いくら?

エリー.ファー

いくら?

 褒めても何も出ないと先に言った上で、少しだけ説明をする。

 まず、命に値段について。

 いくらで命は売れるのか。

 また、いくらで命は買えるのか。

 一千万か、一億か、百円か、十円か、一円か。

 地域によってそこに差は存在していて、それを同程度の価値にすることに意味はあるのか。間違いのないように行われるはずの命の価値の再定義には金銭という視点は絡みつくことができるのか。

 シビアな話だ。

 金とか、命とか。

 嫌な気分になる。

 そんなことを考えたくもない。

 そうやって金がないせいで、救えない命が溢れているというこの世の中で、暇つぶしのような思考。その延長で自分の考えを試すような遊戯的発想。

 嘘、嘘。

 そういうのは嘘。

 そうやって誤魔化してしまいたい。

 命のマーケットに乗り出す必要もなく、今日も、明日も、明後日も、私たちは立っている。


 金の話は汚いし、余りしたくはないのだけれど、それでも生きていくのには必要な要素である。金が、ということではない。金の話が、ということである。

 金よりも価値のある金の話は、金そのものよりも多くのことに応用できる。みすぼらしい生き方から脱却するための自分なりの方法が凝縮されている分、そこには哲学が含まれる。

 学べることしかない。受け入れるべきであると思う。

 食べていくのがやっとであればあるほど、それは染み渡るのではないだろうか。


 金の大切さを語るには幾らかの金が必要となる。

 金の大切さを騙るには幾らかの金が必要となる。

 金ばかりである。


 金のことを考えるのは、皆、同じである。

 社会の中に組み込まれている限りは、逃れることはできない。

 社会の外にいる人間は、どんな生き物と言えるのか。

 人間は金の届かないところで生きることは可能なのか。

 分からないこともまた、金によって、分かるようになることはあるのか。

 不思議なことばかりであるが、それを誰かに、伝える意味はあるのか。

 金のことを話すのは無粋だそうだが、その本質的な理由とは何か。


 金がないんだ。

 少し貸してくれるだけでいい。少しで良いんだ。

 自分の知っている人ではなく、誰かの知っている人。

 それでいいんだ。

 とにかく金を貸してくれ。


 金がないと、助けられないんだ。

 俺の子どもが今にも死にそうなんだ。

 頼む、金を。

 俺の子を助けるための金をくれないか。

 少しでいいんだ。百万、いや、十万、千円だっていい。百円でも、一円でもいいんだ。

 ヤバい病気なんだ。

 詳しいことは話せないけれど、とっても危険なんだ。医者も命懸けだって聞いてる。みんなが、俺の子どものために動いてくれていて、でも、金が足りなくて。

 俺は情けないよ、自分がこんな形でしか人に頼むことができないなんて。

 頼む。

 金を。金をどうか恵んでくれ。


 金で解決できないこと。

 そんなものがありますか。

 金はすべてですよ。

 この世の時間にも匹敵するほどの価値を持ちますよ。社会は、金を持っている人間を求めているし、そのために多くの代償を常に抱えています。

 ありふれているのです。

 私にとっても、あなたにとっても、それは事実でしょう。

 私たちは逃れられないのです。お金がすべてであるということと、自分のことをその金の流れに置いてきてしまったということを。

 金が神なのです。

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