第二章 蠢く気配 Ⅳ
責任者と思わしき警官は、
不快感を隠そうともせず、顔をしかめながら警官は説明する。
「事件を起こした犯人は三十代男性のサイボーグ。このビルに入っている会社の従業員を数名殺害。今は生き残った従業員ひとりを人質に、逃亡用の車両を要求して二階に立てこもっている」
「他に仲間は?」
「いない。単独犯だ」
(違法改造したサイボーグが単独で雑居ビルを強襲?)
少し妙だなと梓は思った。
一体何が目的なのか見えてこない。
「犯人の男は、元々この雑居ビルに入っていた会社で働いていたらしいが、少し前にサイボーグであることを隠して働いていた事が発覚。それが理由で解雇され、解雇理由は不当だと申し立てたがそれも却下されたそうだ。今回の凶行は、会社への復讐だろうな――殺された従業員は、犯人の元上司と社長だったようだし」
「……なるほど」
梓は複雑な思いで、顔を
一口にサイボーグと言っても、色々なサイボーグがいる。
梓や
既定の条件を満たし、定められた機関で手術を受け、人間の手足と同程度の出力しかない一般仕様の義肢を装備したサイボーグたちだ。
彼らの人権は健常者と何らの差もないし、サイボーグであることを理由に不当な扱いをしてはいけないという事に、建前ではそうなっている。
──だが実際は違う。
今回のように、サイボーグであることが明るみに出たせいで、職を失うという事はよくある。
言葉のトリックで、『サイボーグである』ことを理由に解雇は出来ないが、『サイボーグである事を隠していた』ことを理由に、契約上の信用を
しかし不況が続く
愁思郎や梓だって、サイボーグであることを公表せずに高校に通っている。そうしないと普通の生活を送るのさえ、今の日本では難しいのだ。
「現場の映像資料はありますか?」
警官は持っているパッド型の情報端末を梓に差し出した。
防犯カメラの映像を入手したのだろう。
斜め上から見下ろすアングルで、やつれた風貌の男が会社内に押し入り、社員数人を殴り殺す映像が流れている。
男に殴られた社員は壁まで吹っ飛び、顔面が
(体格のシルエットにおかしなところはない――か)
映像以外には男のパーソナルデータがまとめられていた。そこには男の義手についてのデータも載っている。
「きちんとした機関で、ちゃんと国の認定を受けた義手を付けてる……」
だが通常の義手とは明らかに発揮されている出力が違う。
国の認定を受けた義手では、こんな殺し方はできないはずだ。
「そこまでは知らんよ。大方、恨みを晴らしてやろうと、裏から仕入れたんじゃないか」
「……」
犯人の男の体格に不自然なところはなかった。
通常、義肢を改造して出力を上げようとすれば、その腕や脚の太さや形状は不自然に大きくなってしまう。
手足の太さ・形状を変えずに出力を上げるには、高価な人工筋肉や高出力に耐えられるパーツが必要だ。
しかし近年、サイボーグ犯罪の取り締まりは強化されている。必要な改造パーツをそう易々と手に入れられる訳がない。
だというのに、男は手に入れた――
(一体どこから?)
