第1章 最上級の幸せを君に

第1話 リスタート

俺が少女を拾った日から早くも2日が経った。


葵ちゃんは今でも目を覚まさない。

俺が招いた結果だ。それだけに責任を果たすためつきっきりで看病している。


俺があの時助けなければ彼女をこんな目に合わせないで済んだのだろうか。

俺が余計な手出しをする必要はなかったのだろうか。

もしかしたら彼女なら一人で解決していただろうか。


それでも――言い訳ではないがこれ以上彼女が壊れてしまうのは怖かった。

昔の自分のその先を見るようで。


「……ううっ」


しんと張りつめた空気が漂う室内。

そこに鈴のような葵ちゃんの声が反響する。


「葵ちゃん!? 大丈夫か?」


ここで声をかけなければもっと遠くへ行ってしまう。

なぜかそんな気がした。

俺はもう誰も傷つけない。

葵ちゃんの妹だって助けなければならない。

関わってしまったのだ。俺には彼女たちを幸せにする義務がある。


――でも今はもう少しだけ、君のことに専念させてほしい。


「ここ……は?」

「目が覚めたんだね」

「ふぇっ? あなたは誰?」


「よかった! 本当によかった!!」


俺は夢中で葵ちゃんを抱きしめる。


「恥ずかしいよ。……って、どうして泣いてるの!?」

「ごめん、葵ちゃん! 俺の……俺のせいで」


俺はこの先罪悪感に押しつぶされないだろうか。

そもそもこんな方法でしか彼女を引き留められなかった俺がのうのうと生きていていいのだろうか。


ネガティブな感情がぐるぐると頭の中を駆け巡る。


それでも今は彼女を、目の前の少女を全力で幸せにする。

他の人が感じきれないくらいの

それこそが俺が彼女にかけた鍵だから。


「いたたっ」

「大丈夫か?!」

「うん、平気。私ずっと寝ていたの?」

「丸2日かな」

「そんなに?!」

「待ってて、雑炊を作ってあげるから」


さすがに丸2日も何も食べて居なければおなかがすくだろう。

かといっていきなり重いものは体に悪い。

そこで俺は雑炊を作ることにした。



***



目が覚めたら見知らぬ天井。どうやら家でも保健室でもないみたい。

隣には涙で顔をぐちゃぐちゃにした男の人がいる。

私のことを葵ちゃんって呼んでたっけ、あの人。

名前……なんとなく思い出せそうな気がする。

ゆう……ゆう……なぎ? 

そうだ! 私の名前は夕凪葵……だった気がする。

あの男の人もどこかで見たような。


それにしてもどうして私は2日も寝ていたのだろう。

頭はズキズキするし、体に力は入らない。

まるでインフルエンザにかかったときみたいだ。


どこかで倒れてしまったのかな? 

そしてあの人が助けてくれたとか? 


「お待たせ。できたよ」

「うわぁ」


男の人が湯気の立つお椀を持ってきた。だしのいい匂いがする。

お椀の中ではご飯が黄金色に透き通っただし汁に漬かっていた。

いっしょに入っていた鶏肉も食べやすい大きさにほぐされている。


それを見ただけで不思議と食欲が湧いてくる。

すごいなぁこんな美味しそうな料理が作れるなんて。


本当に私が食べてもいいのかな? 

そう思っていると彼がどうしたの? と首を傾げてきた。


それからしばらく間を置いた後、急に何かを思いついたようにパアッと明るくなった。


「はい、あーん」


ええっ!? いきなりあーんだなんて! 

もうそんな年齢じゃないのに。


……でも空腹には逆らえない。

ちょっと恥ずかしかったけど食べてみた。


味は想像通りとてもおいしかった。

だしの優しい風味が口に広がる。

鶏肉にもしっかりと味が染み込んでいてふわふわだ。

雑炊自体もちょうどいい水加減でするするとお腹に入っていく。

こんなにおいしい料理は食べたことがないかもしれない。


……いや、一度だけあったような気がする。

何を食べたのかは思い出せないけど。


結局手に力も入らないので全部あーんしてもらった。

久しぶりの食事ということもあってかとても幸せな気持ちだった。


いたっ。また頭がズキズキする。


あれ? なんでだろう。あの人の名前を知っているような気がする。

真白……壮馬……


私たちはどこかで会ったことがあるのかな? 

いったいどんな関係だったんだろう? 

知りたいけど……怖い。

だから……今はまだこの幸せに浸っていよう。



***



葵ちゃんが無事に目を覚ましてくれて本当によかった。

あの素振りじゃあおそらく俺のことも忘れてしまったのだろう。

真白壮馬、つくづく最低な男だ。

それでも今こうして葵ちゃんの意識が戻っているだけであの時の賭けは充分成功したといえるだろう。


これからどうするかはもう決まっている。

今まで彼女が経験できなかった幸せを取り戻すために一緒に楽しいことをする。

それは旅行かもしれないし、家でゲームをすることかもしれない。

幸せの形は人それぞれだ。

彼女が何に幸せを感じるのか。彼女のことをもっと理解しなくては。


「葵ちゃん、頭痛はもう大丈夫?」

「うん。今は治まってるよ」

「それはよかった」


時計に目をやると短針が本日2度目の8時を指していた。

入浴は……この様子を見る限りできそうにないな。

俺が風呂から出てきたら伝えるか。今後のことを。


「葵ちゃん、俺が風呂から出てきたら話があるんだ」

「うん、わかった」

「ちょっと待っててほしい」


シャワーで汗を流し、湯船に浸かる。

意識を取り戻してからの彼女はなんというか……幼く見えた。

妹の存在を忘れたことで姉としての威厳というか我慢のようなものがなくなったからだろうか。

なんて推測してみる。


あの日俺がやったのはあくまでも鍵をかけただけ。

時間が経てばいずれ彼女は真相を知るだろう。妹のことも。


自分の行いを悔いては励ましの繰り返し。

終わりのない自問自答。

ボロボロなのは案外俺の方かもしれないな。

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