第08/13話 ダウンヒル:アスファルト②

 しかし、相手の行動のほうが、早かった。仙汕団のセダンは、大きく右へ旋回すると、ディセンダーの左側面に、がつん、と体当たりを食らわせてきた。

「きゃっ……!」巒華は、甲高い声を上げた。

 ディセンダーは、大きく右方によろめいた。右端に位置する車線を走り始める。

 巒華は、慌てて、前方を確認した。さいわいにも、まだ、対向車はやってきていなかった。

 彼女は、ハンドルを小刻みに調節した。ディセンダーの体勢を整える。

 それから、元の車線に戻ろうとした。ぐるり、とハンドルを切り、左隣の車線に入る。

「このまま、体当たりし返してやります……!」

 しかし、ディセンダーは、対向車線を抜ける前に、トンネルに入った。

「なっ……!」巒華は口を半開きにした。

 彼女は、慌てて、ハンドルを右に切った。ディセンダーの進行方向を、道路に対して平行な向きに、修正する。

 中央分離帯は、高さ五十センチほどの段差である。いくらSUVといえど、乗り越えることは不可能だ。

 後退して、トンネルから抜けられないだろうか。巒華は、そう思い、バックミラーに視線を遣った。

 しかし、その案は、却下せざるを得なかった。後ろから、仙汕団のセダンが一台、ディセンダーと同じように、対向車線に進入して、追いかけてきていたからだ。

 これでは、バックしても、すぐさま、道路を塞がれてしまう。残り二台は、本来のレーンを走っているのだろう。

「このまま、対向車線を走っていくしかない、ってわけだね……」嶺治は下唇を噛んだ。

 どうか、対向車が現れませんように。巒華は、そう祈ろうとしたが、その必要はなかった。

 数十メートル前方から、ステーションワゴンが一台、やってきていることに気づいたためだ。それは、向かって左側の車線を走ってきていた。

 しばらくして、その車両のドライバーが、ディセンダーの存在に気づいたようだった。ぱああああ、と、鼓膜を傷つけようとしているかのごとく、大音量のクラクションを鳴らし始める。同時に、きいいいい、と、耳障りな甲高い音を響かせながら、ブレーキをかけだした。

「むむ……!」

 巒華は、軽く歯噛みした。ぐるり、とハンドルを右に回す。ステーションワゴンの隣を、通り過ぎた。

 その後、前方から、ワンボックスカーが、さらにその後ろから、マイクロバスがやってきた。巒華は、ディセンダーを操ると、ワンボックスカーの左隣を通り過ぎ、マイクロバスの右隣を通り過ぎた。

 この調子で、無事に、トンネルから抜けられないだろうか。巒華は、そんな淡い期待を抱いたが、すぐに打ち砕かれた。

 前方から、アルミバンタイプの10tトラックが二台、やってきているのが見えたからだ。それらは、左右の車線を並走していた。

「ぐ……!」巒華は、軽く歯軋りをした。

 せめて、ディセンダーの存在に気づいた後、ブレーキをかけるタイミングがずれないものか。それで、片方のトラックのキャビンと、もう片方のトラックの荷台後端との間が、空かないものか。そうしたら、なんとしてでも、そこを通り抜けるのだが。

 そんな期待を抱いたが、それも裏切られた。たしかに、二台のトラックは、まったく同時にブレーキをかける、というわけにはいかなかった。向かって左にいる車両が、右にいる車両よりも、先行した。

 しかし、タイミングがずれた、といっても、半秒にも満たないほどだ。向かって左にいるトラックのキャビンは、右にいるトラックのキャビンより、数メートルほど、前に飛び出しただけだった。

「こうなったら……一か八かです!」

 巒華は、アクセルペダルを底まで踏み込んだ。ディセンダーを、ぐん、と急加速させる。

 そのまま、向かって右にいるトラックのキャビンめがけて、走らせた。ドライバーが、俯いて、両腕を顔の前で交差させたのが見えた。

 巒華は、ハンドルを大きく右に回した。ディセンダーを、トンネルの壁に突っ込ませる。

 右のフロントタイヤが、壁の表面に乗り上げた。そのまま、左のフロントタイヤ、そして、左右のリアタイヤも、乗り上げた。

 壁を、一気に駆け上がる。やがて、天井に達した。逆さになったディセンダーの屋根の下を、さきほどのトラックたちが、通っていった。

 車両は、取りつけてあった照明の横を過ぎると、柱と柱の間を抜けた。その後にも、照明が設けられていた。

 どうにも、避けることができなかった。がしゃあん、と撥ね飛ばす。

 ぶつかった衝撃で、スピードが、わずかに落ちた。フロントタイヤが、数センチばかり、宙に浮いた。

 しかし、壁を下りようとしているところであったことが幸いした。ディセンダーが前進することにより、フロントタイヤは、すぐさま、壁に接触した。

 車両は、そのまま、壁を駆け下りた。左端に位置する車線に、乗り入れる。

「ぐうう……!」巒華は、回転する重力方向に翻弄されながらも、必死に、運転に集中し続けた。

 彼女は、ぐるぐる、とハンドルを大きく回した。半ばドリフトしながら、ディセンダーを左に曲がらせる。数秒後には、ボディの向きを、道路と平行な方向に修正した。

「ふー……」思わず、巒華は安堵の溜め息を吐いた。

「これで、こちらに続いて対向車線を走っていた仙汕団のセダン一台が、脱落した」バックミラーを見ながら、嶺治が言った。「追っ手は、残り、二台だよ」

 数秒後、ディセンダーはトンネルから出た。そのまま、道沿いに走っていく。

 道路は、まっすぐ北に伸びていた。東側には、見るからに険しい山が聳えている。西側は、ほぼ垂直な崖となっていた。車道の十数メートル下に位置している地面には、木々が密集して生えている。もし、転落したら、ひとたまりもないだろう。

