第48話:雌伏の鋼鯨
1943年4月20日、この日、大日輪帝国と煌華民国との間で何度目かになる和平交渉が行われていた。
和平条約締結に置ける日輪側の提示した条件は3つで有った、1・
この内、元々黙認に近かった1と2は交渉の余地が有ったが、3の主要沿岸都市の租借に関しては断固として拒否された。
これに対し日輪側は最大譲歩である租借年数の引き下げ(25年)や煌華籍船舶の港湾使用料の優遇(船舶貿易特別措置)と蒼燐粒子の格安での提供(蒼燐輸出優遇措置案)を提示したが煌華側は全く取り付く島を持たなかった。
煌華民国としては海路を四半世紀もの間日輪に掌握される事は断固として認められず、日輪帝国も米国影響下の煌華から完全に兵を退く事など出来よう筈が無い為、折り合いの付け様が無く話し合いは平行線を辿る事になった。
そもそも煌華からすれば折角米国が参戦してくれたのである、このまま耐え続けるだけで勝利が転がって来る可能性が高いのだからこの状況下での講和には何の旨味も無い、つまり日輪軍の完全撤退以外で講和が成立する筈は無かったのである。
米国が参戦しているから沿岸部の租借も譲歩も認めない煌華民国、米国と戦っているから煌華沿岸部を手放せない日輪帝国、完全な悪循環のジレンマであった。
然しそんな中、日輪軍は次々と煌華内陸部から引き揚げて行き各沿岸都市部で防備を固め始めた、沿岸部まで軍を引くと言うのは御前会議での決定事項であり日煌交渉の成否とは関係無いからである。
そも島津も米内も上記の条件で日煌講和が成るとは思ってらず、煌華内陸部から軍を引き余計な損耗を避ける事こそが主たる目的で有った。
そして沿岸部まで引いた日輪軍は後方からの襲撃に注意を払う必要が無くなり且つ海路での兵站が確保出来る為、安定した補給による堅牢な防衛網が構築出来る様になった。
これに対し海軍を持たない煌華軍にはこの防衛網を破る事適わず、下手に攻撃すれば潤沢な武器弾薬で武装した日輪軍の集中攻撃を受ける事になる、米国が日輪を倒すまで耐えれば良いと考え始めていた煌華革命軍は
こうして沿岸都市部を実効支配しつつ戦闘を日輪に有利な状況で
こうする事で日煌両軍共無駄な損耗を避け且つ日輪帝国は煌華民国に対して講和姿勢を見せている事を世界にアピールし、沿岸都市部を返還出来ないのは米国の抗日姿勢に有るとし米国との対立こそが日煌講和の妨げとなっていると訴え掛ける事が可能となったのである。
無論、元々は義憤に駆られて行動した日輪陸軍の暴走が日煌戦争(紛争)の発端では有るが、それも元はと言えば天洲の日輪人入植者への襲撃事件が多発し、それに対して煌華民国政府が何も対策を取らなかった事が原因で有り、やり方に問題は有ったが関東軍の(当初の)行動は自国民を守る為の防衛行動で有った。
その二国間の紛争に米国や英国が強く介入して来たのは国連加盟国としての義務や公正性などでは無く、単に自国の利権保守の為に日輪帝国が力を持つ事を良しとしない利己的思考から来るものであった。
そして
それは政治を知る知識人で有れば誰もが理解出来る事で有った。
故に島津と米内はその事実を
日輪が米国に
そんな状況下で日輪にとって想定外の事態が起こった、南京郭や洛陽京など都市部の住民が撤収する日輪軍に追い縋って来たのである。
『
住民達は口々にそう言って追い縋って来たと言う。
近年煌華大陸では都市間で経済格差が広がっていた、それは日輪の統治地域と煌華民国の支配地域でハッキリと分かれ、言わずもがな日輪統治地域の方が急激な経済発展を遂げていた。
これは日輪が特別な政策を施した訳では無く、統治国として当然の政治を行ったに過ぎないのだが、その当然の政治が日輪統治前には行われていなかったのである。
民族不和から起こった辛亥革命による変革は当初から利権に塗れた物であり煌華民国の政治は最初から腐敗していた。
社会階級が不変的で絶対的なものであり政治も法律も民から搾取する事しか考えていなかった、それを物語る様に南京郭が日輪軍に攻められた時など蒋介岩は総督に任せて早々に重京に遷都し、後を任された総督はあろう事か部下に都市内での略奪を指示しその後都市に火を放つとそのまま姿を眩ませた(密かに共産党に降った)のである。
