(I'm not a) crying wolf

※本作では可読性に配慮し、現地の度量衡をメートル法に置き換えて描写しています。誤差が生じる場合も御座いますが、何卒ご了承ください。




     ◇



 春の風物詩と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。


 花の芽吹きに入学式、クラス替え、そして春の陽気に惹かれて地上に姿を現す変態。


 豊かな四季のあるルクシア王国に生まれついた私だが、今年もそのあらかたを消化してきたように思う。……思うだけなんだけど。


 実際のところは、もうひとつあるのだ。私がとびきり苦手なやつが、もうひとつ。


「9秒92。まあ……下の上ってとこじゃない?」


「ぜー、はー……」


 クラスメイトの──確かシャロンと呼ばれていた──彼女のやたらと辛辣なコメントに、しかし私はしばらく肩で息をすることしかできなかった。


「ぜぇ、はぁ、はぁ…………ときに我が級友よ」


「……なに?」


「人のちからを数値で測定するなど、下らぬことだとは思いませんか。ましてわたくしたちは魔術の学徒。そのような俗世のしがらみから逃れられずして、何をかもって魔術師などと──」


「……50m走だけでこんなになってたら、先が思いやられるわね」


 10分後には1500m走よ? なんて涼しい顔をして言ってのけるシャロンがうらめしい。


「今の30倍の責め苦……」


 本日は体力測定。午前中の授業時間をまるまる使っての行程となる。いったい私がなんの罪を犯したというのか。


「くそう……体育なんて、選択科目で、いいじゃん……!」


 確かに私は体を動かすのが苦手だ。だが、突出して運動音痴というわけでもない。


 単純に、体力がないのだ。じゃなかったら、朝寝坊からのダッシュにわざわざ魔術の補助なんて使ったりしない。


 そんな私にとって、うまいことサボることもできない体力測定は大変に過酷だった。


「というかなんだ、なんでみんなそんなに元気なんだ……」


 ガスト魔術学院が士官学校をルーツにもつ、という話はいつかしただろうか。だからまあ、見るからにむきむきの脳筋がクラスに何人かいることは理解できる。実際問題、三年生になると同時に士官候補生となり、当学院を去っていく者も一定数いるのだから。


「ジルがもやしすぎんの! ……ハイ、水」


「おお、あんがと……」


 一人地べたにへたり込んでいる私に颯爽と駆け寄ってきた(驚くべきことにまだ走り足りないらしい)ギャルはというと……白い丈短の運動着から伸びる小麦色の手足には、しなやかな曲線美こそあれど、もりもりの筋肉は見当たらない。


 私との違いはなんなんだろう……やっぱ胸か? この女、たわわな胸に3つくらい心臓を抱えてるのか……? だとしたら……こんなの、ないものねだりじゃあないか。私は再度絶望した。


「はあ……1500mと、太陽までの距離とだったら、どっちが長いのかなあ」


「ジルさ……1500mって、こっから寮より短いよ?」


「……お主、虚言を弄すつもりか」


「いやいや、マジだって」


 たぶん2kmないくらいじゃない? なんてギャルは言う。嘘だろ……私、毎朝そんなに歩いてるのか。


「……オーケー、仮にそれが真実だとしようじゃない。でもね……マルコムは──孤児院にいたクソガキね。あいつは、『からだにいいから』とか『ちょっとだけだから』なんて理由じゃピーマン食べなかったよ」


「……その子、その時いくつだったの?」


「確か……4歳くらい」


「今のジルは?」


「…………16歳」


「ちゃんと走ろうね?」


「……うん」


 そして私は半死半生となった。


 記録は訊かないでもらいたい。



     ◇



 体力測定の全種目を終えた昼休み、思うように動かない身体を引きずってどうにか食堂へとたどり着いた私は、無い食欲をふりしぼって根菜のサラダを貪っていた。


 大根はいい。なんたってほぼ水だ。なのに何をかけたっておいしい。私は大根になりたい。


「……無様だな、"魔王"ともあろうものが」


 生の実感に打ち震える私に水を差すのは、言わずもがなリオンだった。


「…………」


「ぬるい時代だ。これが100年後なら……お前など、とうに野垂れ死んでいるだろう」


「…………」


「なかでも、遠投はみものだったな。……まるで砲丸のように投げるじゃないか。まさか、お前のボールだけすり替えられていたわけでも──」


「あのさ」


「……なんだ」


「ここ、"ぼっち席" なんだけど。パーテーション、あるでしょ?」


 食堂の窓際に向けて一列に配置されたお一人様ぼっち席は、私のような寂静を愛す者(陰キャともいう)の何年にもわたる陳情の結果生み出された聖域だ。それをこいつは何の覚悟もなくずけずけと……。


「あと、遠投は……あれは、ボールが大きいのがいけない。あんなの片手で掴めるわけないじゃん」


 そう言って私は、右の掌を開いて突き出した。


 我ながらちびっちゃい手だ。孤児院の生活は清貧であったにしろ、あそこで飢えるような者はいなかった。単純に、私は同年代の者に比べて、少し・・小柄だったというだけだ。


 リオンはそんな私の手に、無防備に自分の左手を重ねようとして…………すんでで手を引っ込めた。


「……その手には乗らん」


 ……ちっ。腹いせに腸内環境を整えるおなかをひどくくだす魔術でもかけてやろうかと思ってたのに。こいつはこいつで成長しているようだった。あまり喜ばしくない話だ。


「というか」


 私はここで重大なことに気づいた。


「……見てたの? 女子の体力測定」


 体力測定は男女共に同じ運動場で行っていたとはいえ、女子と男子とのスペースは明確に区切られていた。


「見ていたさ。他の者も、何人かは血眼ちまなこだった。やはり、互いに競い合う相手の動向というのは、気になるものなのだろう」


 それは絶対違うと思うぞ。……あの助平どもめ。


「そういうの、やめといたほうがいいよ。私はともかく、ちょっと鋭い子なら気づいてるだろうし。……ただでさえ変態なんだからさ」


「……なるほど? …………いや待て、"ただでさえ" 、だと……?」


 私の苦言に、リオンはいまいちピンと来ていない様子だった。……あゝそうか、あんなぱっつんぱっつんを着ていた奴にとっては、学院の運動着なんて薄着でもなんでもないのか。


 これじゃまるで、私が自意識過剰みたいじゃないか。私は内心歯噛みした。


「少し腑に落ちないが……そんなことはいい。午後の "魔力測定"……これで、"魔" の王たるお前の実力を見極めさせてもらう。くれぐれも手を抜くなよ」


「あー……うん。私も落第したくないしね」


「……?」

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