第14話

 見守り始めて数十分後、再び少年たちが集まり始めたと思ったら、急に事が動いた。

 それこそ、わざとらしく煽るように、少女めいた少年が真倉由良を抱えて怪木の前に立つ。

 標的に狙いを集中させた怪木の動きを翻弄しながら、再び駆け回り始めたと思ったら、今迄建物の陰で待機していた眼鏡の少年が動いた。

 少女たちを守る少年に近づいた若者の動きに、つい注意を取られていた凌は、動き出した二人の少年を目で追っていた律の、驚く珍しい声で我に返った。

 視線を移した先で、怪木が一気に黒い影で覆われる。

 小さく悲鳴を上げる男の声が背後でしたが、凌は思わず呆れてしまった。

「成程、考え付かない手だな。こういう手もあったか」

 感心した声になったが、その横で見守る律は、暫く唖然としたままだ。

「……食害虫。一体、あんな大量の虫を、何処で……」

 呻くような声で、最もな疑問を発する。

 その後ろで、何故か悲鳴を上げた友人の隣で安堵した男がいた。

「使ったか。こういう事ででも使ってくれないと、処分に困るからな」

 安堵の呟きは小さかったが、律にも凌にもはっきりと聞こえた。

 白い目で振り返る狐と、呆れ顔で振り返る男の視線を受け、塚本伊織が取り繕った笑顔になった。

「ああ、ご心配なく。若にはきちんと許可を得ておりますので」

「……そう言えば、納得できる事だと、思っているのか?」

 大概はその言い訳で納得するが、これはやり過ぎだ。

「この後は、どう収拾する気だ?」

 珍しく真っすぐな批判をする狐を宥めながら、凌が冷静に問う。

 あのまま、こちらが鳥肌ものの光景を我慢していれば、おのずと怪木は止まる。

 だが、それは我慢しなければならない程の間、暴れ狂うと言う裏返しだ。

 そうすると、どうしても取り憑いた食害虫は周囲に飛ぶ。

 その心配を冷静に指摘した男に、伊織は静かに返した。

「焼き払うのだと思います」

「焼き払うっ? どうやってだよっ? あんなでかい獲物を、一気に燃やせるのかっ? 焼いてる間にも暴れられたら、それこそ延焼しちまうだろうがっ」

 勢いよく聞き返す河原巧の声は、裏返っている。

 その友人を見返し、男は眼鏡の位置を戻しながら首を傾げた。

「市原さんの事を、知らないのか? 方向音痴だけが、特技の人じゃないぞ」

「あれは、特技じゃねえだろうがっ」

 特技じゃないのか。

 黙ったまま目を見張る凌にも、思わず白い目を向けて、律は静かに声をかける。

「方向音痴と言う売りを持った、特異な鬼だと認識していたんだが。もしかして、火を司る一族の血を、受け継いでいるのか?」

「はい。お子様方も、色濃く受け継いでおられるそうです」

 その威力は、その気になれば木造二階建ての一戸建てを、ものの数十秒で焼き尽くせるほどだと、酔っぱらった市原葵が口走っていた。

「……大袈裟すぎないか?」

「若はそれを聞いて、謙遜し過ぎじゃないかと返しておられましたので、控えめに言ったのだと思いますが」

「ほう、意外にいける口なのか。飲み比べしてみたいな」

 凌が驚いて話を横道に持って行こうとするのを、律があっさりと修正する。

「つまり、色濃く血を継いでいる子供二人も、それ程の威力はなくても、充分に対処できる、という事ですね?」

「はい。後は、いかに一気に周囲に虫が飛び散る前に、延焼させない勢いで燃やすかが、問題なだけです」

 その、だけの問題が一番難しそうなのだが、律は下の様子に目を向けながら小さく頷いた。

 怪木が、虫に覆われた瞬間、由良を抱えて飛び回っていた少年が再び建物の陰に戻り、そこで少年を下ろして空を見上げている。

 しばらく固まっていたが、意を決したように頷いて、動きを弱め始めた怪木に歩み寄っていく。

 その真剣な表情を見て、本気で周囲を考えて行動しようとしているのが分かった。

「延焼しそうなら、こちらが動きましょう。ついで、ですから」

 そして、その様子を見ている烏合の衆が、身を乗り出している気配も、あからさまに感じていた。

 恐らく、少年が怪木を退治し、完全に油断したところを襲う心算なのだろう。

