玄草
月丘ちひろ
玄草
美砂(みさ)が心不全で亡くなった。
棺中の彼女は穏やかな表情をしているが、名前を呼びかけても彼女の瞼は開かない。彼女の凛とした声は二度と聞くことはできない。
……そう思っていた。
だけど、もしかしたら美砂と再会できるかもしれない。
葬式から帰宅後、美砂が座っていたソファの上に絹糸で輝く本を見つけた。
美砂が『魔術書』と呼んだ本だ。
俺は汚れたページをパラパラと捲った。
紙面には様々な魔術の概要と詳細な実行手順が記載されている。
俺の目に留まったのは『玄草』と題された魔術で、概要には『二度と会えない人と出会う魔術』と記載されていた。
この魔術を実行するには会いたい人の体の一部を思い出の場所で使う必要がある。
俺はとっさにソファを調べた。
ソファには長い髪が一本付着している。
俺は自嘲した。
これから美砂に会いにいきます、と口にしたら誰もが俺を取り押さえるだろう。
だけど俺は気が触れたわけではない。俺には美砂にもう一度会える確信があった。
なぜなら俺、瀬川灯(せがわあかり)は魔術が実在することを知っていたからだ。
☆
高校生の頃、数人の女子生徒から告白された。
学校の後輩やバイト先の先輩など様々な人と交際したが、付き合い始めて数週間すると、彼女逹は総じて別れ話を持ちかける。
原因は俺の趣味だった。俺はオカルト系の趣味があり、雑誌やインターネットで都市伝説や心霊写真を集めたり、バイトでお金を稼ぎ心霊スポットに足を運んだ。
そんな俺を彼女逹は気味悪がった。
だけど俺は趣味を捨てることができなかったので、趣味が同じ女性と交際することを目標にした。
大学へ進学を決めた俺はオカルト系のサークルを見つけ、サークルの歓迎会に参加することにした。
桜の花が咲き乱れる季節の夕暮れ時。
俺は美容院で教わったように髪に癖を付け、有名なオカルト系動画配信者がデザインしたシャツの上にジャケットを羽織り、自宅を出た。
場所は進学先の大学の最寄り駅。
集合場所には既に参加者が集い、和気藹々と談笑している。
男女比は半々といったところだった。
俺はオカルト系の話ができる期待に胸を膨らませ、彼らに声をかけた。
彼らは間違いなく今回の歓迎会の参加者で、俺は温かく迎えられた。
そして俺達は会場に向かった。
だが移動中にオカルトの話が一度たりともあがらない。
会場の中華料理店に到着しても状況が変わる気配はない。
参加者達は皆当たり障りのない会話ばかりをしている。
もちろん俺も参加者の女性に話しかけられた。
俺は彼女達にオカルト系の話題を持ちかけたが、彼女達はそれとなく話題を反らしその場を立ち去っていく。
こうして話題の合う相手を探すうちに、このサークルが俺の期待したものではないことを確信した。
「食べるだけ食べるか」
俺は参加費の元を取るつもりで、テーブル上の料理を食い荒らした。
料理は油の風味豊かなものが多く、歓迎会が終わるまで残ることができた。
歓迎会が終了し、俺が外に出る頃には外はすっかり暗くなっていた。終電が間近ということもあり、夕暮れ時に賑わっていた大通りは、閑散としている。
俺は肩を落とし大通りを進んだ。
そうして歩くうちに腹部が痛むことに気付いた。
俺は急ぎ足で駅へ向かおうとしたが、腹痛が激しくなり道半ばの橋の上で蹲った。
「……大丈夫?」
凛とした声が聞こえたのはそのときだった。
俺が顔をあげると、花柄のワンピースにカーディガンを着た女性が心配そうな表情をしている。
女性は肩にかけたトートバッグから水筒を取り出し蓋に中身を注いで差し出した。
「ゲンノショウコ茶。ちょっと楽になるから」
俺はなりふり構わず彼女の言葉に従った。
それからしばらくして俺は立ち上がれるようになった。
だがその頃には終電の時間を過ぎていた。
「ありがとうございました。これでなんとか動けるようになりました」
俺は女性に一礼し、タクシー乗り場に向けて歩き出した。
すると女性は俺の前に回り込み、
「私の家、すぐ近くにあるよ?」
「見ず知らずの男にそれを言いますか?」
「私はキミのことを歓迎会で見かけたよ?」
女性はトートバッグの側面を瀬川に見せつけた。
側面には都市伝説系動画配信者がデザインしたロゴがプリントされている。
「私は霧雨美砂(きりさめみさ)。名字がまどろっこしいから美砂って呼んで。雰囲気がある名前でしょ?」
「本当ですね。俺は瀬川灯といいます」
俺が笑うと、美砂もつられるように笑った。
