第2話 倒れていた理由

「あ、ありがとうございます……ちょうど何か飲みたかったんです……」


 パン屋の店主に一礼をして感謝の言葉を口にすると、少女は一気にお茶を飲み干した。


「おいおい、一気に飲んだら咽ちゃうよ」

「だいじょうぶへぇ!? ゴホゴホ!」

「ほら、言わんこっちゃない」


 ズボンをまさぐってハンカチを探すが見つからない。

 仕方なくパン屋の店主に口を拭く紙などがないか聞くと、仕方ねえなと言いながら1枚の紙をもらった。


「これで拭きな。おやっさんありがとな!」

「良いってことよ。そちらのお嬢さんがお得意様になってくれればいいさ」

「美味しいパンをありがとうございます。また買いに来ます!」

「お金はあるのか?」

「ないですけど……」


 頬を膨らませながら少女は数回出雲の左肩を叩く。

 痛い痛いと言いながら叩いていた腕を掴むと、少女は右足で出雲の左足の脛を蹴り始めた。


「だから痛いって!? お金があるか突っ込んだから怒ったの!?」

「お金ならあるもん! 今はないけど、そのうち手に入れるから!」


 そう言いながら少女は歩き始めた。

 どこに向かうのか見当がつかないため、少女を呼び止めてどこに行こうとしているのか聞くことにした。


「どこか行くのか?」

「行く当てはありません……」


 俯いてどこも行く当てがないと呟いた少女。

 出雲はここまで関わってしまったからには何かをしてあげたいと思っていたが、どうすればいいのか考えはまとまらなかった。


「お前の家は1人にしちゃ広いだろ? そこに住まわせてあげればいいじゃねえか」

「俺の家ですか!? 確かに1人には広い部屋ですけど、色々と物が置いてあるので意外と狭いですよ?」

「お前はあまり物を捨てないからな。ま、整理整頓をするんだな」

「へーい……」


 肩を落としてどうするかと悩んでいると、出雲の肩に少女が手を置いた。


「私も協力するから、片付けましょう?」

「おお……女神か……」


 女神。

 その言葉を聞いた少女は、そんな存在じゃないわよと地面に目線を向けながら否定をした。


「そうか。じゃ、俺の家に行くか? とりあえずはゆっくりできると思うぞ」

「お言葉に甘えるわ。空腹ではなくなったけど、疲れが出てきたわ……」

「忙しいね。布団とかあるから今日はすぐ寝た方がいいよ。さ、案内をするね」

「ありがとう……とりあえず厄介になるわ。一緒にいるからって変なことをしないでね」

「そ、そんなことしないよ! 何かしたらおやっさんに殺されちまう!」


 パン屋の店主の目は娘を見送るかのような、父親めいた視線を出雲に向けていた。その視線を感じ取ると、一気に体中に鳥肌が立ってしまう。


「俺の目が黒いうちは変なことさせねえよ。安心しな」

「ありがとうございます! 安心します!」

「俺じゃ安心しないのかよ……」


(でも、どうしてあそこに倒れていたんだ? 髪色は銀髪だし、この辺りの人ではなさそうだけど?)


 まだ名前を知らない少女のことを不思議に思いながら、監視をするつもりで家に泊めることを了承していた。

 これからどう動くのか少女の動向を見つつ、配達所の所長に報告をしようと考えていたのである。「いつまでもここにいないでさっさと家に帰れ。商売の邪魔だぞ」

「悪いなおやっさん。また来るよ」

「ありがとうございます」

「おう! 気を付けてな!」


 パン屋の店主に挨拶をすると、出雲は少女を連れて自身の家に向かうことにした。1人でいた時とは違い、裏路地を通らずに正規のルートで家に向かう。 

 また変なことに巻き込まれるのはごめんだったので、慎重に周囲を警戒しながら歩き続ける。


(しかしどうしてあそこに倒れていたんだ? 何かに巻き込まれていたのか、何かから逃げていたのか?)