悲惨で有ったのは南京郭の住民で有った、略奪で金品や食料を奪われ挙句住居に火を着けられ、その上逃げ遅れた国民革命軍の兵士の一部が便衣兵として都市内に立て籠もり無差別攻撃で応戦した為、民間人に多数の犠牲が出てしまった。
その後、炊き出し等の食糧支援や医療支援で南京郭の住民を保護したのは日輪軍であった、破壊された建物や道路などを復旧し総督府を立て都市機能を回復させ都政を整備し経済をも回復させた。
その間、煌華人民を守るべき筈の革命軍は都市内に便衣兵や義勇兵と称したテロリストを送り込み幾度も破壊工作を行って来た、それ等から南京郭の煌華人を守って来たのは日輪軍で有ったのだ。
その日輪軍が煌華大陸中央から去る、愛国心に猛る者はそれを喜んでいたが、知識人や革命軍の本性を目の当たりにして来た市民達はそれがどういう事かを悟っていた。
その心情を代表するかの如く南京郭の報道を取り仕切る南京新聞の見出しには『
これは番犬となっていた日輪軍が居なくなれば貪り食うだけの国民党が帰って来ると言う意味で有り、後の世にも知られる有名な言葉となるのであった。
追い縋り助けを求める相手を番犬呼ばわりするのは如何な物かと言いたくなるが気位の高い煌華人らしいと言えばらしいのであろう……。
とまれ、こうした事態は日輪占領下の各都市で見られ、比較的裕福な市民は全財産を持って、そうでない者も着の身着のまま日輪軍の引き上げ先にまで付いて来ると言う者達が後を絶たなかった。
これは日輪統治前の煌華国民党の政策が如何に悪かったかを物語っていた、それまでは是が当たり前と思い半ば諦めに近い心境で生きて来た煌華人民にとって日輪の政策は正に革命が如く映ったのだ。
そうなるともう昔には戻れない、人間は退化する事を許容出来ない生き物なのである。
その実情に煌華民国政府は頭を抱え、特に宣撫工作で日輪軍を絶対悪として民衆を味方に付けゲリラ戦術を展開していた華北の八路軍は窮地に立たされた。
散々日輪軍は残虐な虐殺者であると宣い
それで無くとも最近では日輪軍の軍警察組織である『見廻り組』によって
その上、日輪軍に治安の安定している沿岸部に固まられてはゲリラ戦術も効果を成さず、かといって真面にぶつかれば損耗は計り知れず
ただ日輪軍も追い縋って来た都市民への対応に苦慮していた、財産を持って付いて来た者達はその資金力で勝手に付いて来るし着の身着のままの者を追い返せば待っているのは残酷な現実となるからだ。
この状況に神皇は各沿岸都市に対して移住を希望する民は可能な限り受け入れる様下知した、これに各都の総督は難民による治安低下やそれに紛れた便衣兵の存在を懸念したが軍警察と駐留軍が協力して治安維持と仮設住居の設営等を行う事を条件に何とか説き伏せる。
その後も様々な混乱は有ったものの、日輪軍の『大撤収』は同年7月には概ね完了する事になるのである。
一方、海軍もまた大きな動きを見せていた、同年5月5日には印洋派遣艦隊がセルガポールに到着し艦隊司令である志摩中将が迎極東国防艦隊作戦参謀『ルーヴェルト・フォン・ロイター』中将との会談を行い、改めて日印洋派遣艦隊に対して英東洋艦隊の撃滅とセイラン島はトランコメリー基地とコロボン基地の無力化、英国前哨基地であるモルディバの制圧を目標とする事を依頼され、それが首尾良く進めばダマルカス制圧戦にも協力するよう要請を受けた。
現時点に置いてゲイルも未だ紅海を完全には掌握しておらず、ここで英東洋艦隊が攻勢に出て来ると迎極東国防艦隊の損害は甚大な物となりダマルガス島奪還作戦に支障が出る、それを防ぐ為、英東洋艦隊をベンガル湾に釘付けにする為に日輪艦隊の印洋派遣を要請したのである。
つまり日印洋派遣艦隊が英東洋艦隊を引き付けている間に紅海を制し迎国防陸軍の部隊をダマルガスに送り込む、日輪が負けても時間稼ぎになり勝てばダマルガスの制圧にも協力させたい、それがロイターの狙いで有った。