考え込む梓に、警官は
「そんな事はどうでもいい! さっさとこの男を制圧しろ! それが君の仕事だろう‼」
「……了解」
梓は淡々と答え、腰の後ろ――制服の下に隠したホルスターから
小型の拳銃サイズで、強化プラスチック製の銃身はオモチャのようだが、撃ち出す
愁思郎のような全身義体のサイボーグでもない限り、このショックガンでも十分制圧は可能だ。ショックガンのエネルギー残量を確かめ、安全装置を外す。
最後にもう一度端末のデータを確認。
建物の構造、サーモセンサー、超音波探知機、防犯カメラの映像等から、雑居ビルの内情を細かく把握し、脳内で自分の行動をシミュレーションする。
(全速力で接近して、反応させずに人質から突き放す……)
梓は息を大きく吸った。呼吸を深くして、精神を集中させる。
お前は役に立つのかと、警官は相変わらず
この手の人間に、ムキになって言い返しても無駄だ。
実力と結果で
(行ける――)
脳内でのシミュレーションは出来た。
後はそれを実際に行うだけ。
梓は
「――行くわよ」
言うが早いか、梓はロケットのようなスタートを切った。
一瞬で最高速度まで加速。
ビルの入口から階段を駆けあがり、壁を蹴って二階のデスクフロアへと入るのに、二秒とかかっていない。
派手な音を立てて扉を蹴破り、デスクフロアへと侵入した刹那のうちに、梓は状況を把握。
デスクフロアの隅で、女性社員の首を掴んだ男が一人。
梓は駆け抜けた勢いのままに、男に飛び蹴りを入れた。
「――――ッ!」
男は反応出来ず、悲鳴をあげることさえ出来なかった。
梓の飛び蹴りを喰らった男は、女性社員から引き剥がされ、デスクを巻き込んで吹っ飛ぶ。
今だ――梓は男に向けてショックガンを撃った。
バズゥン!
独特な射撃音と共に、撃ちだされた集中電磁波が男を射貫く。
「がはっ……!」
「……ふぅ」
梓は大きく息を吐いた。緊迫した事件も、終わってみれば呆気ない。
(これなら愁思郎を呼ぶまでもなかったわね)
後は人質になっていた女性社員を保護して、外に控えている機動隊に男を引き渡すだけだ。梓は
「大丈夫――」
ですか、と梓が声をかけようとしたその時だった。
「――ぅぐううぅ!」
「⁉」
背後から
梓が振り返ると、男はふらつきながらも立ち上がっていた。その目は赤く血走り、一見して
(
梓はギリッと奥歯を
ショックガンは電磁波によるショックで対象を麻痺状態にする武装――あくまでも非致死性武器なのだ。
神経系の薬物などを
ショックガンが効かない以上、梓は肉弾戦で男を制圧するしかない。
手足を折るか、組み伏せるか。あるいは頭部への打撃で
「このアマァァァァ!」
男が殴りかかってくる。
梓は男の膝に横蹴りを入れ、前進を止めた。
男のパンチが空を切る。
蹴った脚がストッパーになって、梓の身体まで届かないのだ。
どれほど破壊力のあるパンチでも、当たらなければ怖くない。
男の膝を蹴った脚を軸にして、梓は空中で一回転。
後ろ回し蹴りを放つ。
梓の長い脚が鞭のようにしなり、硬い踵がハンマーのように男の側頭部に叩き込まれる――かに見えた。
(なっ――⁉)
男は銃口でも向けるかのように、左の手のひらを梓に向けていた。その瞬間に梓の背筋にヒヤリとした
それは機甲特務課のエージェントとして積んできた経験による
本能的に備わった危機察知能力。
梓は後ろ回し蹴りを中断し、全力で横に跳ぶ。
なんと男は左腕に火炎放射器を搭載していたのだ。
一瞬で判断が遅かったら、梓は
(コイツ何てものを仕込んでんのよ――!)
梓は内心で冷や汗を流した。
過剰な重装備だ。とても場当たり的な犯行におよぶサイボーグが、装備するような武装ではない。
「動くなぁ!」
男は左の手のひらを、梓ではなく女性社員の方へと向ける。
「少しでも動けぇば、あの女ぁを消し炭にするぞぉ!」
「…………!」
回らない舌で男が叫び、梓は固まった。
あの火炎放射器の攻撃範囲は広い。梓の脚でも女性社員を抱えて逃げようとすれば、一緒に炎の
では男が火炎放射をするより早く攻撃する?
――無理だ。
部屋に突入した時とは違い、最高速に加速するまでの距離が足りない。
この状況で梓が攻撃を仕掛けるのは、男の火炎放射を喰らいにいくようなものだ。
自殺行為に等しい。
自分から攻撃を仕掛ける事も、人質を連れて逃げる事もできない。
進退ここに極まった。
(どうする――どうしたらいいの⁉)
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