第四章 危険な男 Ⅰ
パーク最上階のコントロールルーム。
つい先程押し入った二人の男が、元いた警備員の死体を押しのけて、我が物顔で占領していた。
壁面に所狭しと並ぶモニターを、くたびれた男――
その横で銀髪の美丈夫――
渋沢の目は電子情報を読み取ったり情報処理を補助する、高性能マイクロコンピューターを内蔵した義眼だ。
20や30のモニターを全て監視することも、建物全ての装置を管理下に置くことも、この男には造作もない。
(渋沢の処理能力には、随分助けられたものだ)
紙面の字を目で追いながら、結城はそんな事を思った。
「それで、上月愁思郎は見つけられたかい?」
「いえ、それが……」
渋沢は腕組みをして、煮え切らない返事をする。
「何処かに隠れているみたいですね。とりあえず監視カメラ映像をしらみ潰しに見てますが、見つかりません」
「ふぅん」
さも当然のように結城は頷いた。
結城は愁思郎の能力を評価している。この程度の事態を切り抜けられないような男ではない、と。
「ただ……」
渋沢が言葉を続けた。
「どうしたんだい?」
「休憩スペースにいたはずの部下が一人、消えています。そして――」
そう言って渋沢は休憩スペースの映像を拡大表示させる。モニターには休憩スペースの散乱したテーブルや椅子、ひび割れた壁や床などが映し出された。
「明らかに戦闘の形跡が見られます」
「多分、上月愁思郎だろうね」
結城は愉快そうに頬を釣り上げる。
「さて何処に隠れたかな」
「んで、何で俺たちは女子トイレに篭っているんだ?」
愁思郎は蹴られた頬を押さえてぼやく。
カフェスペースでの戦闘を終え、ひとまず身を隠すことになった愁思郎たちが向かったのは、あろうことか女子トイレだったのだ。
少しでも愁思郎たちの発見を遅らせるため、戦闘不能にしたテロリストの男は拘束して、トイレの用具入れに押し込んである。
「ここならすぐに見つかったりしないからよ」
梓が答える。
「放送聞いてたでしょ? ここを占拠したって。やつら、ここの制御システムをハッキングしたのよ。ドローンの管制も奪われてる。ここの監視システムを使って、一人も逃さず、入場客を人質にするつもりでしょうね。でも――」
「トイレの中に監視カメラは設置されていないってわけか」
「そういうこと」
愁思郎は合点がいったと
ここに
「でもそれなら女子トイレじゃなくても良かったんじゃないか?」
「私たちに男子トイレに入れっていうの?」
理不尽な答えが帰ってきた。
「でもここに隠れていられるのも時間の問題だ。やつらだって馬鹿じゃない。監視カメラの死角である場所は、必ず目視で確認するはず」
「そう、あくまでここに隠れたのは時間稼ぎ」
「…………」
梓と愁思郎の会話を、美穂は呆けたように見ている。
「二人とも本当に特殊部隊みたいな仕事をしてる人なんだね」
「まあ、ね」
梓は
女子トイレに向かう道すがら、美穂には愁思郎と梓はサイボーグである事。国家公認の秘密組織の一員として、犯罪者の鎮圧などの任務を行っているこ事など、大体の事情を話してある。
普通に話しても信じてもらえなかっただろうが、愁思郎の戦闘を見たこともあって、美穂はすぐに信じてくれた。
「くれぐれも内密にね。あまり機密が漏れると、色々と問題なんだ。今は非常事態だからってことで」
「ふふ。うん、分かった」
美穂は微笑みながら頷いた。
今まで話せなかったことを愁思郎が話しくれた──それが嬉しいのかもしれない。
「外の警察とかに連絡って出来ないのかな?」
「それがダメなんだ」
愁思郎がこめかみを抑える。
「このドーム全体にジャミングがかかっている。外部との通信は無理みたいだ」
「そんなことも分かるの?」
「俺の頭部には無線も内蔵されているからね」
こめかみにスイッチがある。愁思郎がこめかみを押さえるのは無線をかけているサインだ。
「外部との連絡手段は考えがあるわ」
梓が腕を組む。
「ただ外部と連絡をとるにしろ、まずは状況を
言いながら梓が懐から細い棒状の物を取り出した。
梓が棒を地面に転がすと、輪切りになったように棒が分裂。幾つもの円盤が転がる──一つひとつはオセロの駒くらいの大きさだ。
と、さらに円盤が変形。足が伸びて、小さな
「何これ?」
「私の偵察用ドローンよ。これにドーム内を調べて貰いましょう」
コイン程度の超小型ながら、映像、音声を記録できる。
梓は端末を取り出し、
「行け」
ドローンが節足動物を思わせる動きで、女子トイレから出ていった。数分後、ドーム内を偵察してきたドローンが戻ってくる。
そこに記録されていた映像を、端末に映し出して確認した。
「これは……」
「難しい状況ね」
偵察用ドローンの映像から分かった現在の状況。
人質は百人以上。
一階の大きなホールに集められている。
テロ組織『義体の暁』は確認できるだけで二十人。
人質の監視役に常時二名が張り付き、それ以外は施設内を一定間隔で巡回している。もちろん全員が違法改造されたサイボーグだ。
最上階の制御系統管理端末があるコントロールルームだけは厳重に扉が閉ざされており、中に何人いるかは不明。
コントロールルームを抑えられ、ドーム内の全ての電子機器――監視カメラやドローン、自動ドアにいたるまで、全てが『義体の暁』の手中にある。
「この状況でどう動けっていうのよ」
梓が頭を抱えた。
サイボーグを倒して人質を救出する。
言葉にすれば簡単だが、実行に移すとなると難しい。
まず敵サイボーグは二十人。短時間の内に全てを倒すのは、不可能に近い。そして敵サイボーグの制圧に手間取れば、人質に被害が出るのは避けられないだろう。
では先に人質を逃がすのはどうか?