これだけ聞くと誘導弾の技術を餌にゲイルに良い様に使われているだけに見えるが、セイラン島を無力化し英東洋艦隊を撃滅すればベンガル湾の制海制空権を手中に収める事となり、膠着しているビルム戦線の打開とその目的である援蒋ルート(米英の煌華支援ルート)の阻止に繋がり、ゲイルがルエズ運河とダマルガスを制圧すれば援蒋ルートの復活も無くなる為、日輪側にもしっかりと利益は有った。
とは言え、現段階で大規模艦隊をインドラ洋に送る事は全く計画して無かった為、日輪海軍からすれば迷惑極まりない事に変わり無いが……。
とまれ志摩提督と伊藤参謀はロイターのもたらした英東洋艦隊の情報を元に作戦立案を進めていく事になる。
一方で南太平洋域に置いてはMO作戦開始が迫っており主力艦隊がルング沖に停泊する中、第十三艦隊はガーナカタル南方ユール基地沖に停泊していた。
MO攻略艦隊が出撃すれば前回同様米機動艦隊がその進行を妨害して来る事が確実で有る為、第十三艦隊はその牽制役を任されたのである。
そのため第十三艦隊には3月末と4月初旬に竣工したばかりの大鷹型軽空母
これは第十三艦隊に期待されているのが大和と武蔵の砲火力である事を物語っており、直掩機は大和と武蔵にと言うよりは旗下である水雷戦隊の為のものと言える。
2隻とも習熟訓練の期間が短く練度がまだまだで有り現状気休め程度のハリボテに過ぎないが軽空母ながら60ノットの高速に
これに大和、武蔵、出雲の瑞雲を合わせれば第十三艦隊は、84機の直掩機を保有している事になり数だけで有れば機動艦隊にも引けを取らない制空能力を擁している。
更に第十三艦隊直下の海中には第六艦隊第八戦隊の伊号潜水艦隊が潜んで居る、伊300型を旗艦に伊200型8隻で構成される高速潜水艦隊である。
伊号1型と、旗艦型である伊号100型は水上速力40ノット水中速力30で安全深度が200㍍と言う水上艦を基本とした可潜艦で有ったが、伊200型と300型は水上速力50ノット水中速力60ノットに安全深度は400
また伊300型は指向性通信装置と境域音波通信装置を持ち、周囲(最大)10km圏内の境域音波通信装置を搭載する水上艦艇と交信する事が可能で、その情報を元に伊200型に指示を送る事が出来る仕様となっている。
是によって水上艦隊と潜水艦隊が密に連携をする高度な艦隊戦術が可能になる事が期待されているが、現状では連携訓練すら覚束ない状態である為、暗中模索の過程であった。
然し其れでも新たな局面に向かって動き出し始めた情勢は艦隊の練度など待ってはくれない、今の練度、今の状態で出来得る限りの性能を発揮させて行くしか無いのである。
====皇京湾南方100km・夢島諸島某所地下基地====
山の内部をくり抜き奥行き1.2km、幅2.4km、高さ200
洞窟の支えとして組まれている
その港湾施設には伊400型4隻と伊300型が停泊しているが、その奥には伊400型の1.5倍は有ろう全長400
「こいつは驚いたなぁ、伊400もでかいと感じたが、あいつに比べると子鯨だな……」
伊301潜の艦橋から巨大潜水艦を眺め、感嘆の溜息を洩らしながらそう言うのは第六艦隊第九潜水戦隊司令
「あれが噂の伊900型ですか、伊400の全長が260
原田の言葉に伊301の艦長が伊400型と伊900型を見比べながら言った、伊900型を眺めるその表情はどこか呆れた様な感じも見受けられる。
「ふむ、伊400の図体がでかくなったのは潜水空母だから仕方ないが……まぁあの艦は八刀神景光の設計だからな、
「ですね……ただあの艦は今度の遣迎潜水艦作戦の訪迎艦として使用されるそうです、あの図体ですから途中で発見されないか心配です……」
「ふむ、まぁ山本長官のご指示なら何かお考えが有るのだろう、それに我々も
「そうでありました、では互いの無事を祈ると言う事で……」
そう言うと二人は口角を上げ暗い軍艦色の艦体を照明の光で鈍く光らせながら雌伏し時至るを待つ鋼鉄の大鯨達の雄姿を誇らし気に眺めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます