第9話


 校内に響くチャイムの音。これは学生にとって、至福の音色だ。この合図によって俺達には昼食のために少し長めの休憩時間が与えられる。


 多くのクラスメイトは自分が属しているグループの人と集まり、各々昼食を始めるのだが、どうやら今日は違うらしかった。


「七森さん。私たちとお昼食べませんか~?」

「夏花ちゃんって、どこから来たの?」

「部活は何するの?よかったら……」


 クラスメイト達が転校生に近づこうと必死なようだ。多くは女子であわよくばグループに入れてより、そのグループの教室内での影響力を上げようとでもしている。必死の勧誘にも社交的だった彼女はきっと上手く対応するだろう。


 そんな風に簡単に考えていた。俺の居場所にまでクラスメイトが浸食してきて、肩身が狭い状態だったので、席から立ちあがり購買に向かう。


 やっぱり、俺の出る幕はなかった。うちのクラスメイト達が転校生を放っておくはずがないのだ。深冬先生のミスが発覚するなんて珍しいことだ。教室を出て一歩二歩進んだところで不意に深冬先生の言葉が脳裏を過る。


『秋博君が見極めて助けてあげて頂戴。助けがほしそうであれば、ちゃんと助けるのよ』


 俺が見極めるって何をだ?助けるって何から助けるのか。全く分からない。だけど、一つだけ思うことがあるとするならば、俺は彼女、七森夏花の顔を見ていない。


 別に俺がお願いされているだけであって、命令されているわけじゃないから、俺がここで知らない顔したところで誰も文句は言わないだろう。


 そう割り切って購買に向かうことが出来れば、俺はいつも通りに過ごせたのかもしれない。俺はワシャワシャと頭を掻いて一瞬迷った末に踵を返していた。


 なんて声を掛けようかを頭の中で黙考しながら、少しだけ進んだ廊下を戻っていく。


 教室に入った瞬間に彼女の表情を見た。


 その時、俺に一つの感情が襲いかかる。それは『嫌悪』。別に彼女に対して抱いたものではなく。これは自己嫌悪。自分に対して抱いた感情だった。沸々と鈍い絽の霧のように浮かび上がってくるそれをしっかりと心に刻み込む。


 教室内の彼女は確かに笑っていた。でも、その笑顔の裏では解放を求めていることを俺は理解出来た。それは小学生の頃からの癖が変わっていなかったからだ。


 笑顔を作り、社交的な態度を崩さず、話をしてはいるが、両手を強く握られて緊張感を表している。他の生徒は彼女の変化に気が付くわけは無く。周りを取り囲んで話をしている。


 俺らしくない。ここで割って入っていくなんてクラスメイト達からしたら、異常な光景だろう。だけど、足は勝手に動いて、腕は勝手に伸ばされて、口はひとりでに言葉を発していた。


「みんな。ごめん!七森さんの学校案内を俺がお願いされていたんだ。だからさ、」


 俺が人混みかかき分けながら彼女の元に向かう。彼女は目を見開いて俺の登場を驚いているようだった。クラスメイト達も同様だ。


「七森さんの学校案内?それなら、私たちがしてあげるよ。秋博君より、色々知っていると思うから、だってあいつ、根暗で普段は教室から出ないんだから、碌な案内も出来ないでしょうから、七森さんもそっちの方が良いよね?」

「え……」


 クラス内でも発言に力のある女子生徒が俺のことを小馬鹿にしながら七森さんに問いかけた。クラス内でも高いカーストにいるその子だが、俺は名前すら覚えてはいない。それほどまでに俺はこの教室の生徒と人間関係に興味が無かった。だから、彼女が俺のことをなんと言おうが気にしない。実際言っていることは間違えていないし……。


 問いに困っているのか七森さんは逡巡している様子だ。どう反応するのが正しいのかを考えているのだろう。


 俺としては断られたら諦めて引き下がろうと考えていた。別に彼女が助けを求めてきたわけじゃなく、俺の過去の記憶と重ね合わせて勝手に手を差し伸べただけ、もしかしたら、今の彼女は何も困っていないのかもしれないし、俺のお節介をうざったく感じているかもしれない。だから、もうどうにでもなれという感じだった。


「秋博が学校案内をお願いされているんだ。他の人が仕事を奪うのはどうかと思うぞ?」


 七森さんが答えを出すまでの間は取り巻きの質問攻撃もなくなって教室内は一瞬の静寂に包まれた。その静寂を打ち消したのは、予想していない人物。珍しく自分の席でコンビニに売っている惣菜パンを食っていた光希が女子生徒に意見した。


 クラス内でも、上位のカーストに属している女子生徒だが、光希は校内のカースト上位に君臨している。彼の言葉はこの教室内で一番の力があると言っても過言ではない。当の本人はそんな力は無いと言っているけれど。


 光希の一言に女子生徒は動揺を見せたが、それでも、俺に任せるのが納得出来ないようで食い下がってくる。


「で、でも、秋博君じゃ……」

「いや、秋博は昨日深冬先生から直接お願いされたんだ。昨日、俺と一緒に職員室に行ったから、その時に言われたんだよ。だから、ここで、秋博のことを力不足というなら、先ずは深冬先生に話してきた方が良いよ。『秋博君を任命するのは間違っています』ってハッキリ言ってくれば良い」

「そ、それは……」


 女子生徒もさすがに深冬先生にもの申せるほどの勇気は持ち合わせては居ないようだ。黙って口を閉ざして、少し考えた末に諦めて席に戻っていった。戻る際に俺を指さし「ちゃんと、案内しなさいよ!」と強く言われてしたので、頷いて返事をしておいた。


 一時の空気の乱れによって、七森さんの周りにいた生徒は散り散りになって昼食を始めている。


「その、七森さん。俺なんかで申し訳ないけれど、これから、サッと学校案内してもいいですか?ほら、購買で昼ご飯も買えるし……」


 俺は普段なら絶対しないような行動をしておいて、学校案内に誘う言葉は一切考えてはいなかった。だから、思いついた言葉をひたすらに並べてどうにかこうにか、彼女を誘い出した。


「はい!今行きますね」


 先程の彼女とは違った自然な笑顔が僕の瞳に映る。それだけで、少し普段と違うことをしてみて良かったと思わせるには十分だった。


 すぐに席から立ち上がる七森さんの向こう側で、俺の方に向けて親指を立てて、ニカッと笑顔を向けてくる光希の姿が映る。『あとは、頑張れよ』とでも言いたいのだろう。俺も頷いて合図を交わした。


 俺は光希に昨日の話は一切していない。それでも彼は、俺の行動の意図を掴んで的確にアシストをしてくれた。男女問わず人気が高いのも頷ける。


 そうして俺と七森さんは教室を出て、学校を回り始めた。あの頃と比べたら何もかもが変わった俺だけれど、彼女と並んで歩いているこの時は昔に戻って懐かしい思いが蘇ってくるような気がした。

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