3-5
『まったくもう、彼らを驚かさないでくれます、ワニさん』
教室の奥からとても優しい中性的な声が聞こえてきた。男の誇り高さもあれば、女の可憐さも兼ね備えた、なんとも不思議な声だった。ただ明らかに言えることは、その声は元紀らを欺こうとしているのではなく、本心から発せられているように感じた。
『だってよぉ、人間だぜ、人間! 今まで知識でしか知らなかった奴らを見れたんだ。本当に二足歩行で喋るんだなぁ』
ワニは好奇心旺盛な幼子みたいにきゃあきゃあ喚いた。彼(彼女?)の言葉を聞いたラムジーはごくりと喉を鳴らすと元紀の後ろに回った。
『こちらにどうぞ。四人とも大変だったでしょ。一先ず、ここで休んで行ってください』
再び中性的な声がして、元紀たちに理科室の机に座るよう促した。彼らが足を奥へ進めると、カルシウムでできた指が『こちらです』と黒板に近い机をさしたので、声の主は先ほどの骸骨なのだと推察し、確信した。
理科室の黒板の前には先生用の大きな実験机が置いてある。ここは普段、危険な実験や貴重な試薬を用いた実験を先生が披露するために使われる。
その実験机の上には今、平底フラスコが三脚と金網の上にあり、その下にあるアルコールランプの炎はフラスコの中にある薄緑色の液体を熱していた。その液体の中を濃緑の葉っぱが対流していることから、液体の正体はお茶だろう、と元紀は考えた。
やがて液体が沸騰すると、骸骨はアルコールランプの火を消し、クランプでフラスコを丁寧に持ち上げた。そして、ゆっくりとかき混ぜながら自分の目の前にある四つのビーカーに茶を注いでいく。注ぎ終わると、ほのかに湯気のたったそれを元紀らの前に置いた。
『冷めないうちに飲んでくださいね。と言っても、私は骨だけなので熱いとか分からないんですけど』
骸骨はそう言ってフフッと笑う。四人は恐る恐るビーカーを手にとった。立ち上った湯気からはほのかにハーブの香りがする。少年少女はハーブティーを口に含み突如襲ったストレスから束の間の癒しを味わった。爽やかな香りが血の気が引いた体を徐々に温めてくれる。
全員がビーカーにあるハーブティーをほとんど飲み終えた頃、理科準備室の方からガンッと物音が聞こえた。ややあって『ああくそ』と悪態も聞こえてくる。
『誰か手伝いに来てくれ。シグマ粒子射出器が外れちまった』
その声を聞くや否や、ワニがはいはーい、と理科準備室へ向かったが、すぐに怒声と共にこちらに送り返された。
『なんで四足歩行のお前が来るんだよ。お前じゃ何もできねぇじゃねえか。俺は両手が使えるやつを頼んだんだよ』
『だって、誰でもいいみたいな口ぶりだったから』とベソをかくワニと入れ違いに骸骨がいつものことみたいにそそくさと理科準備室に入っていった。ややあって、何やらカチャカチャと作業する音が聞こえてくる。その音を残して、理科室は優しい静寂に包まれた。
元紀はこの静寂からようやく安堵する気持ちを持てた。それと同時に猛烈に沸き上げてくる恐怖。
こんなはずではなかった。もっとみんなと和気藹々しながら進むはずだったのに、まさか一人死ぬことになるなんて。しかもあんな無残で恣意的な殺され方。この殺戮校舎は僕らをこのままのうのうと帰すはずがない。きっと、稗島と同じように凄惨な殺し方をして来るはずだ。元紀はそう思うと無意識に身震いした。
ふと、目の前から鼻をすする声が聞こえてきた。驚いて顔を上げると悠里がしきりに目をジャージの袖で拭っていた。無理もないだ。目の前でクラスメイトが、しかもさっきまでカイザック=ジェノスだとか言って格好をつけていたやつが酷い殺され方で死んだんだ。
そのショックはさることながら、次は自分かもしれないという恐怖が彼女の心を蝕んでいるのだろう。隣にいた綾子は「大丈夫?」と悠里の背中を撫でている。その顔もどこか辛そうだ。
隣の席からも鼻をすする音が聞こえてきた。そうか、ラムまでも——。なんかここまでくると僕も泣いてもいいのかもしれないな。
元紀も徐々に心の奥底から感情が溢れ出そうとした。自分も死んでしまうかもしれない、しかも病床で死期を迎えるような穏やかなものではなく、誰もが目を背けたくなるような悲惨な死に方をするかもしれない。そんなのは嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!