「……この状態を見ても、全く動揺しないとは。あいつも、本当に心臓に毛が生えているな。しかも、何だ? あの格好は?」

 同じように、タイミングを計っている奴らの気配を気にしながら、凌が笑いを込めた呟きを吐く。

 相変わらず、妙な役回りをしている凌の甥っ子は、この状況になっても驚いていないようだ。

 大男の感想には同意見だが、律はもう一つ呆れた者がいた。

 凌の甥っ子の一人のその男は、鬼籍に入った者にしか、己でも他人でも化けさせないと言う、妙な規則を作っている。

 たしかにそいつも、この世にはいないが……。

「……その姿には、二度とならないと言うだけ、のはずなんだが」

 もし気まぐれに、その姿を使う日が来たら、どうするつもりなのか。

 それとも、今はいないからよしとしているのか。

 その辺りの境が分からない男の、個人の決まり事だった。


 市原凪は、幼い頃から虫という虫が苦手だった。

 そのきっかけは、家でよく見かける、あの黒いかさかさと走り回る物体だが、決定的になったのは、幼稚園時代、幼馴染が連れて来たある昆虫が、籠から逃れて飛び回り始めた時だった。

 飛び回るそれが何故か、家の中で発見した時、飛んで逃げ回るあの黒い物体の姿と重なり、思わず焼き尽くしてしまった。

 一瞬で灰と化した昆虫をペットとして可愛がっていた高野晴彦は、衝撃を受けて暫く寝込んだ。

 両親と一緒に高野家に謝りに行き事情を話したが、その時父親はようやくある事実に気付いたらしい。

「もしや、この一二年、うちにあの害虫が出ねえのは、お前がその都度焼いちまってるからか?」

 何処からか入ってくるはずのその害虫が、何の対策も取っていないのに出てこない、その事実に今更思い当たったのだ。

 母親もそう言われて手を打ち、笑顔になった。

「そうだったの。ピンセットで捕まえて、大きな蜘蛛を見つけて食べさせる手間が、この数年なかったと思ったのよ」

 薬使ったら蜘蛛にも影響が出るからと、かなり苦労して捕まえていたと語る母を、玄関先で迎えた高野夫妻は呆れ顔で見やる。

「粘着テープの捕獲器を、使ってはどうですか? いや、どうして生け捕って蜘蛛にあげるという手間をかけるのかも、いまいち分からないんですが」

「お兄様がやっているから、自然と……あ、お兄様は、ピンセットじゃなく、お箸でやっていましたけど」

「ど、どの箸ですかっ?」

 何やら母がとんでもない爆弾を投げて、そのまま高野家を後にしたのだが、後の事は与り知らない。

 だが、帰宅後難しい顔で話しかけて来た父の言葉で、凪の方針は少し変化した。

「お前は、虫だけを一瞬で消し炭に出来ちまうんだな。お前の姉ちゃんも、お前ぐらいの時は、男の服だけを焼き尽くしちまって、騒動を起こしたんだ」

「お姉ちゃんも?」

 この年の春に、一人で帰宅中の市原里沙を、大柄な男が抱え込んで物陰に連れ込んだ。

 だが、悲鳴を上げたのは男の方で、駆け付けた住民に猥褻の疑いで現行犯逮捕された時には、何も身につけていなかったのだそうだ。

「里沙の方には、せめて髪の毛だけ焼く程度に手加減できるようになれって、約束させたんだ」

「そうだったんだ……」

 しみじみと言った父親に、凪は驚いて返した。

「だからお前は、せめて驚いても虫の足だけ焼く程度に、手加減できるようになれよ。あんな虫でも、食物連鎖で餌にする奴も、いるんだぜ」

「分かった。頑張る」

「それから、攻撃するのはせめて害虫だけにしろ。友達を悲しませてまで、苦手なもんを消滅させるのも、後味悪いだろう?」

「うん。はるちゃんには、今度もっとちゃんと謝る」

 あの後、晴彦との仲は元に戻り、凪も露骨に虫を嫌う様子はなかったが、親友の二人はあの一度で懲りたのか、今この状況になるまで、昆虫の話をする事もなかった。

 小中学生の年頃ならば一番身近であったはずの昆虫たちと、凪の癇癪の為に触れあうことが出来なかったことは、申し訳ない気持ちだった。

 父親に言われてから、我慢と手加減を心掛けているつもりだが、きっと、ペットの酷い最期を見てしまった晴彦にも、当事者ではないものの目撃していた篠原和泉にも、深い心の傷を負わせてしまった。