「私の家で休んでいきなよ」
「……ぜひ、お願いします」
俺は美砂の手引きを受け、彼女の自宅に向かった。
最寄り駅から徒歩十分程のマンションの一室で、室内にはオカルト系の書籍が隙間無く納められた本棚が並んでいる。部屋にあがった俺は、腹痛を忘れて真っ先にこの
本棚に飛びついた。
「……俺の知らないタイトルが結構ある」
「気になる本があったら読んでもいいよ」
「ちょっと読ませてください!」
俺は本棚から読んだことのないタイトルの書籍を抜き取りソファに腰を降ろした。
書籍には俺の知らない都市伝説が収録され、ページをめくる手が止まらなかった。
そして本を読み終わるころ、美砂がお茶と菓子を持ってきた。
「お茶はさっき瀬川くんが飲んだゲンノショウ茶。お腹が調子悪いときに効くんだよ」
「すごい名前ですよね。ゲンノショウコ」
「ゲンノショウコはドクダミみたいな薬草で、即効性があるからついた名前なんだってさ。その薬効にちなんで『憂いを忘れて』なんて花言葉もあるんだよ」
「憂いを忘れて……今の俺にぴったりですね」
俺はゲンノショウコ茶を一口飲んで気持ちを落ちつかせた。
このとき俺は初めて美砂を注視した。
絹糸のような黒髪で、均整のとれた顔が映えている。
「美砂さんも歓迎会にいたんですよね。声をかけてくれれば良かったのに」
「他の人に捕まっちゃって。当たり障りのない話ばかりで退屈したよ」
「一番話したいことが話せないですよね」
「でも……瀬川くんとなら話せるような気がする」
美砂はお茶菓子をつまみ、続けた。
「一昨日の雑誌は読んだ?」
「今回のお題は平行世界でしたね」
「お、雑誌名を言わなくても分かったね!」
「一昨日刊行されたオカルト誌は一冊だけですから」
このやりとりを引き金に、俺達は都市伝説や怪談で会話を弾ませた。
次に窓の外を見たときには東の空が明けていた。
そんなときに美砂は俺に尋ねた。
「瀬川くんはどうしてオカルトに惹かれたの?」
「理屈抜きで不思議体験がしたいからです!」
すると美砂は目を輝かせた。
「私は不思議な体験をして自分が特別であることを実感できたからなの!」
美砂は本棚から一冊の本を取り出した。
その本は辞典のように厚く、表紙は絹糸で輝いている。
美砂はこの本を俺に差し出した。
俺はその本の紙面をめくり、ぎょっとした。
紙面には記号のような文字がびっしり記載されていたからだ。
しかもこの文字を知らないはずなのに、部分的に意味を読みとることができる。
「何ですかこれ?」
「何が書いてあった?」
「魔術の概要と実施の手順が書いてあります」
「つまり、これは魔術書ってことだよ」
その瞬間、俺の心臓が高鳴った。
いても立ってもいられないような気持ちになり、無意識のうちに美砂さんの手を握りしめていた。
「美砂さん、俺と付き合ってください」
美砂はクスっと笑った。
「私の趣味を知って告白したのは瀬川くんが初めてだよ……よろしくね。瀬川くん」
こうして俺と美砂は恋心よりも好奇心が先行する形で交際を始めた。
夜は通話で都市伝説の考察をし、大学では講義後に美砂と合流して都市伝説を検証するための資料集めをした。そして休日は心霊スポットに足を運んだり、美砂が所有する魔術書を検証した。
特に魔術書の検証は熱中した。魔術書に記された手順を実施すれば割れたコップを復元できたり、心霊スポットからの帰り道で捻挫した足がすぐ治癒する。
魔術書は本物だった。
もちろん制約もあった。魔術書の記載は自分が心の底で必要としている箇所しか意味を読みとることができないし、同じ魔術は一度しか使うことができない。
こうした法則性を美砂との検証の中で発見した。俺と美砂はお互いが求めた超常的な世界に生きていた。
このような生活を一年続けていくうちに、美砂への好奇心は恋心に変わった。
俺は美砂と二人きりになる時間を確保したくて一人暮らしを始めたり、オカルト関係以外のことも美砂を誘うようになった。
ところがその頃から俺と美砂の価値観がズレ始めた。
俺は美砂と一緒にいるためにオカルトよりも日常生活を優先するようになった。
だけど美砂はより魔術書に傾倒するようになり、目元に隈をつくるようになった。
心配になった俺は、美砂が家に着たとき、思わず口に出してしまった。
「オカルトから距離を置かないか?」
それは俺が高校生の頃、付き合った女子生徒達が別れ話を切り出す前に口にした言葉だった。
