春の姫君

「っべ、寝ちった…」

教室の机の上で目を覚ました俺は、ぼんやりとした頭で周りを見回した。どうもホームルーム後に寝入ってしまったらしい。

窓の外はまだ明るく、それほど長く寝ていたわけではなさそうだが、もうまわりにクラスメイトの姿はない。俺を放置してみな帰ってしまったようだ。


ん-、いや、違ったな。教室の後ろの方にもう一人生徒が残っていた。女子生徒…出席番号1番の芦川だ。

ただ、おかしいのは芦川が、机を縦にして…つまり他の机と垂直に交わるように向きを変えて座っているという事だ。班行動でとか、昼飯の時に友達と島を作ってとかってんならわかるけど、一人でそんなことをしているのはだいぶ不自然だ。


俺は寝起きの頭で、頬杖を突きながら芦川の様子を眺めていた。

芦川は腕組みをして前方をにらみ、その先には教室の入り口がある。

芦川はふざけて女番長呼ばわりされることもあるくらいで、そうして怖い顔をしているとかなり迫力がある。

と、その扉が開き、男子生徒が顔を出した。出席番号18番の美兼だ。

美兼は2年になって転校してきたふにゃふにゃしたイケメンで、最近芦川とその友人の春野の3人でよくつるんでいる。男一人で女子二人に割って入るのもすごいが、芦川とつきあってるようなそうでもないような、ここの人間関係もだいぶ謎いんだよな。なんなんだあいつら。

「呼んできたよ、今日子ちゃん。順番に入ってもらうね」

美兼は芦川(※芦川今日子)にそう呼びかけると、いったん引っ込み、もう一度教室に入りなおすと、芦川の隣にガタガタと机を並べ、隣に着席した。

「それでは最初の方、どうぞお入りください」

美兼が声を張ってそう呼びかけた。

なんだ、何を始めるつもりだ?



呼びかけを受けて、入ってきたのは男子生徒、たしか隣のクラスの演劇部かなんかのやつだ、顔見たことある。

「ここ来たら告白させてもらえるって聞いたんだけど」

「ええそうですよ」

「でも本人いないよね」

「わたしが良いと判断したら許可します。志望動機を述べてください」

「はーっ、ダルいな。

 ああと、去年の学祭の時かな、大道具の組み立てやってたら彼女がクラスで使うからとかで大工道具借りに来てさ、その時すごく感じが良かったんだよね。俺のこと親切な人って呼んでたよ。

 ああいう子とは今まで付き合ったことなかったし、こないだ彼女と別れたから、試しに付き合ってみようと思って」

「はあ、試しにですか。あなたからみて彼女はどんな人間に見えますか?」

「わりに地味な子だよね。ちょっと変わってるし。でも感じ良いよ。

 俺が彼女と付き合い始めたらみんなびっくりするんじゃないかな。でも意外とああいう子が俺にはふさわしいかもって思って。あんな子に支えて欲しいよね」

「なるほど、よくわかりました。

 それではどうぞお引き取りください」

「あれ?告白は?」

「ダメに決まってんだろ。よくそれで通ると思えたな!お前なんかぜんぜんハルにふさわしくないっつーの」

「何それひどくね?というかなんでお前が判断するんだよ」

「親友だからだよ!はいもう面接は終わり!もう何も聞かねーからな!いいから帰れ!」

「次の方お入りくださーい!」

舌打ちし、「俺は親切なんだぞ」と言って去っていく男子生徒と入れ替わりに、新たに入ってきたのはコンビニの服を着た中年男性だった。



「誰よ」

芦川が声をひそめ、美兼に質問した。

「駅の山側のコンビニわかる?ロータリーのある方じゃなくて。そこの店長さん」

「ふーん?