 だから、いくら食害虫相手でも、焼き尽くすという行為は、正直人前でやりたくない。

 だが、後ろで心配そうに見つめているのは、幼馴染と姉だけではなく、その食害虫に襲われている怪木の飼い主も一緒だった。

 あんな苦しんでいる様を、養っていた少年に見続けさせるのも、酷だった。

「……絶対、あんな死に方したくないよね」

 鳥肌が全然消えないまま前に進む凪は、黒い小さな影を全身に纏って苦しんでいるように見える怪木を、睨むように見上げた。

「……観覧車の最上の高さまでぶん投げる、高い高いしてやろうかな。そうしたら、謝ってくれるかしら?」

 睨みながら呟く毒は、別な者に対してだ。

 吐き出した言葉で少しだけ気を取り直し、凪は静かに両手を胸元で合わせた。

 しばらく目を閉じてから再び怪木を見据え、恐る恐る両手を木の胴に張り付けた。

 一気に炎が駆け上がる。

 業火ともいえるその炎は怪木を包み込み、虫ごと焼き尽くしていく。

 枝の隅隅まで焼く業火は、僅かに抗うように枝を揺らす程度で、怪木を死へと向かわせていった。

 やがて動かなくなり、炎が風に舞い始めるのを見て、凪は灰と化した樹木に再び両手を貼り付ける。

 一気に炎が掻き消えるのを見て取り、完全に火が消えたのを確認して両手を引きはがして身を引いた。

 途端に、樹木だった塊が、地面に小さな音を立てて崩れ落ちて来る。

 くすぶる匂いが漂う中、凪は大きく溜息を吐いた。

 後ろで見ていた姉も、幼馴染二人も大きく安堵の溜息を吐く。

「終わった。相変わらず、すごい火力だな。しかも、消すことも出来たのか」

「まあね。もう小さな子供じゃないんだから、少しは考えてるのよ」

 退治はあの状態では仕方ないが、飼い主の憂いを考えて遺灰らしきものを残す余裕もある。

 少女めいた少年は、幼馴染に胸を張って言った。

「……ポチの残骸か、虫の残骸か、判断が難しいなっ」

 ぽつりと金田健一が呟くのを、速瀬伸が顎に拳を叩きこむことで止めたが、少し遅い。

 しっかりとその呟きを聞いた河原章は呆れるが、幸い遠い位置にいる高校卒業組の三人には聞こえなかったようで、凪の言葉にしんみりと頷いている。

「よし、一応、弔うぐらいはしてやろうな。由良君?」

 晴彦がやんわりと声をかけると、呆然と今迄の成り行きを見ていた真倉由良が、顔を歪めた。

 その様子を見て、凪が狼狽えて謝る。

「ご、御免ね。これしか方法が浮かばなくて……」

「……」

 無言で何度も首を振る少年の目から、滝のように涙があふれて来る。

「こ、怖かった……」

 それだけ言葉を発し、嗚咽を漏らす。

 それが、どの場面を指すのかは分からないが、少なくとも凪の動きは当てはまらないらしい。

 慌てて抱きしめて、頭を撫でる少女めいた少年から逃れることなく、そのままされるがままになった事を見ても、それは明白だ。

「……役得って奴か」

 思わず舌打ちする章に、呆れた健一の目線と伸の軽蔑した白い目線が突き刺さる。

「全く成長なしか」

 苦々しい呟きを吐き捨てる友人を宥めるように咳払いし、大柄の新高校生が先輩たちに声をかける。

「エコバック持ってるんで、これに灰を入れちまいましょう」

「……準備がいいな。もしかして、誰か知り合いがいたか?」

 鋭い事を言う晴彦に誤魔化し笑いを向けながら、健一も灰拾いに参加する。

 陰で見守っていた女子二人も手伝って、怪木の飼い主を慰めながら、灰を拾い集め終え、一つの作業は終わった。

「ほれ、お母さんには、ちゃんと謝って、事情を話すんだぞ」

 灰の詰まったエコバックを手渡し、乱暴に笑って見せる健一に、受け取った由良もぎこちなく頷いて、小さく礼を言った。

「あ、有難う、ございました」

「おう。中々可愛いな」

 友人の弟だと思うだけで、更に可愛く見えるなと顔を緩ませた健一は、視線の端に映った何かに顔を強張らせた。

「市原先輩っ」

 いち早くその存在に気付いた伸が、鋭く友人の傍に立つ先輩を呼ぶ。

 完全に気を抜いていた凪が、その気配に気づいて振り返った時には、遅かった。

 大きな人影が背後に立ち、その小さな体に手を伸ばす。

「へっ、隙あり、だなっっ」

 意表を突かれた凪が珍しく固まったが、その後が続かなかった。

 背後から襲い掛かった大男が少年を抑え込む前に、突然体を反らして倒れ込んだのだ。

「どこがだ。見え見えの動きで、見ていた方が恥ずかしい」

 大男と凪の間に、いつの間にかもう一人、同年の少年がいた。

 喉仏を狙って攻撃した森口水月の片手には、蓋を閉じたままの懐中時計がある。

「成程、意外に使えるな。鈍器として」

 鎖は絞めるのに使えそうだと、水月はやんわりと笑い、展開について行けていない新社会人三人を見た。

「ご苦労さんだったな。後は、少し休んでから、観光を再開しような。休みがてら、今度はお前たちが見物しておけ」

 周囲には、いつの間にか知らない人影が無数取り囲んでいた。

 それを見回す少年は、楽しそうに笑う。

「ようやく、暴れられるのか。余り骨がありそうじゃないが、今の世じゃあ仕方ないか。それに今回は、生け捕れというお達しだからな。丁度いい、手加減のお手本も見せてやろう」