 自身の右隣を歩く少女を見ながら様々なことを考えていた。

 どこかの上流階級の娘で家から逃げてきたことや、どこかの町が襲われてこの国にまで逃げ延びたか、いくら悩んでも答えは一向に出ない。


「あ、この角を曲がった先にある集合住宅の一室が俺の部屋だよ」

「へー! 結構大きな建物に住んでいるのね!」

「集合住宅って聞いたことない?」

「う~ん……初めて聞くかなー。私のいた場所は平屋の建物ばかりだったからねー」


 何の歌か判別がつかない鼻歌を歌いながら少女は集合住宅への道を歩く。

 道中、何もなく歩くことが出来たので安堵をしていると家に到着をした。出雲の住んでいる集合住宅は木製であり、地上5階建てとして建設をされている。


「この建物の5階の角部屋が俺の部屋だよ。階段があるから行こう」

「はーい」


 出雲が先に階段を上がっていくと、その後ろから少女がカンカンとリズムよく階段を上がっている。


「どんな部屋なのかしら。楽しみだわー」

「そんなに期待をしないでいいから。普通の部屋だよ」


 階段を上り終えて5階に到着をすると、角を目指して歩く。


「さ、ここが俺の部屋だよ。あまり期待をしないでな」

「ふふふ。それはどうでしょうね!」


 ニヒルな笑顔を浮かべながら少女は出雲が扉を開けるのを待っていた。


「入って入って。ここが俺の部屋だよ」

「お邪魔しまーす」


 その言葉と共に少女が部屋の中に入る。

 出雲の部屋に入った少女は、まず散らかって横倒しになっている靴が目に入った。次に衣服がリビングに繋がっている廊下に置かれており、かなり散らかっている部屋だとの印象を受けているようだ。


「これは凄い部屋ね。散らかりすぎているわ!」

「そうか? そうとは思えないけど?」


 キョトンとした顔をしている出雲とは違い、少女は眉間に皺を寄せてどうしましょうかと何やら呟いているようである。


「とりあえず上がらせてもらうわね」

「どうぞどうぞ」


 履いている茶色いボロボロの靴を揃えて少女は部屋に上がる。

 出雲は丁寧に靴を揃えている姿を見て、揃える必要はないのにと考えていた。


「玄関から綺麗にしないと散らかり続けるわよ?」


 その言葉と共に少女がリビングに移動をすると、出雲の部屋を見てさらに驚いてしまう。


「リビングはそれほど散らかってないのね。奥にある窓の側に机と椅子が置いてあって、部屋の中心に小机とマットがあるだけなのね。部屋の大きさにしては簡素じゃないかしら?」

「まあ、孤児院から出た時から魔法配達士の仕事をしていたから特に買い物とかはしていなくて、必要最低限の物しか買ってないね」


 出雲の部屋は15畳のリビングとトイレに風呂がある部屋となっており、1人で暮らすには不自由のない広さを有していた。

 少女は静かに部屋を見渡すと、床に座って疲れたわと呟いているようである。


「地面に倒れていたのは、空腹以外に何か理由があったの?」


 単刀直入に聞くことにした出雲は、少女の目の前に座って何か理由があるのか聞いた。すると少女は逃げてきただけよと、聞き取りずらいほどに小さな声で言葉を発した。


「え? 逃げてきただけ? どういうこと?」

「ある秘密を知ってしまったから、私を殺そうと刺客が送られてきているの」


 刺客と聞いて、出雲は驚いてしまう。

 まさか殺されそうになっているとは思いもよらず、1人で刺客から逃れてここまで来たことにもさらに驚いてしまっていた。


「刺客からって、大丈夫なの!? ていうかどこから来たの?」


 少女は顎に人差し指を乗せて可愛い顔をしながら唸っていた。


「う~ん……東にある大国とでも言っておきましょうか」


(東にある大国? それって複数あるから分からないな……明日にでも配達所で聞いてみるか)


「今はそこまで詳しいことは聞かないけど、まだ追われているんだよね?」

「そうよ。今も隙を見られたら殺されるかもしれないわ」

「本当!? それはヤバすぎでしょ……」


 少女の言葉を聞いて剣を腰に差していたほうがいいなと思い、出雲は部屋の角に立て掛けている剣を手にした。


「剣を使うのね。私は魔法だけかな」

「魔法だけだなんて凄いね。強い魔法を使うの?」

「それは秘密よ。乙女には秘密が多いのよ」


(秘密が多いな。隠していることを聞き出すことは無理か)


「とりあえず敷布団を出すから、それで今日は寝てくれ」

「ありがとう! まさか暖かい布団で寝られるなんて思わなかったわ。今日も野宿かと思ってたし」

「今日も? 何日か野宿だったの?」

「3日くらいかな?」


 その言葉を聞いた出雲は口を開けて呆然としてしまった。

 隣を歩いていても良い匂いしかしなかったし、背負った時も髪から甘く良い匂いしかしなかったからである。


「風呂にも入っていないの?」

「そうよ? 臭かった?」

「いや、良い匂いしかしなかった」


 その言葉を発すると頬を軽く叩かれてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る