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 三月一日水曜日午前〇時四十五分



 この校舎は人を殺す一方で助けもする、なんとも不思議な校舎だ。怪異というのは人を連れ去ったり、操ったり、危害を加えたりと恐怖させるために行動するはずだ。

 けれども理科室の怪異といい、コンピュータ室の怪異といい、怖がらせようという意思を感じなかった。コンピュータ室のパソコンにいたっては、ただ決められたプログラムのように点滅し、理科室の彼らはそれこそ人間となんら遜色なく実験活動に勤しんでいた。

 これにはもしかしたら「津江中学校の七不思議」が大きく関わっているかもしれない。三階の視聴覚室のスピーカーから聞こえる声を聞いて元紀は思考に耽った。


 南階段から三階に上がった三人は階段に一番近い視聴覚室に入って束の間の休憩を取ろうと思っていた。しかし、案の定と言うべきなのか、残念ながらと言うべきなのか、この視聴覚室にも怪異が起きていた。


 それは突如として、視聴覚室のスピーカーから聞こえてきた。


『お前たち、こんなところで何やってんだ?』


 元紀たちはその声に一瞬ビクッとした。しかし、今晩だけでいくつもの怪異を見てきた彼らにとって、スピーカーから聞こえるだけの声はもはや大人数のアイドルグループくらいに見飽きた産物になっていた。三人はそれぞれ嘆息を吐くと、再びくつろぎ始めた。


『あ、あれ? もうちょっとうわぁ、とか驚かない? 普通』


 三人の薄いリアクションに声の主も若干の戸惑いを見せる。


「うーん、でもピエロに比べればそこまで怖くないし……」

「理科室のような新規性はないかも」


 元紀と綾子は口々に声に対する感想を述べた。とても和む雰囲気を醸し出しているが、彼らは元々は五人だったということを忘れてはいけない。度重なるショックが彼らの精神をむしろ安定化させてしまったのだろう。

 いや、もしかしたら最近の子供は大人の思ってる以上に図太い神経をしているのかもしれない。


『確かにあいつらに比べれば劣るかもしれないけど、もうちょっと怖がってもいいでしょ。誰が喋ってるの、とか、電源も入ってないのにどうして聞こえるの、とか、疑問に思うことがあるでしょ』

「うーん、そんなの別に考える気も起きんのだわ。おっちゃん、済まないけどしばらく黙っといてくれんか? わし疲れたから少し休みたいねん」

『これが怪異に対する態度か?』


 ラムジーの素っ気ない言葉に主は少ししょんぼりした声を出した。まあそうだろう。人の恐怖というのは、考えても理解できないことから生じる。

 その考えることすら放棄してしまったら、それは野生動物と一緒になってしまう。大きな音や激しい光の明滅など五感に直接干渉しない限り、動物は恐怖を感じない。


「なら、一つ教えて欲しいんだけど」


 元紀は教卓に座ってスピーカーを見上げた。隣ではラムジーが寝っ転がり、さらに隣では綾子が眠そうにうつらうつらとしながら傷口に巻かれた布をさすっていた。


「この学校の怪異について。そして『七不思議』の勢力について教えてほしいんだ」


 それは理科室の人体模型が言っていたことだった。彼らの口ぶりでは、「七不思議」という大きな枠組みが他の怪異との区別になっているらしい。これからこの校舎の中を生き抜いていく上で、そして稗島や悠里が謎の死を遂げた原因を探る上で、「七不思議」についてもっと知っておくべきだと考えたのだ。

 しかし、声の主は何もなかったかのように黙り込んでしまった。元紀は喋りたくなくて無視したのか、と残念に思ったが、ややあってポツリとこう言った。


『俺のような下っ端が言っていいのかな』


 その声はとてもひ弱な三下に見えた。まるで自身が怪異であることを忘れてしまったみたいに。けど、元紀はそんなことを指摘せずに「うん、聞ける時に聞いておきたいんだ」と、もう一押しする。

 やがて声の主は覚悟を決めたのか、『俺が言ったって言うなよ』と口封じしてから語り出した。元紀はすぐさま手帳に「津江中学校の七不思議」と書き記して、メモする準備をした。


『そもそも、この島は怪異が起きやすい土地にあるんだ』


 第一声がそれだった。


『小さい島で、住民も殆どがこの島で生まれ育った人ばかりだから、噂もすぐに広まるし、抱いてる感情もほとんど同じなんだよ。だから、ちょっとした事が起きたとしても、原因が分からなければそれが噂となり、瞬く間に島の中で蔓延して、やがて怪異になる。俺たちはそうやって作られたんだ』

