VS.フィア・イナリ
「あっははははは! ムダムダムダー、そんなマホウ。あちきにゃキかないよーだ」
山岳フィールド中央の渓谷で狂気的な笑い声が響いた。声の先にあったものは、夜よりも暗い巨大な黒。球体上に肥大化していくそれは、徐々に山岳フィールドを侵食していく。
「攻撃をやめないで、相手に攻撃する隙を与えないようにしてください! 私が援護します!」
渓谷を取り囲み、崖下に存在する巨大な闇を覗く修道服を着た集団、その中から他の紺色の修道服とは違った濃い鼠色のトゥニカとウィンブルを身にまとった少女、ギルド『聖魔導魔術教会』が一人、プレイヤーネーム『シスターマリア』が声を上げた。
「神よ。その聖なる光を以って闇を祓い、浄化し給え! ホーリー・イルミネイション!」
シスターマリアは崖下の暗闇に向けて詠唱をすると、彼女の手元から黄色に近い白色をした、直径三メートルもの魔法円が描かれる。魔法円は高速で回転を始め、円の中心に光が集まりボウリングの玉ほどの大きさまで成長すると、光のレーザーが空へと放たれる。
一定の高さまで来た光は鼓動を打つようにドクンと大きく収縮し、まるで花火のように、爆発に似た原理で辺りを明るく照らす。
その瞬間から夜の山岳フィールドは昼間のような明るさを取り戻した。
「聖女マリア様のご支援だ、今なら闇を祓える! 一斉攻勢、放て!」
「「セイクリスジャベリン!」」
崖下にある闇の球体を取り囲むように整列した修道服の集団は闇に向かって手を掲げ、一斉に魔法を発動させる。手のひらが強い光を帯び、細長い槍の形を形成すると放物線を描いて降下する。
まばらに飛び出した総数五十以上の光の槍は夕暮れのスコールのように降り注ぎ、闇に突き刺さった。
硝子が砕ける音に類似した音が響き、闇が晴れて辺りが閃光で満たされた。
「……やりましたか?」
目も開けられないほどの眩い閃光はカメラのフラッシュのように、ほんの一瞬ばかりの現象だった。
マリア達は目を開けると、目の前に広がる光景に絶句する。一時の期待は崩れ落ちたのだ。
依然として、何事もなかったかのように存在している闇。光の槍によって串刺しになっている闇は、刺さったままでいる槍を全て飲み込み、その規模を縮小していった。
「だーかーらー。あちきにマホウはキかないんだってー」
収縮した闇は身長に差のある二つの人影となり、その姿を月明かりが照らした。遠目から覗く彼らの姿は異質な雰囲気を醸し出していた。
背の高い方はニヒルな笑みを浮かべる白い狐面で素顔を隠し、真っ赤な牡丹が映える黒地の着物を美しく着こなす少女。
ギルド『神に恵まれない者達』が一人、プレイヤーネーム『イナリ』。自前の美麗な黒髪と同じ色を持つ獣の耳と、背後にゆらゆらと連なって揺れる九つの尾が彼女を人ならざる者であると、彼女自身の容姿が雄弁に物語っている。
もう片方の狐面の少女より一回り程小さい影は同じくギルド『神に恵まれない者達』が一人、プレイヤーネーム『フィア』。白と黒が混沌と交わる不思議な髪色をした、少年にも少女にも見える幼いルックスと体。吸い込まれるような闇を内包した赤紫色の瞳は光を持たず、不気味に濁り揺らめき続ける。
そして彼も、人間とは異なる特徴を持っていた。頭部と胴体との間にあるはずの首はなく、ふわふわとドライアーにのせたピンポン玉が如く、頭が浮いているのだ。