そのことを思い出した頃には遅く、美砂は下唇を噛みしめるような表情で帰ってしまった。
俺は強い罪悪感と間違ったことはしていないという感情が板挟みになって、彼女を追いかけることができなかった。
美砂が亡くなったのはその翌日だった。
次に美砂に会ったのは葬式で、棺の中の美砂はとても穏やかな表情をしていた。
だけど俺がいくら声をかけても、彼女は目を覚まさない。
もう二度と彼女の声を聞くことはできない。
……そう思っていた。
葬式から帰宅後、美砂がゴロゴロしていたソファの上に、魔術書を見つけた。
そして魔術書を開き、二度と会えない人に再会する魔術を見つけた。
だから俺は美砂ともう一度会えることを確信した。
俺は魔術書と彼女の長い黒髪を携え、彼女と初めて出会った橋の上に向かった。
終電前の橋の上は一年前のように閑散としていた。
俺は魔術書を開き、そこに書かれていた手順を実施した。
掌に美砂の髪を乗せ、魔術書に記された呪文を唱えた。
俺の口から出た呪文は明らかに日本語以外の言語だった。
だけど俺はその呪文を日本語でこう唱えたつもりだった。
『憂いを忘れて』
呪文を唱えた瞬間、橋の上を強風が吹き抜けた。
彼女の黒髪は風にさらわれ、俺の掌から消えた。
「あれ、灯(あかり)くん? 何してるの?」
凛とした声が聞こえたのはそのときだった。
振り向くと花柄のワンピースにカーディガンを着た女性が立っている。
俺は上擦りそうな声を抑え、彼女を呼んだ。
「美砂」
すると美砂は何かを察したように息を付いた。
「……瀬川くん?」
俺はコクリと頷いた。
美砂は橋の手すりに頬杖をつき、
「どうやって私に会いにきたの?」
俺は魔術書を美砂に差し出した。
「二度と会えない人と再会する魔術を使った」
「二度と会えない?」
「お前、死んだんだよ」
美砂は考え込むように橋下の川を眺めた。
そして彼女は意を決したように口を開いた。
「私も魔術を使ったんだ。『運命を乗り換える魔術』っていうの。この魔術を使うと、自分の望んだ運命に乗り換えることができるの。たぶんこの魔術が影響したんだと思う」
「どんな運命を望んだ?」
「瀬川くんが私のオカルト趣味にどこまでもついてきてくれる運命」
「確かに、俺が選がない選択だ」
「そう。だから瀬川くんと私はうまくいかない運命だった」
「そっちの世界の俺はどうしてる?」
「私と毎日のように魔術書の研究をしてる」
「一人暮らしているのか? 二人で生きていこうとしているのか?」
美砂は気恥ずかしそうに頬をかき、
「灯くんは私の家で同棲しているよ。就職はあまり考えてないかもしれないけど」
「俺は名前呼びされたことがないな」
「瀬川くんは、なんか瀬川くんて感じだもん」
俺は思わず苦笑した。
「どう転んでもうまくいかなかったんだな」
「そう。だから瀬川くんは私のことを忘れて、他の人と幸せになって欲しいな」
美砂の優しい口調に俺は胸を締め付けられた。
「簡単に言うな。お前ほど話の合った人間なんていなかったんだ」
「でも、今は?」
「……認めたくないけど、周りの奴らの気持ちが分かった。魔術書に没頭して目に隈を作っているお前を見て、俺は心配になったよ」
美砂はニコリと笑った。
「瀬川くんは私よりも良い人と出会うよ」
そのとき、橋の上に再び強風が吹き抜けた。
その猛烈な風圧に俺は思わず俯いた。
それから数秒後に風が止んだ。
顔を上げると美砂と魔術書が消えていた。
代わりに彼女がいた場所に彼女の水筒が置かれている。
俺は水筒の中身を蓋に注ぎ一服した。
美砂と世界単位で離別して以降、俺は周りの人たちと仲良くやれるようになった。
彼らとの当たり障りのない会話は刺激になり、自分の世界が広がっていくことを感じられた。
そしてついには以前に参加したサークルの歓迎会に再参加し、一人の女性と親しくなった。彼女は趣味が噛み合う子ではなかったけど一緒にいると安心した。
そう思えたのは美砂との出会いがあったからだ。
もしかしたら人生というのは美砂が所有していた魔術書のように、必要なときに必要な人が現れるのかもしれない。
逆に言えば、必要な出会いのために必要な別れがあるのかもしれない。
きっと美砂との出会いはそういう類の物だった。
そう思いながら、俺、瀬川灯は美砂と異なる世界を生きている。
玄草 月丘ちひろ @tukiokatihiro3
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