 それでは、志望動機を述べてください」

「はい、私がオーナー店長をしているコンビニを、彼女はよく利用してくれてまして。常連さんなので顔は憶えてましたし、昭和の映画の女学生さんみたいで可愛らしい子だなと思っていました。ごはんやおやつを買うときにいつも嬉しそうに笑っているのが印象的でね。ただもちろんその時点では親が子を思うような気持ちでそう思っていたんですが」

「ほほう。それがどうしてこんなことに。続けてください」

「はい、先日のことですが、買い物を終えて店を出て行った彼女が、まだ店の外をうろうろしていることに気が付いたのです。ちょうど休憩時間で、たまたま家に用事があったものですから、出がけにその様子を見に行ったんですが、これはどうも猫に話しかけてるしてるみたいでしてね」

「何をざーとらしいことしてんのあいつ。続けてください」

「いや、どうやら猫に自己紹介してるみたいだなあと思ったんですが、よくよく見てみると猫じゃなくてタヌキなんですね、これが。しかも、兄弟か何かなんでしょうかね、一頭じゃない。

普通タヌキはひとに馴れないんですが、どうも興味をひいてしまったようで、一頭また一頭と近づいてきて、結局3頭のタヌキが彼女の周りを取り囲みましてね。それで彼女も困ってしまったのか、”しずまりたまえ!しずまりたまえ!”って」

「うーん愚か。その後はどうなったんですか?」

「わたしがタヌキを追い払いました。防犯用のさすまたでね。なれ合ってもお互い不幸になるだけですから。ゴミ箱をあさられたりしたらたまりませんしね。

で、その時はそれで終わっていたんです。春野さんにも丁寧にお礼を言ってもらいましてね。でもその晩くらいからでしょうか、その時のことが鮮明に思い出されて、それが始終頭の中を、映画を見てるみたいに繰り返されるんです。そしてなんだか学生の事に戻ったようなひどく浮ついた気持になって、矢も楯もたまらなくなって、それでここにまで来てしまったのです」

「そうですか、よくわかりました。ハルを助けてくだすったこと、感謝します」

芦川は軽く頭を下げ、その後居住まいを正し、改めて厳しい表情を作ると店長さんに尋ねた。

「ですが、たまらなくなってここまで来たという事ですが、今後ハルとどうなりたいとお考えですか?」

「それは…いえ、わかってはいるんです。どうもなりようがありません。彼女は学生で、またお客様です。私はただこの話を誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれません」

「なるほど、それでは結構ですので、ご退出ください。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

店長さんも礼を言い、教室から出て行った。

それを見届けて、芦川はひとつ大きく息を吐いた。



「それでは最後の方どうぞー」

美兼の呼びかけに促され、扉から現れたのは、まだ小学生4~5年生程度に見える男の子だった。

「東小5年、佐久間ゆうきです。よろしくお願いします」

「これはどうも、よろしくお願いします。ええと、それでは志望動機を教えてください」

芦川はいく分柔和な表情を作り尋ねた。

「はい、昨年ぼくは地域センターが主催したサマーキャンプに参加したのですが、その時に僕のいたグループのリーダーになったのがみぞれお姉さんでした。僕は副リーダーに立候補したのですが、他に6年生の子がいたので、僕はなれませんでした。

でも、みぞれお姉さんはときどきうっかりしているところがあったので、僕がお姉さん係に任命されて、いろいろお手伝いすることになったんです。

 僕はお姉さんの手伝いを頑張って、まわりからもしっかりしてるとほめてもらいましたし、自分でもそうだなと思っていました。それで、お姉さんはもう少ししっかりした方がいいと思いました。」

「そうですか…それは…ハルよ…」

「でもその夜、2年生の子がホームシックになって泣き出したんです。ぼくにはうまく慰めてあげる事が出来ませんでした。自分がしっかりしようってことばかり考えていたので、自分以外の子が泣いちゃったときに出来ることが無かったんです。

 でもみぞれお姉さんは違いました。その子の手を握って落ち着かせると、いっしょに7種類の海の生き物のダンスをして、それからお母さんにサマーキャンプの事たくさん教えてあげようねって言っていました。それですっかり安心して眠れるようになったみたいでした。お姉さんはすごいと思いました」

少年は一生懸命に自分の気持ちを説明しようとしていた。美兼はそれを聞いて感心した風にしていたが、芦川はだんだんと難しい顔になっていった。

「それから一年、どうしたらお姉さんに近づけるか考えてきました。クラスでも学級委員に立候補しました。今年の夏もサマーキャンプに参加するつもりです。まだリーダーにはなれないかも知れませんが、今度こそ副リーダーになってみせます。だから、その時には」

「ストップ!」

芦川は手を打ち合わせ、決然として話を中断させた。

「なかなか立派な心がけだと思う。ハルにもサマーキャンプに参加するようそれとなく言っとく。

 でもダメ。ハルを悪者にするわけにはいかないからわたしが言うけどね、小学生は小学生以外と付きあっちゃダメなんだよ。許可をだすにはあと2年必要です。これは譲れません」

