第10/13話 ダウンヒル:オフロード②

 彼女は、ハンドルを大きく右に回し、ディセンダーを、そちらへ移動させた。ほぼ同時に、兵士が、どおん、という音を立てて、ロケットを発射した。

 弾は、車両の左隣を通過していった。そして、それからも、数十メートル進んだ後、道の左側にある草地にぶつかった。どかあん、という音とともに、炸裂する。

 その後、セダンは、スピードを上げた。どんどん、ディセンダーとの距離を詰めてくる。その間に、兵士は、車内に戻った。

「ぐう……!」

 巒華は、頭を抱えたくなった。このままでは、いずれ、セダンは、ディセンダーに追いついて、左隣を並走し始めるだろう。そうなったら、体当たりしてやる。そこまではいい。

 だが、その先がない。ラムアタックを食らわせたなら、相手の車両を、道から押し出し、草地を走らせられるだろう。しかし、それだけだ。クラッシュには至らず、しばらくしたら、再び、道に戻ってくる可能性が高い。

 いったい、どうすれば、追い払うことができるのか。そんなことを考えながら、巒華は、きょろきょろ、と辺りを見回した。

 現在位置より数十メートル進んだ所で、道の左側にある草地に、大きな窪みが出来ているのを発見した。さきほど、仙汕団の兵士が撃ったロケットが命中し、炸裂したことにより、出来た物だろう。

 窪みは、歪んだ円形をしていた。直径は、約三メートル。内部は擂鉢状になっていて、中心点の深さは、五十センチくらいだ。それの右端と、道の左端とは、二十センチ弱しか離れていなかった。

「──あれです!」

 巒華は、ハンドルを握っている両手に、ぐっ、と、より強い力を込めた。

 次の瞬間、さきほどからディセンダーに迫ってきていたセダンが、ついに、追いついた。SUVの左隣、一メートルほど離れた所を、並走し始める。

「食らいなさい!」

 巒華は、ハンドルを、めいっぱい左に回した。セダンに、がつん、と体当たりを食らわせる。

 相手の車両は、大きく左によろめいた。道を外れ、草地を走り始める。

 ドライバーが、ハンドルを、大きく右に回しているのが見えた。道に戻ろうとしているに違いなかった。

 しかし、それよりも前に、セダンは、窪みに突っ込んだ。

 その車両は、すぐさま、外へと飛び出してきた。しかし、その時、それのタイヤは、すべて、地についていなかった。窪みの、擂鉢状になっている内部が、ジャンプ台の役目を果たしたのだ。

 セダンは、そのまま、左斜め前へと飛んでいった。ドライバーが、ハンドルを切っているらしく、車輪は、右斜め前に向いていた。しかし、空中では、曲がれない。

 車両は、やがて、草地の、さらに左側に立ち並んでいる木々のうち、一本の幹に、どがしゃあん、という音を立てて、衝突した。その後、落ちて、それの真下に、ずしゃ、と着地した。一瞬後、その衝撃により、枝から離れたらしい、何らかの果実が、屋根にぶつかり、べちゃ、と潰れた。

「よし……!」巒華は嬉々とした声を上げた。

 それからしばらく走ったところで、北への急カーブに出くわした。ドリフトしながら、曲がる。

 道は、その後、北に向かって、まっすぐ伸びていた。現在位置から数十メートル先には、丁字路があるのが見えた。道は、東西に分かれている。

「あっ……!」

 巒華は思わず、大きな声を上げた。西へと伸びている道の奥から、車両が数台、丁字路に向かって移動していることに気がついたからだ。

 その連中は、交差点を右折すると、ディセンダーめがけて走ってきた。その頃には、もう、それらが、みな、仙汕団のセダンであることが、わかっていた。

「んう……!」

 巒華は、ハンドルを殴りつけたくなった。どこかに、逃げ道はないか。そう思い、きょろきょろ、と辺りを見回した。

 道の左側では、道から一メートルも離れていないあたりに、木々が立ち並んでいた。そこから先は、樹海となっている。これでは、道を左に外れて、セダンたちを躱すことは、不可能だ。

 道の右側には、建物があった。見た目は、高さ十メートル強の、大きな直方体のようだ。

 出入り口には、シャッターが下ろされていた。それの上には、「堀鳥林業(株)第一工場」と書かれていた。

 建物は、南からの道と東からの道の間に、斜めに建っていた。上からだと、道を隣辺、建物を斜辺とする、直角二等辺三角形のように見えるだろう。

 工場は、とてもぼろぼろだった。シャッターは、全体的に、赤茶色に錆びついており、ところどころには、穴まで開いている。壁は、白に近い灰色で、風雨に晒されたことによる劣化が、ひどく目立っていた。窓は、ガラスが割れているか、あるいは、窓そのものが設けられておらず、節穴と化していた。

 現在、誰も利用していないことは、明らかだ。だいいち、ここへ続く道からして、入り口がコーンバーにより塞がれていた。

 廃工場と、南からの道と、東からの道とで囲まれている地帯は、背の高い、深緑色をした雑草で埋め尽くされていた。ちらほら、黒いアスファルトや、その上に引かれている白線が見える。おそらく、もともとは、駐車場だったのだろう。しかし、この荒廃ぶりでは、いくらSUVといえど、走れなさそうだ。