彼らの放つ違和感の正体。それは彼らの姿を見れば一目瞭然だった。
「……やはり、貴方たちだったのですね。フィアさんにイナリさん。私たちにとっては相性の悪い相手ですが、不足はありません!」
「あっはは! イマにミてなよ。そのジシン、コワしてあげるからさ」
不気味な笑みを浮かべるフィアは心底楽しそうな声色で言う。隣にいるイナリは何も言わず、ただフィアの横でただ佇んでいる。
「――ッ」
マリアは畏怖した。フィアの言葉と表情の背後にある悍ましさに顔が引きつり、声にもならない悲鳴が漏れる。
「アッハハ! いいね、そのヒョウジョウ。ネェ、もっとチカくでミせてよ。アチキに、モット悲鳴聞カセテヨ! 驚イタ表情見セテゴ覧ヨ!」
フィアのワインレッド色の瞳はどす黒く塗りつぶされ、光を全て飲み込むような闇を放出し、黒いオーラが渓谷を再度すさまじい速度で満たし始める。
「な、なんだこれは! 一体なんなんだ!」
修道服の集団は異様に漂う死の雰囲気にたじろぎ、統率の取れていた陣形は乱れ、悲鳴や救いを求める声にあふれ、どよめき、ざわつき始めた。
「み、みなさん! 落ち着いてください! まだ攻撃されていません。落ち着いて詠唱してください!」
マリアがもう一度、統率、陣形を崩さまいと声を上げた。しかし、完全にパニックに陥った者達にそんな声が届くはずもなく、マリア自身もまた、内心かなり焦っていた。
「キャハハハハハハッ! アチキノ闇ハキミタチヲ包ミ込ム。光ノ無イ世界ヘ、ゴ招待。トビキリノ悲鳴、聞カセテヨ! ――
ブラウン管テレビの電源が切れたような音がした。その瞬間、爆発的に肥大化する闇が次々と人を飲み込んでいく。咄嗟に翼を出し、天空へと飛翔したマリアを除く他全員、約五十もの人は闇へ消える。人々を飲み込んだ闇はそこに鎮座し、ただの一瞬たりとも同じ形を維持せずに流動的に形を変え続けている。
「な、なにをしたのですか」
「アレレ。一人逃ガシタナア……。イッヒヒッ! アッハハハハハハハ!」
フィアの姿はその場からは消えていた。だが、子供のような無邪気な笑い声、こらえた笑みが零れるような笑い声、どんな笑い声でも隠し切れない狂気が、近くにいるようで遠くにいるような声が、ハウリングのように辺りに響く。
「く、来るな! セイクリスジャベリン!」
闇の中で男性の修道者が魔法を放った。それは闇を抜けだし真っ直ぐにイナリの方へ飛んだ。
「……演舞、神隠し」
ぽつりとイナリが呟くと、イナリは魔法の槍に背を向け、腕を上に伸ばし、そのまま横へ広げるといつの間にか両手には開かれた扇子が現れる。
間近に迫った魔法の槍に向かって、扇子の中心から淡く青い炎の塊が飛び出すと、炎の塊が槍に当たったと思ったときには、音もなく槍の存在が消えていた。
「アハハハハッ! 頃合イダネ」
「な、なにをするつもりですかっ! いえ、させません! アクアスソニック!」
マリアが詠唱すると、手元に水が生成され、超速の刃となってフィアに向かって放たれた。
「……演舞、鸚鵡返し」
顔の前で構えた閉じられた扇子を素早く開く。すると先ほどイナリに飛んで行った光の槍が、今度はマリアの放った水刃に向かって射出される。ぶつかり合った魔法は相殺され、音を立てて弾けた。
「くっ! ならばこれで――」
「ハーイ。時間切レ。ダヨ。キャッハハハハッ! ミンナげえむおーばーダ!
