雨を壊した先に

 真冬なのに、雨だった。

 気温は低い。息も白い。それでも、雪ではなく、雨。

 仕事だった。狐がどうこうという話で、街から冬が奪われたと言っていたか。正義の味方ではないので、深入りは避けていた。

 そう。正義の味方ではない。彼女のためだけに、自分は、雨を止める。街のことも、彼女が住んでいるから守る。彼女がいなければ、こんな街など、どうなってもいい。

 流れて生きてきた。ときには人ではない何かを殺し、ときには人を相手にして。乾いていた。どこまでも、心のなかが索漠としている。何をしても、心にノイズが走ったようになる。見たい景色や求めるものに、届かない。そして、それが何なのかも、この街に来るまでは分からなかった。

 この街には、正義の味方がいる。街を守り、人ではない何かや官邸などと戦っていた。この街に、来たとき。見たい景色や求めるものに、近付いたような気がしたのを覚えている。

 あの日も、雨だった。正義の味方に喧嘩を売って。意味もなく戦った。今も覚えている。見事な連携からの制圧。こちらの力を即座に把握し対応する統率と思考。そして、死の匂い。


『よお。首尾はどうだい?』


 その、正義の味方からの連絡。


「だめだな」


『おまえでもだめなのか、ヴィラナ』


「仕事だからな。やるにはやる」


『期待してるぜ』


 雨を壊す。

 それが、今日の仕事。


「あのときのことを、思い出していた」


『おまえが初めて街に来たときか?』


「分かるんだな」


『俺も思い出してたよ。雨だった』


 水たまりに叩きつけられて。腕も脚も砕かれて。その上で、言われた。

 お前は、死にたがっている。


『死ぬなよ。お前を待っている人を悲しませるな』


 それだけ言って、通信は切れた。

 恋人がいる。初めて街に来たあの日、出会った。

 腕も脚も砕かれ、動けない自分を、軒下まで引っ張って。手に負えないと分かったら、背負って運んで。

 傷はどうでもよかった。すぐに治る。ただただ、死にたがっていると言われた言葉を、反芻はんすうしていた。このまま傷を治さなければ、死ねる。そんなことを考えていたか。

 雨に濡れ、自分を背負って運ぶ彼女の、泣きそうな顔で。ちょっともうしわけないなと思い、傷を治した。それでも、彼女は袖を引っ張って離さなかった。どうしても病院に連れていきたかったらしい。しかたなく、そのまま病院に。

 医者からは正義の味方と派手にやり合ったなと笑われ、無駄に力の測定など、させられた。

 彼女。

 待合室の広いベンチで。外の雨音を見ていた。

 そのとき、気付いた。

 彼女は、声を持たない。

 喋れないとか、脳に不具合があるとかではない。声という表現方法を、知らない。

 こちらに気付いた、彼女が、にこっと笑う。その表情だけで。


『おい。終わったか?』


 正義の味方。通信。


「何分経った?」


『7分』


「そうか」


 まだ雨は止んでいない。

 壊せる。形あるものから、形ないものまで。全てを、壊すことができる。そういう力だった。漫画やドラマによくある制約とか、人格を失うとか、そういったものもない。ただ、壊す。それができる。


『自分を壊そうとするなよ』


 見透かされるような通信。


「その手があったか」


『試したことないのか』


「無いな」


 壊していれば、勝手に自分も壊れる。そういうものだと思っていた。あの日の医者からは、笑われた。いくら壊しても、自分が壊れることはない。

 ただひとつ、心を除いて。

 心は、壊れる。そういうものらしい。たしかに、心を壊したり治したりというのは、聞いたことがなかった。やったこともない。

 彼女の心は、壊れていたかもしれないのに。

 雨。

 ゆっくりと。

 止んでいく。

 彼女が、好きな雨。

 彼女が、望むなら。降らせたままのほうがいい。

 ただ、仕事だから。

 雨を止めなければ、狐は祓えない。冬が来ない。

 自分の心は、壊れていない。ただ、死にたいだけ。ただただ、死にたい。それは、普通のことだった。何もおかしくはない。

 死んだら。

 彼女は、悲しむだろうか。


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