 廃工場の南東には、さまざまな大きさの石が、ごろごろと転がっている。自動車のタイヤでは、とても、乗り越えられそうになかった。

「なら……!」

 巒華は、ハンドルを大きく右に回した。道を外れ、廃工場の入り口に突っ込む。がしゃあん、という音を立てて、シャッターを撥ね飛ばし、入った。

 建物の中は、薄暗かったが、ライトを要するほどではなかった。左右の壁には、たくさんの窓が取りつけられている。それらから、日光が差し込んできているのだ。

 天井の高さは、四メートルほど。おそらく、この廃工場は、二階建てになっているのだろう。

 床には、いっさい、何も置かれていなかった。がらんどう、と形容しても、過言ではない。

 ディセンダーがくぐった出入り口の設けられている壁の、反対側に位置する壁にも、出入り口があった。そちらには、シャッターは下ろされていなかった。外には、丁字路から東へ伸びている道が、見えていた。

「このまま、ここを通り抜けてやります……!」

 そう巒華が言った直後、どごおおおん、という音が、背後から轟いてきた。バックミラーに、視線を遣る。

 ディセンダーの十数メートル後方にて、赤い爆炎が広がっていた。数秒で、それは収まり、その後は、煙が辺りに、もうもう、と立ち込め始めた。彼女らの通り抜けた出入り口や、それの設けられている壁は、煙に飲み込まれ、見えなくなっていた。仙汕団の兵士たちが、爆弾の類いを炸裂させたに違いなかった。

 次の瞬間、ばきばきばきばき、がらがらがらがら、ぎりぎりぎりぎり、その他二、三の形容しがたい音が、上から鳴りだした。それと同時に、天井が下降し始めた。壁や柱は、撓んだり、撓みきれずに折れたりしていった。

 そこまで視認したところで、ようやく、巒華にも、仙汕団の兵士たちが、さきほど、爆弾の類いを炸裂させた理由が、わかってきた。あれは、廃工場の一階部分を崩壊させ、ディセンダーをぺしゃんこにすることが、目的だったのだ。

「むう……!」

 巒華は、歯を食い縛った。天井が下りてくる中を、ひたすら、ディセンダーで走り続ける。

 しばらくして、がが、という音が、上から聞こえだした。廃工場の天井が、ディセンダーの屋根に、接触し始めたのだ。

 しかし、その音は、すぐさま収まった。車両が、出入り口を通り抜け、外へと飛び出したためだ。

 巒華は、ハンドルを大きく右に回した。道沿いに、走り始める。

 どおおおおん、という大きな音が、背後で轟いた。バックミラーに、視線を遣る。

 廃工場が、入る前に見た時よりも、四メートルほど、低くなっていた。一階部分が、完全に潰れてしまったに違いなかった。

「なんとか、脱出できました……」

 巒華は、ふうう、と安堵の溜め息を吐いた。視線を、フロントウインドウに戻す。道の両側には、道から一メートルも離れないうちに、幹の太い木々が立ち並ぶようになっていた。

 しかし、彼女は、気を抜かなかった。さきほど、バックミラーを見た時に、南の道からやってきた仙汕団のセダンが数台、丁字路を右折して、ディセンダーめがけて走ってきているのが、映り込んでいたためだ。

 さらには、その先頭にいる車両では、巒華から見て左側に位置している、後部座席の窓から、中年の男性兵士が、身を乗り出していた。彼は、右肩に、ロケットランチャーを担いでいた。

 彼女は、ハンドルを大きく右に回して、SUVを移動させた。それと同時に、背後で、どおん、という音が鳴った。

 数秒後、兵士が撃ったらしいロケットが、道の右端を走っているディセンダーの、左隣を通過していった。

「上手く、避けられました……」巒華は、ほっ、と胸を撫で下ろした。

 ロケットは、その後も、宙を飛んでいった。やがて、道を左へ外れると、そこに立っていた大木の根元に命中した。それの幹の直径は、一メートルはあった。

「わ……!」

 巒華は、そんな声を上げたが、どかあん、という、ロケットが炸裂した時の音により、ほとんど掻き消されてしまった。

 めきめきめきめき、という音が鳴り始めた。同時に、大木の、弾が命中した箇所より上の部分が、ディセンダーから見て右方へと傾き始めた。

「くうう……!」

 巒華は天を仰ぎたくなった。このままでは、大木が倒れ、道を塞いでしまう。幹は太く、ディセンダーでは乗り越えられない。道のすぐ脇には、同じような木が立ち並んでいるため、左右に迂回することもできない。

「なら──下をくぐってやります!」

 巒華は、ぐん、とアクセルペダルを底まで踏み込んだ。ディセンダーを、トップスピードまで加速させる。

 彼女は、そのまま、車両を、倒れている最中である大木の真下に突っ込ませた。屋根の上を、幹が通り過ぎていった。

 やがて、ディセンダーは、それの下をくぐり抜けた。数瞬後、どしいん、という音を立てて、大木が、地面に倒れた。

 巒華は、バックミラーに視線を遣った。彼女らを追いかけてきていたセダンたちのうち、先頭にいた一台が、どぐしゃあ、という音を立てて、大木の下敷きとなった。そのすぐ後ろにいたもう一台は、急ブレーキをかけた。しかし、間に合わなかったようで、幹に、ごがしゃあん、と衝突した。

 その二台のさらに後ろにも、仙汕団のセダンたちは、いた。急ブレーキをかけると、続々と停まっていく。勢い余って、前にいる車両の背面に衝突している車両もいた。

「よし……!」巒華は視線をフロントウインドウに向けた。「倒木が、バリケードの役目を果たしてくれているうちに、距離をとりましょう!」

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