こうして三人目の面接らしきものも終了した。少年は肩を落として帰って行った。



「いやー今回も疲れた。最後の子とか」

「いつもこんなことやってるの?」

美兼が芦川に尋ねた。それは俺もだいぶ気になる。

「あいつ意外にも多いんだ、こういうの。でもあいつバカだからわたしが防波堤になってやらんと」

「親友の人間関係というか恋愛の交通整理するのはちょっと過保護がすぎるんじゃない?」

「ああ、うん、わかってはいるんだけどね…。

 でもこういうのがマジで多いのも本当。放置しておくと危険なもめ方するよ」

するとその時だった。

閉め切られたドアの向こうから声が聞こえた。

「すまんが入ってもよいかな」

その人影は天井に届かんとするほどに背が高い…いやそうではない。

影の一部が身じろぎしいなないた。馬だ。馬に乗っているのだ。

美兼がその人物を招き入れると、その姿に俺も芦川と美兼も唖然とした。

全身を異様な装飾を施した甲冑で固めた騎士だ。その腰には大ぶりな直剣が提げられている。

意を決した様子で芦川が訪ねた。

「失礼、すこしびっくりしてしまって。

 あなたはいったいどういった方?どういった用事でこちらまで?」

騎士は馬首を巡らせて落ち着きどころを探すと下馬し、兜を取った。

黒髪の精悍な男で、無精ひげが伸びているがそり落とせばかなりの男前だろう。

騎士は答えた。

「我が名はラ・ビュース。時の川を渡り世界の壁を越える、流浪の騎士である。

 それも我が春の姫君を探すためであるのだが、こちらで春の姫君に我が愛を捧げるための取り次ぎを行っていると聞いてな、それでまいったのよ」

「失礼ながら人違いと言う事はありませんか?違う次元からの客人を迎えた事はこれまで無かったのですが」

「うむ、我が直感はそうではないと言っておる。なんにせよ顔を合わせればわかる事よ」

「そうですか…少しお待ちください」

そう言って芦川はスマホを取り出して呼び出しをはじめた。

「…この人は通すの!?」

「違う次元のひととなるとわたしの一存では決めかねるから。

 というかちょっとすごすぎて勝手に落としたらハルに文句言われる」



しばらくして、春野があらわれた。

「呼ばれて参上しました、春野みぞれです!

 ごめんおまたせ!さっきそこで去年のサマースクールで一緒のグループになった男の子に会っちゃって、なにしに来たのかな?いやしっかりした子なんだよこれが。コナンくんだね」

そこで騎士と馬に気づく。

「うわーッ、馬!」

隣りに立って手綱を握る騎士を振り返り話しかける。

「触らせていただいてもよろしいですか?」

「ははは、結構ですよ」

春野はそっと馬の横に立つと、両手を顔の高さまで掲げ、

「それでは…あなたはとてもきれいですね、まつげバシバシで美人さんだし、すごく大きくて速そうだし、是非なでさせて欲しいのですがどうでしょう?ダメですか?良いですか?」

騎士に対してよりも丁寧に馬に交渉をはじめた。

緊張を解いた馬が春野の手にそっとその鼻面を触れさせ、春野は微笑むとぺたぺたなでなでと馬に触れ始めた。

ひとしきり馬とふれあい、春野が満足したタイミングを見計らい騎士がその足下に跪いた。

「我が名はラ・ビュース、流浪の騎士、レイゼン=モンゼン侯爵にして第4宇宙の竜殺し、9つの次元の谷を越え、あなたに会いに来た者です。

 麗しき春の姫君よ、貴女は私が探していた方だ。どうか我が愛を受け取ってはもらえないだろうか」

春野は少し困ったように芦川を見た。

芦川は腕を組んで成りゆきを眺めていたが、肩をすくめて言った。

「いつものやつよ。いつもよりその、ちょっとすごいけど」

「うーむ。

 ラ・ビュースさん、あなたは普段どこに住んでなにをなさっているんですか?」

「旅こそが我が住まい、冒険こそが我が生業にございます。…冒険というのは竜と戦ったり、盗賊騎士をこらしめたりと言ったところですな。あとはあちこちの世界の友人の家に滞在して、その世界の学者と語らったりですとか」

