3-14
休憩している間にスピーカーからは深夜ラジオよろしく、声の主の噺が流れていた。彼は最近生まれた怪異だからか、世間の流行をとても心得ており、アニメなどのサブカルチャーに特に詳しく、最近のオススメを得意げに話してくれた。
だが、なにぶん元紀とラムジーはそういった分野に詳しくはなく、ただ一方的にスピーカーから声が出ている状態になった。しかし、彼の話を聞いて最近のアニメは面白い作品が多いのだと得心した。アニメは子供向けだと親から言われていたが、そうでもないらしい。何も親が全て正しいわけではないのだ。今度ネットで調べてみようかな。そんな明日への希望を少年は抱いた。
どれくらいそこで過ごしたか分からない、といえば嘘になる。ラムジーのスマートホンの時刻を見れば簡単だから。現在の時刻は午前一時十五分。ここに来てから三十分が経過した。
三人の体力と気力も幾分か回復した。そろそろ動いてもいいだろう。元紀は綾子の体を揺さぶって起こしてみた。体育座りのまま眠っていた彼女はゆっくり顔をあげると重たいまぶたを上げて元紀のことをじっと見つめてくる。彼はその瞳に少しドキリとしてすぐに目を逸らした。
「ほな、次は美術室に行ってみようか」
ラムジーは立ち上がってズボンについたホコリを落としながら言った。元紀は眠たい顔を叩き、綾子は軽くストレッチをしながらそれに賛同した。
「ありがとうございます。来れたら、また来ますね」
少年の言葉に声の主はあいよ、と軽く答えた。
*
やがて扉が閉まり、誰もいなくなった視聴覚室で主はボソリと呟いた。
『——悪いな、
そう言ってから彼の意識はテレビの電源が切れるみたいに、プツリと無になった。
*
美術室は視聴覚室の隣にあり、その広さは視聴覚室よりも一回り大きい。その代わり隣の席との距離は他の教室よりも広かった。おかげで教室全体の見晴らしがいいため、何か悪さをしてもすぐに先生にバレてしまう。しかも注意するのが、いかつい髭を生やした中年男性なのだから、ほとんどの生徒がこの教室に来ると背筋を伸ばしていた。
しかし、今夜は違った。注意する教師は誰もおらず、真っ暗な教室にはまるで誰かが座っているかのように、椅子が整列していた。その温かさを元紀は教室に入った瞬間から感じていた。
どうも様々なところから視線を感じる。美術室の周囲にはデッサン用の胸像がいくつか置かれていた。もしかしたら、彼らも怪異の一つなのかもしれない。
そんな教室の東側の壁の中央には例の「プリマヴェーラ」があった。イタリア人の画家、ドロサン・ボッティチェッリによって描かれたこの名画には六人の女性と二人の男性が描かれ、彼らの上にキューピットが弓矢を構えて描かれている。その周囲には木と花と草と果実が溢れ、まるでおとぎ話の世界にでも迷い込んだような幻想的な世界を生み出していた。
「これが、『七不思議』の一つ、『プリマヴェーラ』」
元紀は一歩前に出て絵画を眺めた。美術の久間木先生のせいでこうしてじっくり見ることができなかったが、なるほど、確かに素晴らしい。筆遣いといい、色合いといい、とても調和のとれた絵だった。
一説では、この絵画は春に急成長を遂げる世界のアレゴリーであるとされているが、目の前にある「プリマヴェーラ」は少し違っていた。
まるで、身体と精神が急成長する人間の性を内包しているように感じたのだ。その証拠に、この絵は原作と違って、人々の身体が生きているかのように、精密に、それでいてエロティックに描かれている。左手に写る三美神の幼さ残る体の細さ、右手にいるフローラの成熟した女性の丸み、そして中央にいるヴィーナスの
ふと、不思議なことに気づいた。絵の中央の奥にいるヴィーナスの目が三人のことをじっと見つめているように感じたのだ。もしかしたら錯覚かもと思うが、そうではない。
絵具で作られたはずのその目が、まるで8K、有機ELのように色鮮やかで滑らかだった。そんなベタな展開あるわけないだろう、と元紀は試しに右へ歩いてみる。すると、目も彼を追いかけるように動いた。
『驚かずとも良い、驚かずとも良い。其方らは幾重もの幻怪を目撃し、体験し、友を、仲間を失ってもなお、この地へたどり着いたのだ。褒めて使わそう』
三人が声をあげるよりも早く、絵の中にいたヴィーナスが口を動かして喋り出した。どのようにして声が聞こえているのかは定かではない。脳内に直接語りかけているようでもないし、かと言ってヴィーナス自身から聞こえているわけでもない。まるで、この絵そのものから声が出ているようだった。
「あの……、ワシらはあんたに聞きたいことがあって来たんや」
ラムジーが勇気を振り絞るように尋ねた。
『心得ている、皆まで言うな』
次に喋り出したのは、一番左端にいる真紅の布を体に巻き付けた青年だった。
『其方らの知りたいこと、』
次に話したのは、右から三番目の花柄のドレスを着た女性、
『それは第七の噂のこと』
その次は左にいる三人の女性のうち左側の目が一際大きい女性、
『それは我々が其方らを殺害できるか、と言うこと』
今度は先ほどの三人組の右側の金髪の女性、
『それは死んでしまった仲間はどうなるのか、と言うこと』
そして、三人組の真ん中の女性、彼女は後ろ向きのため、顔をこちらに向けて話す。
このように次々と人を変えながらも一貫した言葉を連ねていった。元紀はまるでイリュージョンショーでも見ているかのような錯覚を覚えた。彼らはただ話しているのではなく、元紀らの考えを読み取って答えているのだ。
これが「七不思議」のちから。
先ほどの視聴覚室のスピーカーとは大違いだ。こんなこと、いくら科学技術が発展してもできっこない。
プリマヴェーラの絵にいる人々は口々に先ほどの質問に答えていった。
『第七の噂』
『それは、この噂そのもののこと』
『我らは常にこの噂の元にある』
『すなわち、彼女が全てで全てが彼女』
『それは何人でも変えることは叶わない』
『そして我らは人を殺せない』
『この絵から出ることができぬから』
『しかし、他であれば異なり』
『理科室の幻怪、トイレの幻怪、図書室の幻怪』
『彼らであれば人を殺すことが蓋然であろう』
『ただし、他の幻怪は能わず』
『最後の問』
『死した仲間の行末』
『それは如何様にしても変わること能わず』
『其方らの力でも』
『我らの力でも』
『その事実を変えることはできない』
『さりとて』
『第七の噂であれば』
『彼らと再び邂逅することができよう』
『どんな形であれ』
八人の人間が口々に喋る中、唯一ヴィーナスの頭上にいるキューピットだけが口を開かずに、手に持った弓矢をしきりに放っていた。しかし、天使は目隠しをしているためか、的は当てずっぽうで誰にも当たらない。なんとも間抜けなキューピットだな、と元紀は思った。
『おやおや、もう我慢できなくなったのかい。そう焦らずとも良いのに。夜はまだ長いのだから』
そんなキューピットの様子に気づいたヴィーナスは優しく呟くと、そっと手を伸ばしてキューピットの目を覆っている布切れを取り払った。
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