黒手の巫女 AYAKAシ番外編

連野純也

1 沙綺羅登場

 すっかり日が落ちてしまった。ここから先は民家もなく、山道を登るだけだ。

 明畠あけはた一朗は最終になるはずのバスを待っていた。他に停留所に客はいない。

 県道とはいえ、田舎の、夜になろうという時刻に通る車は少ない。辺りは静かで、時折ざわりざわりと木々が鳴るだけ。その音さえも山に染み込んで消えてゆく。


 ほどなく、バスのヘッドライトが見えてきた。

 明畠が命じられたのは、そのバスに乗っているはずの人物に会い、その人物の行動と顛末てんまつを見届けることだ。役所の仕事は平凡で退屈だが、ごくたまにイレギュラーがやってくる。

 バスが速度を落とし、停留所の方に寄せてくる。ぷし、と空気の抜ける音とともに扉が開く。

 明畠は乗り込むと、バスの中をさっと眺めた。

 意外にも乗客は複数。前の方に若い男女。仲がよさそうでたいへん結構。真ん中へんにはお婆さんが座っている。小柄で、結われた髪は完全に真っ白だった。そして最後方には。

 海外旅行にでも持っていくような大きなキャリーバッグの横に、座席で爆睡している女性。

 髪は長く、栗色がかっている。太い黒縁の眼鏡をかけていて、野暮ったさが同僚の子を連想させる。ただ目を引くのは、初夏になろうというのに――特に今日は夏日に届きそうな気温だった――両手に白く長い手袋をしていること。顔は健康的に焼けているのに、両手だけ日除ひよけをする意味はないはずだ。

 やはり、彼女が――<黒手の巫女>。日本でも有数の霊能力を持つと言われる、直下そそり沙綺羅さきらなのか。

 声をかけようか、と思った明畠に豪快なが聞こえ、躊躇ちゅうちょする。バスが動き出した。

 と、黒いものが視界を横切った。……猫?

 どこに潜んでいたのか、黒猫がヒュッとジャンプしたかと思うと彼女の頭の上に乗っかり、蹴飛ばすようにして向こう側の座席に着地する。

「ふがっ」

 と、奇妙な声を出して彼女が起き上がった。

「アサツキ、起こすならもっとソフトに――」

 言いかけて、彼女はここがどこかを思い出したかのようにぐるりと見まわした。

 運転手を除く、全員が彼女を見ていることに気づく。

「あ、ども。お騒がせしました」

 心なしか赤くなった顔で頭を下げまくる。彼女は自分の前に立つ明畠に気がついた。

「もしかして、あなたは? 役所のかた?」

「いつも仕事にペットを連れてくるんですか? あ、失礼しました。〇〇市道路課の明畠と申します」

直下そそり沙綺羅さきらです、よろしく。アサツキはペットというよりですので」

「……はあ」

 当の<相棒>は、我関われかんせずといったふうに前足を舐めている。

「現場はもう少し先でしょう?」

「ええ。あと1km程でしょうか。まさか御高名な先生が直接いらっしゃるとは思いませんでした」

「ちょっと面白いケースだったからね。あと先生はやめてください。沙綺羅でいいですから。直下そそりって、発音しずらい名前でしょう」

「役所にいるといろんな名前の人に会いますよ。そこまで変わってるとは思いませんが、ご希望でしたら沙綺羅さんとお呼びさせていただきます」

「ありがとう。依頼の概要はメールで読んだわ。大岩内トンネル――私も知ってる、有名な心霊スポットよね」

「そこまで有名ですか」

「うちらの界隈での話よ。古いトンネルだし、落盤事故も起きたと聞いてる。たぶん霊は出ると思う。ただね……」

 沙綺羅は両手を組み合わせた。

「ここからがしっくりこないのよ。って、マジ?」

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