 その笑顔は、惚れ惚れするほど美しいが、そんな感動を覚えたのはその時だけだった。

 恐怖が、それを軽く上回ってしまった。


 嬉々として、無数の敵の輪に飛び込む少年を遠目に見ながら、凌は呆れたように呟いた。

「楽しそうだな」

「久しぶりの、大暴れですから」

 大暴れは久しぶりだが、一応手加減はしてくれていると、森口律は分かっている。

 それは、隣で見守る凌も同様だ。

「だが、あれを初めて見る子らは、ちと心配だな」

 特に、先程まで怪木に手こずっていた三人は、今持った自信を完全に消失させてしまうかもしれない。

 比べるのも恥ずかしいと、落ち込んでしまいかねない。

「その辺りのフォローも、あの人がやってくれるでしょう。それより……」

 水月がやらなくても、師匠である若者たちや、周囲がフォローしてくれるだろうと、律はその辺りの心配はしていない。

 それよりも今は、この状況でも動いていない奴らが気になった。

「……虚弱の中に、比較的大物が、混ざっています」

 勿論今、水月が相手をしている者たちよりも、という意味だが。

「状況によっては、逃げかねないな」

 凌が身を引き、そちらに気を向ける。

 ここまでやって、取り逃がしがあるのも癪だと、律も頷いてそちらに集中したが、予想外の動きがそこで起こった。


 黄金と白銀は、飛び出していく群れを見送るしかなかったが、それでよかった。

 たった一人の少年が、その群れを壊滅させていく。

「……凄い」

「本当ね。全盛期と、ほぼ変わらないくらいに、復活したのね」

 カスミが小さく笑いながら、白銀が思わず漏らした感嘆の声に答える。

「でも、困ったわね。これではこちらの思惑が、完全には達成できていないわ」

「残念だったね。あまり、あの辺りの奴らを甘く見てたら、あんたでも痛い目に合うぞ」

 困ったように言う女を見上げ、黄金が珍しく笑ったが、カスミはそれにすぐ笑い返した。

「仕方ないわね。最後の手段、使いましょうか」

 口で困ったように言いながら、笑った目は二人の女の背後を見ていた。

「この二人を質にさせるのだけは、止めてあげないとね」

 狐の言葉と、誰かの怒号が重なって聞こえたが、二人はそれが誰のもので、どういう意味合いの怒号なのかも、カスミの言葉の意味も分からなかった。

 分かる余裕もなかった。

 カスミが二人の体を同時に捕まえ、物凄い力で放り投げたのだ。

 今まさに争いの最中にある、園内に。

 空中にあったのは暫くの間で、すぐに地面に叩きつけられた。

 元の姿に戻りかねない程の衝撃を、二人は地面を転がってやわらげ、身を起こしたその傍に立つ人物を見上げた。

 意外な人物を前に、驚くよりも先に戦慄を覚える。

「せ、千っ。何でお前が出て来るんだよっっ」

 白銀が喚くが、二人を守るように立つ望月千里は、二人が飛んできた方角を見据えたままだ。

 その意味を察し、千里にしがみ付く。

「……」

 固まった高校教師の目の前に細身の男が立ち、掴みかかろうとしていたその手首を、別な細い手が攫んでいた。

「まさか、ここまで手の内をさらさねば、正体を現さぬとは。甘く見過ぎていたな」

 カスミの声が、静かに言った。