 その後も走っていくと、東側に聳えている山は、どんどん低くなっていき、やがて丘に、最終的には平地になった。巒華は、そちらに視線を遣った。道路は、現在位置より数十メートル進んだ所で、東への急カーブに接続しているからだ。

 道路は、その後、北に折れ、西に折れていた。最終的には、再び、北に折れており、そこからは、まっすぐ、北へと伸びている。いずれも、急カーブだった。

 東への急カーブと、二番目の北への急カーブは、ほとんど同じ経度上にあった。上空から見たならば、直線の途中が、東へ向かって、ぽっこり、と凹んでいるように感じられることだろう。これらの急カーブに限っては、道路の外側に、幅数メートルの草地があり、それのさらに外側が、崖となっていた。

「ん……?」

 巒華は、思わず、疑問形の声を上げた。道路の、一番目の北への急カーブと、西への急カーブの間において、アスファルト上を、黒い線が横切っているように見えたからだ。

 目を凝らし、よく観察する。数秒と経たないうちに、それは、縦列駐車された、数台の黒いセダンであることが、わかった。ほどなくして、どの車両にも、ボンネットに、仙汕団のロゴステッカーが貼られていることも、わかった。

「ロードブロック、ってわけですか……!」

 巒華は、ハンドルを握る手が汗ばんだのを感じた。どうにかして、あれを避けることはできないものか、と思う。左側は崖だから、右側から回り込むことになるが。

 しかし、その期待も、すぐに打ち砕かれた。セダンたちの右側は、高さ一メートルほどの、垂直な台地になっていたからだ。

 ただ、大して強い期待を抱いていたわけではない。仙汕団としても、容易に迂回できるような所に、ロードブロックを配置することはないだろう。

「ロケットは、あと、一発、残っているけれど……」嶺治も、セダンたちが縦列駐車されている地点を睨みつけながら、言った。「できれば、使いたくはないね。今後のことを考えて、温存しておきたい。

 だいいち、ロードブロックを砲撃したところで、道が開かれる、という保証がない。もしかしたら、車両が、中途半端にしか吹っ飛ばなくて、ディセンダーが通り抜けられるだけの隙間が出来ないかもしれないしね……」

 巒華は、きょろきょろ、と辺りに視線を遣った。何か、打開策はないか、探す。

 今、ディセンダーが走っている直線道路の突き当たりには、右への急カーブがあり、その外側には、幅が数メートルの草地がある。よく見ると、それの北方には、大きな岩が鎮座していた。歪んだ三角柱を横倒しにしたような見た目をしている。全体の三分の一ほどが、崖の端から、宙にはみ出しているようだ。側面のうち、上りスロープのようになっている面が、南を向いていた。

「あれです!」

 巒華はアクセルペダルを底まで踏み込んだ。ディセンダーを、ぐん、と急加速させる。

 数秒と経たないうちに、右への急カーブに差し掛かった。彼女は、ハンドルを切ることなく、車両を直進させた。ばきっ、とガードレールを突き破って、草地に躍り込む。

 巒華は、ディセンダーを、大岩に突っ込ませた。上りスロープのようになっている側面に、乗り上げる。

 かと思いきや、数瞬後には、ばひゅっ、と宙に飛び出していた。直後、ぼごおん、というような鈍い音が、背後から聞こえてきた。

 ジェットコースターが下降する時のような、気持ち悪さを味わう。その気持ち悪さには、向こう側の道路に着地することができず、地面に激突し、死亡してしまうかもしれない、という恐怖に起因するものも含まれているはずだ。

 巒華は、バックミラーに視線を遣った。さきほど、ジャンプ台として使った大岩が、崖の縁から剥がれ、落下していっていた。ディセンダーが乗り上げた時の衝撃に耐えられなかったに違いなかった。

 数分かと思い違いそうになるほど長い数秒が経過した。まず、左右のフロントタイヤが、二番目に位置する北への急カーブの外側にある草地に、どしん、と着地した。次いで、左右のリアタイヤも、同じ場所に、どどしん、と着地した。

「ようし……!」巒華は、右手で小さく拳を握った。

 彼女は、軽くブレーキをかけて、ディセンダーのスピードを、少し落とした。べきっ、とガードレールを突き破って、道路に戻る。

 ちら、とバックミラーに視線を遣った。ロードブロックの周囲にいる兵士たちが、大慌てで、それを構成しているセダンたちに乗り込んでいるのが見えた。巒華たちを追いかけるため、車両を発進させようとしているのだろう。

 直後、セダンたちのうち、ディセンダーから見て、右端に停めてあった一台が、急いでいるせいか、猛スピードで、バックし始めた。それは、ガードレールを、ぼきっ、と突き破ると、崖下へと落ちていった。

「ぼくたちを追いかけてきていた二台も、ロードブロックのせいで、すぐには追いかけてこられないだろうね。今のうちに、距離をとろう」

「承知しました!」

 巒華は、アクセルペダルを深く踏み込むと、ディセンダーのスピードを上げた。

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