これも難しい。
人質が集められているホールは東西の通路二つしか出入り口がなく、その上東西の通路に一人ずつ見張りを立たせている。
見張りの目を盗んで人質を逃がすのは不可能に近い。仮に見張りを速攻で倒したとしても、百人以上の人間が避難するには必ず時間がかかる。
その時間、テロリストに悟られないか、手出しできないような状況を作らなければならないのだ。
難易度は非常に高い。
愁思郎は考え方を変えることにした。
自分たちで良い案が浮かばないのなら、作戦立案に優れた者に頼ればいい――例えば赤沢涼子だ。
「外部との連絡は? 何か手があるんだろ?」
「そうね、状況も多少分かったことだし、連絡できるか試してみましょう」
「でもどうするの南条さん? このドーム内はジャミングがかかっていて、電波による通信はできないんでしょ?」
美穂の疑問に梓は自信満々に答える。
「確かにここからじゃ通信はできないわ。なら、外に出て通信をかければいいのよ」
「どうやって?」
この女子トイレをふくめ、ドームの窓は人が通れるほどの隙間は開かないようになっている。
無理に窓を破れば、すぐにテロリストに気付かれるだろう。
「ドローンに出てもらうのよ。まあ見てなさい」
梓は手元の端末を操作する。
集まっていた偵察用ドローンが、今度は一列に並んで窓へと進む。
その時、蜘蛛を模したドローンから蜘蛛さながらに糸が伸びている。糸で偵察用ドローンは連結し、外まで伸びていく。
「あの糸は、超極細の有線なの。これで外まで出たドローンから電波を発して通信をかければ、ドーム内のジャミングに邪魔されることはないってわけ」
得意顔で話す梓。
すぐにジャミングの範囲外までドローンが出た。
赤沢涼子の端末にすぐにアクセスを取る。
『愁思郎! 梓! 無事なの⁉』
「なんとか」
「あたしはコイツのせいでダメージあるけどね」
今それを言わなくていいだろうと思うが、一理あるので愁思郎は何も言えない。取り合わずに話を進める。
「涼子さん、現状を報告します――」
愁思郎は現状を手短にまとめて、涼子に伝えた。
『――なるほど。たしかに難しい状況ね』
ひとしきり報告を聞いた後、涼子はそう言った。
『でも、突破口がないわけではないわ』
「本当ですか」
『作戦立案なら任せなさい』
やはり涼子は頼りになる。
普段の生活ぶりからは忘れてしまうが、彼女は二十代で機甲特務課の室長を任されている人物なのだ。こと参謀役として有能であることを、愁思郎はよく知っている。
『機甲特務課の特権ですぐに各部署と連携をとる。これから作戦を伝えるから、あなた達はすぐに準備を』
愁思郎と梓は頷く。
『いい? この作戦は人質が一階ホール。一箇所に集められているという事が最大のポイントなの。まず――』
涼子は淀みない口調で、作戦を告げる。
『――なので、配電システムには佐久間さん。彼女にいてもらう事になるわ』
「ちょっと待ってください!」
すかさず愁思郎は食って掛かった。
「民間人の彼女を作戦に巻き込むんですか⁉」
普段の涼子からは考えられない差配だ。
『非常事態よ。民間人の手も借りなきゃいけない時もあるわ』
「無茶苦茶だ」
『そうかしら? 配電室に隠れていれば見つかるリスクは低い。もし見つかっても彼らが配電システムを壊したくない以上、重火器を撃つような過度な攻撃もない。作戦決行後、梓が走ればすぐに救出できる』
「……でも」
「分かりました……私やります」
答えたのは美穂だった。驚いて愁思郎は美穂を振り返る。
美穂は顔を
「私も、人質になった人たちが殺されるのを見たくないから……」
「佐久間さん」
「大丈夫」
言い聞かせるように、美穂は言った。
「大丈夫なんでしょ? 二人が助けてくれるから」
愁思郎と梓は顔を見合わす。
佐久間美穂は大物だ。恐怖を感じながらも、やるべきことをやるという芯の強さを持っている。
ならば答えなくては──応えなくては、彼女の信頼に。
「ああ、大丈夫だ」
「美穂、あんたのことは必ず守るわ」
愁思郎と梓は口々に了解を返す。
『現場の覚悟は固まったみたいね。それじゃ持ち場に向かいなさい』
涼子との交信を打ち切った。
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