しかし、理科準備室から聞こえた一言で、彼が涙を流すことはついぞなかった。
『辛気くせえ雰囲気醸し出してじゃねえよ、中坊が。お前らまだ十代だろ。たかだか友人一人死んだくらいでメソメソしてんじゃねえ。俺たちくらい生きてると、誰か死ぬなんて日常茶飯事だぜ。社会に旅立つ予行練習だと思って受け止めろや』
そう言って理科準備室から出てきた物体に四人全員が目を丸くした。出てきたのは、なんと人体模型だったのだ。身体の左半分が皮膚で覆われ、右半分は筋繊維が剥き出しにされ、胸部から腹部にかけては肺や腸などの内臓がきれいに収められている、どこの学校にでもある人体模型だった。
彼(骸骨と違って、彼の股間部にはインクではっきりと「象」が描かれているから「彼」だ)の内臓を見ても稗島の時のように吐き気を催さないのは、あれが作り物だとわかっているからだろう。
『ちょっと、そんな言い方しなくてもいいんじゃありませんか?』
そう反論したのは同じく理科準備室から出てきた骸骨だった。
『彼らは「ピエロ」に友人を殺されたかもしれないんです。あの狂人に仲間を殺されたんですから、震慄の一つや二つくらいあるでしょう』
『あぁ? あのピエロが人を殺したダァ? うんな馬鹿な』
人体模型は胡散臭そうに顔をしかめると、元紀たちのところへ行った。
『お前らはあの気狂いが友人を殺したと思ってるのか?』
元紀らはおずおずとうなずいた。人体模型に尋問されるというのは中々異常なことだが、なぜ彼がしゃべれるのか、いやそもそもなぜ骸骨やワニの剥製がしゃべれるのか、おそらく考えても納得できる答えは出てこないだろう。だから、元紀は何も考えずにゆっくりと頷いた。
『じゃあ、ピエロが刃物なりなんなりを持って実際にお前らの友人を殺したところを見た奴はいるか?』
元紀は首を横に振って周囲を見た。皆も同様に首を横に振っている。それを見た人体模型はハッと鼻で笑うと、
『やっぱ見てねえんじゃねえか。なら、奴は人殺しなんかしてねえ。あーあ、心配して損したぜ。もし本当なら「七不思議」の勢力図がひっくり返っちまうからな』
と、安堵した表情を見せて四人に背中を向けた。
勢力図? 七不思議はお互いのことを認識しているのか。もっと原始的で、決められたプログラムみたいに動いているのかと思っていた。
元紀は自分が何か大きな流れの一端に触れたかのように、前後左右の感覚がわからなくなった。小説を書くときと同じだ。彼が編集者の目に留まった「呪霊戦争」を書こうとした時もこんな感覚に囚われた事がある。
そんな一人の作家志望など顧みもせずに人体模型は悠々と喋り出した。
『さあさあ、せっかくの客人なんだ。盛大にもてなすと行こうじゃねえか。タイミングの良いことに、俺たちゃぁこれから一世一代の大実験を決行する所なんだ!』
人体模型が指を鳴らすと、理科準備室からワニが台車の手すりにくくりつけられた紐を頑丈な口で咥えて運んできた。その台車の上には何やら大掛かりな機械が乗っており、その機械の周辺には円筒のパイプが一周して取り付けられている。
『これは「津江中学校小型粒子加速器」、通称「TSUE」だ! こいつを使って、俺たちは今日科学の歴史を塗り替える!』
彼方を指差し、決めポーズをとる人体模型に四人は何も言うことができなかった。実験室で実験をしてるとは聞いてたけど、粒子加速器? なんか思ってたのと違う。薬品をまぜまぜして時たま爆発するような、ポップなものをイメージしていたが故に、誰も声が出なくなってしまった。
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