第二章 蠢く気配 Ⅴ

 極限状態きょくげんじょうたいの中、あずさの脳はかつてないまでに高速で回転し、打開策だかいさくを探し続ける。


 心臓が早鐘はやがねを打ち、冷や汗が頬を流れ、口がやたらとかわく。

 

 梓が動けずにいたのはほんの数秒にも満たない僅かな時間。

 しかし梓にはそれが永遠に思えるほど長く感じた。

 

 張り詰めた空気の中、静寂が流れる。

 その静寂を破ったのは梓でも男でもなかった。


 轟音ごうおんと共にコンクリートの壁が崩れ、人影が飛び込んで来る――愁思郎しゅうしろうだった。

 遅れて到着した愁思郎が、階段を駆けあがるのではなく、壁を突き破って突入して来たのだ。


「なっ⁉」


 突然のことに男も一瞬動けない。

 愁思郎は男と人質の間に割って入る。


「――梓、今だ!」

「!」


 その一言で梓は全てを理解した。


「何だぁお前はァァァ!」


 男の火炎放射器が火をく。

 しかし愁思郎は腕を立てて頭部をガードしたまま、炎の中を突進した。炎は愁思郎でさえぎられ、人質には届かない。


「何ィィィ⁉」


 男は驚愕きょうがくに目を見開きながら、愁思郎に向かって火炎放射器を向け続ける。結果、男の注意が梓から外れた。


 その隙に梓が飛び出す。

 瞬く間に男との距離を詰め、飛び上がりながらのハイキック。


 男は愁思郎に気を取られ、全く反応できない。

 梓の足先が男の顎を蹴り抜いた。


  男は意識を失う――あごへの打撃で脳を揺らされ、脳震盪のうしんとうを起こしたのだ。

 男が倒れると、火炎放射器も止まる。


「……また動き出したりしないわよね」


 梓が念のため確認すると、男は完全に意識を失っており、目を覚ますような素振りはない。

 今度こそ制圧完了だ──梓はホッと胸をなでおろすと愁思郎に向き直る。


「ったく、何よあの登場の仕方。タイミング良すぎて、狙ってたんじゃないかって疑わしくなるんだけど」

「助けに入った仲間に対して、第一声がそれなのか?」


 さっそく憎まれ口を叩く梓に、愁思郎は苦笑した。もっとも梓の憎まれ口が照れ隠しの一種だと愁思郎も分かっているので、険悪な雰囲気にはならない。


「まぁ助かったのは本当だから礼は言っとくけど、あくまでもこの男を制圧したのは私だからね」

「あまり感謝されてる気がしないなぁ……」


 愁思郎の規格外のパワーなら、こんな雑居ビルの薄い壁など、ぶち破って突入するなどわけない。しかしそれを知らない男からすれば、愁思郎の登場には度肝を抜かれただろう。


 その動揺どうようが隙となり、梓が攻撃をするチャンスをつくる事ができた。

 もっとも愁思郎の発した一言で全てを察し、すぐに動き出せたのは、梓の機転と判断力が優れていたからに他ならない。


 ともかくこれで一件落着だ。愁思郎は気を取り直して、壁際で固まっていた女性社員に近づく。


「大丈夫ですか」

「――キャァァァァ!」


 手を差し伸べる愁思郎に、女性社員は悲鳴を上げた。

 恐怖に顔を歪め、這うようにして愁思郎から離れる女性社員。


「こ、来ないで! 近づかないで! このバケモノッ‼」

「――ッ!」 


 愁思郎の動きが一瞬止まる。

 何故この人はこんなにも愁思郎におびえているのだろう――愁思郎は疑問に思ったが、


「ああ……」


 すぐにその理由に気が付いた。

 窓ガラスに今の愁思郎の姿が写っている。


 火炎放射器の炎に焼かれ、愁思郎に施された人工皮膚じんこうひふコーティングが焼け落ちていた。


 両腕はメタリックな素体が剥き出しになり、頭部も部分的に機械のパーツが覗いている。


 元々が人間そっくりに出来ていることもあって、部分的に機械の身体が見えている今の愁思郎は、一種異様いっしゅいような姿をしていた。


 そんな愁思郎の姿を見て、女性社員はパニックを起こしたのだろう。

 ついさっきまでサイボーグの人質にされ、殺されかけていたのだから無理もない。

 


 しかしそれは愁思郎の心に深い影を落とすには十分だった。


「行くわよ愁思郎……後は外の機動隊に任せましょう」

「……そうだな」


 梓の声に、愁思郎は小さく答えた。

  