闇の球体はさらに色濃く、どす黒く染まっていく。ゆっくりと流れていた表面は激しく流動し、はち切れんばかりに闇を増長していく。マリア発動した魔術の光はもう、目の前の闇を照らすことができない。
増大しすぎた闇がこのフィールドを夜へと引き戻す。フィアの闇が作り出したその夜は月明かりすらも飲み込む祟りの夜だった。
「「アァアアァアアアアアアァアアアァア――」」
闇が内部で大爆発を起こしたような音がした。飲み込まれた修道者達のものと思われる悲鳴、断末魔がフィールド上に鳴り響いた。力強く始まり、力なく終わる。花火のような断末魔が消えると、闇もまた消えていく。
闇の消失点にはフィアが佇む。唖然と状況を飲み込めないでいるマリアにフィアはそっと声をかけた。
「アハハ。次ハ、君ノ番……?」
「――っ!」
マリアからフィアまで、距離はかなり離れていた。しかし、フィアの声はマリアの耳元で囁かれた。今居た位置から一瞬で距離を取るマリアだが、状況は変わっていない。いつの間にかフィアはいなくなり、イナリだけの姿が残っている。
「……舞踊、亡者のための
狐面の黒い瞳が、一瞬光ったように見えた。手に持った扇子を投げると、空を向いて高速で回転する。回る扇子に何かが吸収されて、一気にその何かが放出される。
扇子から放出されたのは色とりどりの人魂、淡くゆらゆらと燃えながらゆっくりと落ち途中で止まると、淡い輝きを保ったままでその場に留まり、漂い始めた。
「……この御霊たちは、先程にフィアさんが今日、殺めた人々の魂です。全部で百二十四。
ずっと寡黙であった彼女から初めて、技の名前以外の言葉が発せられた。
「もう、私の勝ち目は薄いようですね……。ですが! 私は諦めません! セイクリスジャベリン・ツヴァイ!」
マリアの手元から、光の槍がイナリ目掛けて二連撃で飛び出した。威力と速度は修道士が放った魔法とは段違いだった。
投げ放った扇子がまた、イナリの手元に戻り飛来する槍を扇子でいなすようにして躱すと、後方の地面へ勢いをそのままに突き刺さった。
「まさか、魔法がそんな扇子で弾ける訳がありません」
「アッハハ! アチキノ事ヲ忘レテナイ? 君ハ闇ニ飲マレテナイ? 恐怖ヲ思イ出シテミナイ? 闇ノ中ヘノゴ招待?」
突然現れたフィアがマリアの腕を掴むと、自らを闇に染めはじめ、伝染するようにマリアの体にも広がっていく。
「くっ! セイクリススキン」
掴まれた場所に向かって、対魔の魔法を使用する。しかし、魔法の反応はなく闇はずんずん侵食を続ける。
「モット、恐怖ニ歪ンダ表情ヲ見セテ、驚イテヨ。モット……。驚嘆シテ。仰天シテ。魂消テ。取リ乱シテ。愕然トシテ。吃驚シテ。慌テテ。狼狽エテ。泡を食ッテ。面食ラッテ。動揺シテ――。キャッハハ! 君ノココロ、壊シテアゲル!
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
過去の記憶なのか、フラッシュバックするように視界を覆うホラー映画さながらの映像。マリアの悲鳴はフィールド中に広がり、心拍数が跳ね上がる。体力を失ったわけではない。精神力が底をついたのだ。半分以上残った体力も精神力がなければ意味がない。
マリアの体は結晶となって消え、イナリの背後に漂う人魂は、百二十五個となった。
「キャッハハハハハハハ! 良イ悲鳴ダッタ! アチキヲ満足サセテクレルヨウナ悲鳴……。ネエ、次ハ……君ノ番?」
恍惚な表情でイナリに近づくフィア。仮面の下の表情はわからずとも、突然標的にされたイナリだったが冷静さを保っている。
「……だから言ったのです。恐ろしいことですと。フィアさんは力を使いすぎです。きんぐさんの加護が在りながらそれ程までに……。演舞、魂の解放」
イナリはじりじりとにじり寄るフィアに物怖じせず、漂い続ける人魂のうちの一つを引き寄せた。その人魂を軽く撫でるとそのままフィアに向かって投げ放つ。
「無駄ダヨ! ソンナノアチキニ効カナ――」
人魂がフィアの体にするりとぶつかると、フィアの意識は眠りにつき、その場に崩れ落ちるように倒れる。
「……貴方は頑張りました。ゆっくりおやすみなさい」
イナリがフィアの傍で座り込むと、フィアの頭を持ち上げ自分の膝の上に乗せた。周囲に百二十五個の人魂たちを、自分たちを守るように集める。人魂たちは螺旋を描きながら、イナリやフィアの事を守っている。
膝枕の状態で、辺りには何も存在しない山岳フィールド中心で、繭のように纏った人魂たちで身を隠し、フィアの頭を撫でながらイナリはただ、時間が過ぎるのを待つことにした。
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