Snake oil pt.1



     ◇



 廊下を早駆けして、辿り着いたのは校舎の屋上へと続く階段の踊り場だった。平時でも人のいない場所だが、どこの教室でも新学期ガイダンスが行われているであろう今は、一際しんとしている。


「急にどうした。……奇襲にしてはつたないし、何より害意が感じられない」


「どーしたもこーしたもないよ。あなた、せんせー撃とうとしたでしょ」


「……ただの脅しだ。民間人を殺すわけがないだろう。これだから"魔王"は、発想が邪悪に過ぎる」


 リオンは急にド正論を放った。変態のくせに。


「だいだい、さっきからなに、魔王まおー魔王まおーって。たしかに私……わりと陰気くさいほうだとはおもうよ? だからってさ──」


「待て」


 そうか。やはり、これでも遡り過ぎているのか・・・・・・・・・……なんてわけのわからないことをぶつぶつ言って、リオンは私の目を真っ直ぐと見た。


 深い紺碧に射すくめられ、思わず静止する。


「【宵映しの玉髄】、【朔夜姫】、【暁の侵犯者】……。これらの言葉は、全てある1人の人物を指して言ったものだ」


 時代が変われば評価も変わる。歴史に爪痕を残した者に呼び名が多数あるのは、きっとそういうことなのだろう。リオンは私から視線を逸らさないまま、でもどこか遠くを見ているような顔で続けた。


「全てお前のことだ、ジル・ソーリス。そして、俺たちの時代では、お前は……"魔王"と。そう呼ばれている」


 それがつまり、今から100年先の未来のお話らしい。


「……え、なに? 私、100年後も生きてんの?」


「そんなわけあるか。……お前は、後世にも悪名轟くほどの──」


「でも100年後は、そーゆーぱっつんぱっつんの服が流行ってるわけでしょ。……やだなあ、ぱっつんぱっつんのお婆ちゃんなのかなあ、私……」


「人の話を聞け」


 聞いているとも。聞いた上で無視しているのだ。


「俺の目的は……"魔王"の抹殺だ。だからこうして、お前が年若く、まだ十分にその力を蓄えてない時代に──」


「そんだったら、私が赤ん坊の時にでも軽くひねってやればいいじゃないの」


 いっちょこいつの顔を真っ赤にしてやろうかと、多少設定に粗があるところを指摘してやると、リオンは至って冷静に反論した。


「……無論、それも試した。俺が、ではなく、俺の前任者が、だが。……そして、それが失敗したからこそ、俺がここにいる」


 どうやら彼の前任者なる気の毒な人間は、生後まもない私の足取りをつかむことが全くできなかったらしい。まあ、そりゃね……誰にも言ってないけど私、王宮にいたからね。


「任務に失敗したあと、あろうことかヤツは──未来の菓子パンを売り捌いて優雅に暮らしていた」


「……え、もしかして」


「【帽子屋】。かつてのヤツのコードネームだ。お前も知っているんじゃないか」


 街の広場にあるでっかいパン屋の名前だった。暢気だな未来人。


「しかし……まさか、この時点でこれほどまでの魔力を持っていたとは。侮っていたわけではないが……」


 作戦に修正が必要なようだな、なんてごちるリオンに、私は思わず言った。


「かりに、あなたの言うことが全部ほんとだとしてさ……それ、私に話しちゃだめじゃない?」


「……ッ!?」


 うっそだろお前。もしかして今気づいたの……?


「……無論、今までのは全て冗談だ。この時代──じゃなくて、この国に慣れないこともまだまだ多いが、よろしく頼む」


 今までの仏頂面からは一転、無駄に爽やかなツラで私に握手を求めるリオンの手はしかし小刻みに震えていた。流石にわかりやす過ぎるでしょ。


「ああ……うん」


 冷や汗でじっとりと湿ったリオンの手を、私は軽く握り返す。なんというか……やべーやつに目をつけられちゃったかもなぁ……。


「……まだガイダンス中だ。教室に戻るぞ」


 今までの流れをすべて無視して強引に事を運ぼうとする彼の背中を追う私は、一つ小さな引っ掛かりを覚えていた。


 ……私、こいつにいつ名乗ったっけ?

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