒険者である。――そんな彼女も、新人の頃は失敗を重ねた。
トリッシュはポーションの効きを確かめ、軽く飛び跳ねた。ジャブ、キック、バク転して膝のバネを使って渾身のストレート。風を切る拳。ブンと言う音が洞窟内に反響する。身体の調子は取り戻した。
「よし、行くか」
外にはウルフの群れが待っている。洞窟に身を隠したことで、入り口でいまかといまかと待ち受けていた。洞窟から飛び出すと、その勢いで、先頭にいたウルフの頭を叩き潰す。
「待たせたね。かかってこい」
言葉を待つことなく、ウルフの群れがトリッシュに飛び掛かっていた。トリッシュは鮮血にまみれながら拳を振るった。
***
ウルフの血で染まった森の奥、返り血を浴びたトリッシュ。近くの川で水浴びをしていた。救命草を煎じて身体の傷にあてている。
「イタタタタ……と思えるのも、生きているからだってね」
人目が無いからか、豪快に全裸だ。……いや、人目があっても変わらず全裸だったかもしれない。これぞトリッシュ。それぞトリッシュ。細かい描写は伏せておこう。
クロースアーマーを干し、下着を干し、最後にスカーフを干した。焚火を起こして一人キャンプを開く。荷物の点検をして、次の街まで旅費が持つかと眺めていた。
「いち、に、さん……細かいことは苦手なんだよなー」
トリッシュは愚痴りながら、革袋にガメル銀貨を放り込んだ。過不足だけ確認すればいいやと、記憶の中の枚数と比べてすぐにしまった。
生きていたからいいや。トリッシュはそう判断していた。
腰かけていた切り株の根本に、花の蕾が芽吹いていた。やけに土が乾いていて、蕾は必死に咲こうとしている。じっと見ていると、うっすらとマナの影響も見えた。
「……もしかして、あんたメリア?」
トリッシュが口にした『メリア』とは人族の一種で、植物が人族へと育つ特殊な種族だった。その産まれは未知数で、元となる植物も『メリア』の間では千差万別だ。小さな野花がメリアとして人の形を得る者もいれば、数千年かけて育つ大樹がメリアになることもあった。『メリア』の共通点は植物から人になったと言うことだけで、野花から産まれたメリアと大樹から産まれたメリアでは根本から大きく違う。その寿命、考え方、ひいては生き方において、天と地ほどの差が生じる。
しかし、他人から見れば、メリアはメリアでもある。そういう、不思議な存在だ。――だからこそ、
「大きく育つんだよー」
トリッシュは深く物事を考えない。どんな人であろうと、元気で明るく生きていればよいと言い放つだろう。自分のスカーフを水で濡らして、ゆっくりとその蕾に絞ってあげた。
「まっすぐ降り注ぐお日様と、水はけが良すぎるせいか……土がカラカラだね。最近雨降ってなかったもんなー」
トリッシュはさきほど空いたポーションの瓶を切り株に置いた。ポーションの瓶には水を汲んできてある。スカーフの端を瓶に浸して、もう片方をその蕾の根元へ垂らした。こうすることで、数日は瓶からスカーフを伝って水が流れ、土を潤すことだろう。
「これで良し。元気でね。縁が合ったら一緒に冒険しよー!」
そう言って、焚火を消したトリッシュは立ち去った。
***
「――カッコイイ!」
スカーフを巻いた裸のメリアが、トリッシュを追いかけたのはその一週間後のこと。これが、トリッシュとプリムラの思いもかけない出会いだった。
***
『Scene1:挑戦者の旅立ち亭』へ続く。
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