「なるほど…

 嗚呼、ラ・ビュース様、あなたは非の打ち所の無いご立派な騎士様でいらっしゃいます。

 けれど、お許しください。私は高校2年生、この世界でやらなければならない事がたくさんあるのです」

「では私が会いに参ります!この世界に腰を落ち着けるわけには参りませんが…」

「出会ってすぐに遠距離恋愛はちょっと」

「そうですか…やむを得ませぬな」

騎士は肩を落として立ち上がった。

「春の姫君よ、ありがとう、無理を言ってすまなかった。

 確かに私と貴女では生き方が違いすぎる。貴女が言う事はもっともだ。

 私はまた我が愛を探し旅に出よう」

「ありがとう、ラ・ビュースさん、このことは忘れません」

「はいはい、終わったんならお帰りくださいね」

芦川が撤収に入った。

そして帰り際、異界の騎士は馬に乗りながら眼下の3人に言った。

「ああ、代わりと言ってはなんだが、この世界における私の並行同位体である2ーBの出席番号13番田中直史くんが、明日貴女を訪ねると思うので、良かったら相手にしてほしい」

それまで様子を自分の席からうかがっていた俺は、椅子から落ちて叫んだ。

「俺かよ!」



「俺かよ!」

俺はベッドから落ちて叫んだ。

床、学校では無い、自室。

カーテンを透して朝の陽光が室内に差している。

朝だ。普段起きる時間よりいくらか早いだろう。

「…夢落ちってマジか」


時間は朝の7時前だったが、もう寝付けそうに無かったので起きる事にした。

家族におはようと言う。

テレビをつけ、ニュースを流しながら朝食を用意する。

目玉焼きをつるりと食べ、シリアルを掻き込む。

いくぶんのんびりと歯を磨き、顔を洗い、自室に戻るとシャツを着る。今日は少し暑いくらいだろう、夏服に変わっているのがありがたい。

部屋を出る前に、引き出しの中に水族館のチケットが2枚はいっていたことを思い出した。深く考えずに鞄の中に放り込む。


学校までは自転車で30分足らず、途中の坂で汗ばむが、寺の裏の林の緑や、道ばたのアザミやノゲシ、空き地でイネ科の雑草が青い穂をゆらしているのを見ながら登校するのが俺は好きだ。

丘をこえるともうひと坂あって学校だが、丘の上からはすでに校舎が見えている。

いつもの朝礼間近の時間帯と比べると生徒の少ない坂道を、歩く生徒達を置き去りに走り抜け、裏門から入って駐輪場へ、その後グラウンド横を通りながら下駄箱のある校舎入り口ヘ向かう。

運動部の朝練はもう盛んに練習している。

校舎入り口に立った俺は、いつもと少しみえる景色の違う朝の学校を眺め、立ち止まった。その時だった。

太陽は午前の明るい日差しのまま、霧雨がさっと降り付けてきた。天気雨だ。

傘を必要とするほどの雨では無いが、校舎近くまで来ていた生徒達はいくらか足早になった。

そしてその霧雨の中、正門から続く中庭を通って、彼女がはしり込んできた。

あくまで素軽い足並みで、急ぎすぎる事無く、透き通った日差しの中、けぶる霧に反射する光の粒をまとわせ。

それは映画の1シーンのように見えた。いやそれ以上だ。これは人生の1シーンであり、この世界に刻まれた1シーンだ。

彼女が跳ねれば世界がよろこびにあふれ、彼女が走った後には宙に舞う無数の花が残されるように見えた。

俺は愕然としてその光景を眺めていた。彼女を。春野みぞれを。



その日の授業時間を、俺はつい春野の方を見てしまいそうになるのを堪えながら過ごした。

春野はクラス内では芦川のサイドキックといった位置づけで、あまり目立つ生徒ではない。まあ女子のなかでの関係性がどうなってるかはわからんが。

それでもたまに突拍子もない発言が飛び出す事があり、やはり芦川の相棒の変わり者なんだなという印象を持っていた。

だがいまとなっては、同じクラスに春野がいて同じ授業を受け同じ時間を共有していると言う事が奇跡的な幸運であるように思えた。

このクラスで今いちばん春野のことを考えているのは俺だったし、春野の言動に表れている世界に対する好奇心、親愛の情、フェアネスを今や俺は知っていたし、それでもなお普段から春野が行っている俺にはよくわからない思索について思いをはせるとその神秘性に俺の気分は高揚した。