 その後、義手は取り外されて男は連行。人質になっていた女性社員は機動隊に保護され、事態は収拾された。


 愁思郎は人目につかないよう特別病院に連れていかれ、今回の戦闘で損耗そんしょうしたパーツの換装かんそうと再度の人工皮膚コーティングが行われている。 


(今日は愁思郎のごはん食べられないわねぇ……)


 遅ればせながら現場に到着した涼子は、事後処理に追われながらそんな事を思った。現場の検証は終わったので、これからデスクに戻って報告書をまとめなくてはならない。


 これだけ時代が進んだのに、警察組織は未だにデスクへの勤務が求められ、リモートワークは一般的になっていなかった。


 仕方ない側面もある。

 涼子が扱うのは機密性の高い情報ばかりなので、一般回線で情報を送ったりするのはリスクが高いのだ。


 暗号回線で情報をやり取りできる端末もあるにはあるのだが、機甲特務課きこうとくむかには貸与たいよされていない。新しい暗号回線端末まで予算が降りなかったのだ──結果、涼子ら機甲特務課の各室長たちは、デスクへの勤務を未だに余儀なくされている。


 涼子は停めてあった車に乗り込むと、自動運転をセット。

 車が動き始めるとすぐにノート型の端末を取り出し、報告書の作成にとりかかる。デスクに行ったら報告書を提出して、早く帰りたかった。


 涼子はキーボードを叩きながら、愁思郎の作る食事を食べられない事を惜しいと感じている自分に気付いて苦笑した。

 いつの間にか、三人での食卓が自分の精神的な支えになっている。


(これじゃどっちが保護者か分からないわね)


 愁思郎の悩みや苦しみが何なのか、涼子には分かる。

 彼が本当は何を求めているか、どうすれば彼が救われるかも分かっている。


 しかしソレは涼子には出来ない。立場上、愁思郎の求める答えを、涼子は口に出来ないのだ――その事に心苦しさを覚える。


 気付けばタイプする手が止まっていた。

 涼子はかぶり振る。今は余計なことを考えず、やるべきことを終わらせよう。


 気を取り直して端末に向かうと、涼子の白くきれいな指先がリズミカルにキーボードをタップする。


(それにしても、このところ事件が多いわね)


 報告書をまとめるのが、ここ最近多い──つまりはそれだけ機甲特務課の出動回数が増えているという事だ。

 自分でまとめた報告書を見返し、涼子はあごをつまむ。

 

 今回の事件で不可解なのは、男がどこで火炎放射器を手に入れたのかだ。

 その後の調査で分かったが、男はサイボーグであることを隠していたのを除けば、ごく普通の会社員だった。


 裏社会とのパイプを、男は全く持ち合わせていない。それが数日であんな重武装を手に入れて、白昼堂々はくちゅうどうどう凶行きょうこうに及ぶなど明らかに異常だ。


 この異常を作り上げている『欠けている要素ミッシングピース』があるはずなのだ。


 凶行に走る動機を持ったサイボーグと、それを実行に移す手段としての違法改造義肢いほうかいぞうぎしを結び付け、社会に反旗はんきひるがえすテロリストに仕立て上げる何者かが。


(……もしかして)


 涼子は端末のアーカイブから、とあるフォルダを開く。

 ファイルの名前は『義体ぎたいあかつき


 表立って声明の発表等をしていない為、その存在を知る者はごくわずかしかいないテロ組織の名前だ。


 便宜上べんぎじょうテロ組織として扱っているが、その実態はようとして知れない。

 いくつもの事件や思想犯の背後に、『義体の暁』があったという事が分かっているだけ。


 そもそも組織としての実体を持っているのかさえ怪しい。


 調査して分かっているのは、『義体の暁』は直接行動を起こさず、道具の用意と計画の立案だけを行い、外部の実行犯にそれを託すという事。

 

 そして『義体の暁』が関わったサイボーグは、例外なく凶悪なテロリストになってしまったという事――


(今回の事件の裏にも、『義体の暁』がいた可能性があるわね……)


 涼子は流れる夜景に目を移す。

 

 煌々こうこうと夜空を照らす街灯に、家路につく人の波。

 見慣れた日常の風景だ。

 

 しかしこの風景どこかに、危険なテロ組織が潜んでいるかもしれない。

 じわじわと日常が侵食しんしょくされているような感覚――得体の知れない何かが蠢動しゅんどうする気配を感じて、涼子は静かに身震みぶるいした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る