「……狐の分際で、オレの邪魔をするか?」

 細身の男が顔を歪ませて、千里との間に立つ女を睨む。

「い、居たっ。気配はしてたけど、気のせいだと思ってたのに、居たっっ」

 狸の二人は取り乱してしまい、千里の両の足に一人ずつへばりつき、喚きながらその場にへたり込んだ。

 そのまま、動けなくなる二人に束縛されて動けない教師は、静かに目の前の男を見据える。

 細身の男もその視線を受けて見返すが、何を思ったか微笑んだ。

「やっと、会えたな。どこに隠れているのかと、随分探した」

「……そうなのか。私は、全く覚えてないんだが」

 正直に答える女に、細身の男は驚いて目を見張った。

「そうなのか。なら、丁度いい」

 にやりと笑った男だが、すぐに顔を歪めた。

 カスミが、未だ手を捕えたままだ。

「狐っ。その汚らしい手を……」

「主を半分以上食らっておいて、よくもまあ、こちらの汚さを指摘できるものだの」

 やんわりと狐が返して、続ける。

「お前は只の、年経た布切れであろうに」

 黄金が、目を剝いて顔を上げた。

 同じように白銀も見上げたその先で、カスミが二人を見返して微笑んだ。

「感心だの。未だ、その子の傍にいてくれておったのだな」

「……」

「修学旅行とやらでは、その子にしか会えなんだから、どういう事情なのかさっぱりであったのだ」

 目ばかりではなく、口も大きく開け放った二人に微笑みを投げてから、立ち尽くしたままの千里を見る。

 男から視線を移して見返した教師に、ゆっくりと言う。

「お前さんから、知った子の気配はあれど、何やら弱々しすぎるのが気になっていたのだ。そんな時にこ奴の気配を見つけて追った先で、この騒動に巻き込まれてしまった。再び生徒を巻き込んでしまったのは、済まなんだ」

「……今回は、この二人を守って下さったようなので、目をつむります。ですから、その男から離れた方がいい」

 千里は静かに答え、二人の背後へと目を向けた。

「巻き込まれる」

「ん?」

 カスミが振り返ると、そこでの乱闘は既に収束していた。

 初めに襲い掛かった大男を踏みつけ、森口水月が呆れ顔で自分を見ている。

 その隣に、手を合わせて術を唱える、古谷志門の姿があった。

 その隣で守るように立つ岩切静が、真面目に言う。

「いえ。動かないでください。あなたも一緒に、行ってもらいますので」

「な、何を言ってるっ?」

 尋常でない気配に、男の手を放して身を引きかかったカスミの足元の土が、不意に柔らかくなった。

 のめり込む土でよろめく狐の耳に、速瀬伸の呟きが聞こえる。

「何だ、先生が囮だったんですか?」

「まあな。昨夜聞かされていたが、気になることができて寄り道してしまってな。ここまで来るのが遅くなった」

 静かに答える千里の目の前で、術が完成する。

「へえ、土と水って、混ぜ方次第で使えるんだな」

「粘土みたく、土人形も出来るんだ」

「おう、それ、知ってる! 中々ワルだったんだってなっ」

 金田健一と河原章の会話で、土に何か仕掛けられたと分かったが、それに対処する間もなく、カスミは男と共にその場から消えた。

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