昼休みに急に我慢の限界に達した俺は、教室を飛び出して廊下から階段をせかせかと歩き回ったが、その時昨日の夢に出てきた演劇部員を見かけた。

それまでそいつの事はどうでも良い、ないしはやや不快と思っていた程度だったが、今はそいつへの好感度が爆上がりしている事に気づいて俺は笑った。

人間性については評価できないけど、少なくとも趣味は良いよな、おまえ。



気持ちを落ちつかせて教室に戻ると、春野が芦川と美兼、それになぜか別のクラスの背の高い女子と、机を島にして一緒に昼飯を食べていた。

春野は良く笑い、それに合わせて茶色がかった黒髪の丸い頭が揺れていた。

俺は彼女の頭に宝冠をかぶせてやりたかった。



だが俺が春野に渡せるものは今のところあまり多くなかった。

俺は自分の鞄から水族館のタダ券を取り出すと春野達が座っている島へ向かった。

タダ券くれた叔母夫婦に感謝だな。

こんなこと今までした事が無いので、足がすくむんじゃないだろうかと思ったけれど、俺の足は運命のように俺を春野の元に運んだ。

「それで私、『我が名は春野みぞれ!駅の東口よりこのコンビニまで来た!そなたたちはこの山にすむ古いたぬきか!?』って言ったんだけど」

「なんでそんな事言った」

「わりとオタクなんだね春野さん」

なるほど?心のメモ:春野はオタク、と。

俺は春野の向かいに立った。春野の輝く瞳が俺を見上げる。

芦川も怖い目で俺を睨んでくるがこの小姑相手にここで引いてはならない。

俺は周囲の生徒にも聞こえるくらいのはっきりした声で春野に話しかけた。周囲の視線が合った方が芦川が横車を入れづらいと思う、多分な。

「春野さん。悪い、食事中に」

「田中くん。なにかご用です?」

あー声が良いよ、声が。最初の発声がかわいらしいのを追いかけてくるように複雑な倍音がだな。

「春野さん、海の生き物とか好き?実は水族館のタダ券があって」

俺は水族館のチケットを手に取ってみせる。

「えっマジすか。好き好き、イルカもイワシもタコも好き」

だろうな、と思って俺は少し笑った。

「今度の土日に、もし空いてたら、俺と一緒に行かない?タコとか見に」

さらっと言ってやったぜ!芦川と美兼とよく知らん女子がびっくり仰天している。

春野は一拍おいてから言った。

「…それはデートのお誘いです?」

「そう思ってもらえると嬉しいかな、ええと」

いかん、思い出したように心臓がドキドキしはじめた。

俺は空いた左手を宣誓するように胸に当てて言った。

「2-B 出席番号13番 田中直史、春野さんにデートを申し込みに参りました」

周囲がざわつき視線が集まるのを感じる。だいぶハズい真似をした気がするがこのくらい強気で行かなければならない。なぜなら隣の小姑や、あと多分出来の良い小学生とかとも戦わなければならないからだ。

俺は周囲の反応をよそにして春野の顔だけを見つめた。その花のかんばせを。俺の春の姫君を。

「くふっ、あっはっは」

春野が吹き出した。

「なんそれ、騎士か。

 りょーかい、じゃあ土曜日がいいかな。よろこんで参ります」

こうして俺の恋が始まったというわけ。



その夜、俺は夢を見た。

青紫色の夜空に星が瞬き、オーロラが踊っている。

青く照らされた荒野は茫漠とひろがり、点々と低木が立っている。

別の次元の旅の空の下、節くれだった樹の木陰に身を横たえた異邦の騎士が、荷物を枕に眠っていた。

その隣りにつながれていた彼の馬が、にわかに身を震わせるとその身を光の粒が覆い、次の瞬間、そこには場違いなほど美しいドレスを身にまとった妙齢の女性がたっていた。

「今日もおつかれさま、私の騎士さん。

 まだ私に気づいてくれないのね。

 まだまだ冒険を必要としてるみたいね、私たち」

彼女は眠る騎士の髪に口づけ、花がほころぶように笑った。

その顔は少し春野に似ていた。

(終わり)

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