「じゃあ、君も人々が噂する力で作られたの?」


 元紀が間髪入れずに問いかける。


『い、いんや。俺が生まれる頃にはこの学校は怪異が生まれやすい環境にあったから生まれたってだけ。ちょっとした噂も怪異となってこの学校に現れてしまうんだ。だから、俺の場合も、どっかの誰かがこんな怪異もあったらいいな、なんて調子で作って生まれたんだろうよ』

「なるほど……」

『そうでもなきゃ、実際にここでを聞かなきゃならねえ。こんな深夜に三階まで上がってくる物好きなんて早々いやしねえよ。それに、俺はこう見えて二十年は生きてるんだから、お前らよりも年上だぞ。「きみ」呼ばわりはやめてほしいな』


「あっごめんなさい」と謝る元紀に声の主は続けた。


『まあ、わかればよろしい。つまり、この学校は元々怪異が多く存在する土地なんだ。しかし、ある時から噂の力に偏りが生じ始めた。まあ、人間は優劣を決めたがるから必然だろうな。その噂の力が大きい奴らが「津江中学校の七不思議」と呼ばれるようになった。それはお前らの知ってるように、技術室のピエロや理科室の科学者たちがそうだ』

「『七不思議』と呼ばれるには、何か決まりでもあるんですか?」


 元紀の問いに主は鼻で笑うと、

『そんなの、お前らの噂する頻度によって決まるんだろうよ。さっきも言った通り、噂が強ければ強いほど怪異も力を増す。お前らがその怪異を「七不思議」と決めた時点で怪異は「七不思議」になるんだ』と言った。


「理科室の人体模型が七不思議に勢力がある、みたいな言い方をしていたけれども、それもその「噂の力」によるものですか?」

『ああ、そうだろうな。俺はこの通り下っ端だから七不思議の勢力には詳しくねえが、「噂の力」が高ければ高いほど強い怪異になって、「七不思議」の中でも序列を上げていく』

「『強い怪異』って怪異の強い弱いの基準はあるんですか?」

『元々俺たちはこの世界に干渉できない存在なんだ。それを「噂の力」によって干渉できるようになっている。強い怪異はその分、この世界に干渉できるんだ』

「うーん……」

『例えば、理科室の科学者たちは理科室の中という条件下で。つまり、お前らの体に直接干渉することができるんだ。一方、弱輩の俺はこの視聴覚室内っていう条件をつけてもスピーカーから音を出せるだけ。お前らはこの通りラジオを聞いてるかのようにくつろいでる訳だ』


 なるほど、数ある怪異の中から力の強い怪異が「津江中学校の七不思議」として称号を手にするんだ。会社とかの組織にも平社員がいてそこから出世した部長がいる。それに近いものだろうか。元紀が論考を深めていると、先ほどまで横になっていたラムジーが首だけ起こして手を上げた。


「なあ、ワシからも聞いてええか? 『七不思議』の中には一つだけ分からん噂があるんよ。けれども、みんなが一つは『知らないけれども必ずある』っちゅうねん。お前さんはそこらへん知らへんか? 知っててもええと思うんやけど」


 声の主は『なかなか礼儀のなってない奴だな』と不平を述べると、そのまま続けた。


『俺もここに来てから日は浅い方だし、「名前のない噂」の話も聞いたことはあるが、会ったことはねえな。だから、どんなやつかもさっぱり分からねえ。けど、お前の言う通り、その噂は絶対にこの学校のどこかにあると思うぜ』


 質問が空振りに終わったので、ラムジーは「ふうん、そうか」と興味が失せてしまったように、再び寝っ転がった。その様子にいささかショックを受けたのか、スピーカーは、


『い、いや、でも俺じゃなくても「プリマヴェーラ」や「トイレのクミ子さん」なら古参だから知ってるかもしれないな。大丈夫、俺は彼らと面識はあるが、どちらもピエロみたいに野蛮な性格じゃねえ。きっと相談にも乗ってくれるさ』と名誉挽回に努めた。


「そんなら、ここで少し休憩してから美術室に行くか」というラムジーの提案に元紀は賛成した。『お前ら、もうすでに充分くつろいでると思うけどな』という声の主のツッコミも添えて。

 綾子はもうすでに事切れているらしく、うつらうつらとしている。その横顔はとても二人の人間の死と対面したようではなく、先行き不透明な彼らの道のりに咲く一輪の花のようだった。少なくとも元紀はそう感じた。

 出発する時になったら起こしてあげよう。元紀は胸が締め付けられる思いと迫り上がる欲情を抑えつけた。

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