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二月二十九日火曜日 午後三時三十分
元紀とラムジーがそれぞれ45Lのゴミ袋を持って教室を出ようとした時、
「ごめん、
彼女は隣にいる悠里に軽く手を合わせると、そのままたたたと駆け出した。この機会を逃せば私は一生後悔することになる。そんな胸騒ぎを振り払うように綾子は小走りで教室を横断した。
だが、彼女が到着するよりも先に二人は教室の扉を閉ざしてしまう。それに彼女はあっと声をあげた。それは珍しく彼女の心の奥底から出た声だった。彼らはもう行ってしまっただろうか。そんな僅かな不安を抱き、綾子は扉を開けて顔を覗かせる。
すると、そこには二人の男子がこちらを向いて立っていた。メガネをかけた金髪ツーブロックのハーフと、どこにでもいそうな影の薄い男の子。二人の顔を見て少女はほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、良かった。まだ帰ってなかった」
はにかんで見せると、元紀がおそるおそる尋ねてきた。
「ど、どうしたの? 澁谷さん」
予想通りの質問をされて彼女の胸はキツく締まった。落ち着け、落ち着け、と自身に語りかけながら、自分は何者であったかを反復する。私は澁谷綾子。成績優秀で人望があり、生徒会副会長とテニス部副部長を務める才色兼備の女の子。私は澁谷綾子。私は——
綾子は怪しまれないようにゆっくりと口を開いた。
「森島くんと関根くんさ、掃除中に稗島くんと話してたでしょ?」
少し気分が上がっていたからかもしれない。その言葉はどうも棘があるように聞こえたようだ。二人は先ほど清掃せずに話し込んでいたことを咎められるのではないかと不安げな表情を見せる。
「も、もしかして、怒っとるんか?」
ラムジーがか弱い声音で言ってきたので、綾子は慌てて両手を胸の前で激しく振った。
「う、ううん。そういうつもりで聞いたんじゃないの」
まずい、怒っていると思われている。もうちょっと柔らかく言わないと。綾子は意識して、普段通りに話してみようと心がけた。しかし意識すればするほど普段の自分を忘れてしまうのが世の常だ。なんとか平静を保とうと頬骨をあげて見せたが、それは妙に引きつっていた。
「ただ、さっきのホームルームから深夜の学校で、だとか、七不思議が、とか聞こえたから、何の話をしてたのかな、と思って……」
最後の方をあざとくしてみたが、これも違うなと思って心の中で首を傾げる。いや、普段からこんな喋り方をしていたかもしれない。どうだろう、もうちょっと芯があったような気がする。
そんなふうに、頭の中で軌道修正を図りながら、綾子は二人の少年に視線を移した。二人は顔を見合わせている。綾子は生徒会副会長だ。彼女の予想が正しければ、彼らがしようとしていることを綾子は立場上、止めなければならない。
だから、彼らはきっとはぐらかすはずだ。ならばここで逃げられないようにしっかりと退路を塞いでおこう。綾子は彼らが口を開くよりも早く言葉を発した。
「もしかして、三人で夜の学校に入るつもりなの?」
彼女の問いにラムジーは顔をこちらに向けて、若干震える声でこう言った。
「も、もし、そのつもりやったら、ど、どないする?」
ほぼ肯定ととれる内容だった。その回答に綾子は思わず微笑んでしまった。真夜中の校舎といういわば外界から隔絶した世界にこの二人と稗島は向かうことを暗に認めたのだ。
これは澁谷綾子が長年願っていた状況と酷似していた。あとはここに自分が飛び込めばいいだけ。そうすれば、自ずとヤるべきことは固まってくる。
遠くでカラスが一羽、
「あの、さ。もし、よかったらなんだけど。私も連れて行ってくれない?」
その発言に二人の男子は互いに顔を見合わせた。それもそのはずだ。本来なら夜の校舎に侵入しようとする不届き者を止めるべき彼女が同伴を申し入れてきたのだ。どう反応していいか分からないのも無理はない。それこそがまさしく綾子の思う壺であった。
よしよし、想像通りのリアクションをしてくれている。彼女は胸の奥からふつふつと湧き上がる興奮を抑え込むように、一言ずつ噛み締めながら言った。
「私ね、前々から『津江中の七不思議』に興味があったの。最初はどこにでもある普通の噂程度に思ってたんだけど、結構多くの人からそれを聞いて、古平くんなんかは実際にそれを体験したって言うし、本当かもしれないって思うようになったの」
「……」
「それで一目で良いから、『七不思議』の一つでもいいから、私自身の眼で見てみたいと思っていたの。けど、一人で行くには結構勇気がいるし、かといって私の周りの友達を巻き込むことは出来ないし……。
そんな時に、森島くんたちが『七不思議』の話をしていて、どうやら深夜の学校に入るみたいな内容だったから、もし、本当なら私も一緒に連れてってほしいと思ったの!」
彼女は最後の方を強く言い放つと、首を縮こめて、上目遣いで「ダメかな」と二人の男子に念押しした。クラスでも美人のランクに入る自分が、こういったあざとい行動をすれば、男子たちは漏れなくたじろぐだろう。
ましてや、元紀やラムジーのようにある程度理性が身についてきた思春期の男子にとって決定打になるに違いないかった。綾子の考察は見事実証されたようで、二人の男子はゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、それは生徒会的にはどうなの? ほ、本来、そういった行為を止める立場の人が夜の学校に忍び込むなんて、問題になるんじゃない?」
やっとのことで元紀は口を開けたが、綾子にとっては想定問答集に納められた極めて普通の質問であった。
それでも十四歳の女の子は考える素振りを見せるためにあえて下唇を出し、しばし時を持て余す。そして、しばらくしてから笑顔で言った。
「それはバレた時のことでしょ? だったらバレなければいいじゃない。バレたら高校に行けなくなるかもしれないけど、そういうスリルも味わえるなら、一挙両得よ!」
その破天荒な物言いに二人は気圧されてしまった。よもや、ここまで覚悟を決めているとは思っていなかっただろう。その決意に圧倒されたのか、はたまた彼女の存在感に困惑してしまったのか、二人はそれ以上何も聞かずに相談を始めた。
おそらく迷いはあるだろう。男子の中に女子が一人いることは中学生ともなれば異常なことだ。しかし、灰色の青春ノートに鼠色で洒落た紋様を描こうとした時、目の前に色鮮やかな絵具があったら画家はどうするだろうか。
さあ、どう出る。綾子は祈った。
「ま、まあ、そこまで言うんやったら、ええやろ」
ラムジーは仕方ない感じで言ったが、その顔色からは羞恥も垣間見えた。
綾子は心の中で大きく息を吐いた。すると次第に迫ってくる興奮の津波。やった、自分の思い通りになった。長年の、自分の悲願がいよいよ達成される。しかし、津波が沿岸部に到達する前に、ラムジーが声をかけてきたので、彼女は慌てて防波堤を作って押し留めた。幸いにも防波堤が決壊することはなかった。
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