第46話:トーラクの休日

 1943年3月3日 時刻09:30 天候快晴


 東洋の翠玉湾と称される南の楽園湯洛とうらく、人口は28000人を超えており、その内5000人は日輪人が占めている。


 それらは主に入植者や軍施設の庸人とその家族、政府支援の下ロノアス市やウェナ市で商売をする者達である、その内容は実に多彩であり料亭や商店等と劇場や映画館等も有った。


 それらの日輪人向けの施設は主にロノアス市に存在し、ロノアスの一区画は日輪国内と大差ない街並みを形成している。


 逆にウェナ市は南国情緒溢れる観光地となっており、トーラクでしか味わえない娯楽が多数存在する。

 

 トーラクは第一次世界大戦まではゲルマニアの委任統治領で有ったが、その頃はゲルマニアの一部の高官達の別荘地くらいしか文明と呼べるものは存在せず、現地民の扱いもそれ等を維持する為の奴隷に等しいもので有った。


 しかしゲルマニアが大戦に敗れ、日輪がトーラクの委任統治権を得ると彼らの生活は一変する、まず農耕の普及である、当時の島民は主に漁や狩りで食料を賄っており、農耕は殆ど行われておらず自生している果物を採る程度で有った。


 そこで日輪政府は農業関係者と専門学者を派遣してトーラクの気候に合った農作物を研究し現地民に農耕を教え込んだ。


 その結果島民達の食糧事情は数年で飛躍的に安定する、更に畜産も加える事で質も向上し餓死者が出る事が無くなった、その為出生率も大幅に上昇し現在(1943年時点)の人口の半数近くが10代から20代の若い世代となっている。


 農耕の普及政策から少し遅れて行われたのが本格的なインフラの整備であった、各島に道路を敷設し特に夏島と春島は雑多な集落を都市整備し発電所も建設された。


 勿論これ等は只の親切心と言う訳では無く、トーラクを世界中の富裕層向けの観光地とする事によって発生する利権を目的とした政策であり各島に建設した飛行場や港湾施設は後々軍事施設としても利用出来ると考えての事であったが、生活水準の向上と言う恩恵を受けた島民には深く感謝され事になる。


 然し観光地化は1929年から起こった世界恐慌によって一時頓挫する事になる、だが農耕と畜産で潤った食糧事情と日輪政府が整備したインフラによって島民の生活には殆ど影響は無かった。


 そして日輪政府は教育にも力を入れた、主なカリキュラムは日輪語と社会・道徳で優秀な者には数学も教えている。


 日輪語と社会・道徳教育で日輪人入植者や政府関係者とのコミュニケーションが円滑になり、数学を学ぶ事で商業に携わる者も出て来た。


 そうした日輪国の取り組みは搾取するだけであった今までの支配者達とは全く違い、島民の生活水準向上やその後の未来迄も本気で考える日輪国に対し島民は感謝と尊敬の念を抱き、その関係は非常に良好なものとなっている。



 ====トーラク・春島港====

 


「やって来たぜ南の楽園!」

「……騒ぐな戸高、休暇中でも帝国海軍軍人の品位を保て」

「んな堅い事言うなって! 軍服来てなきゃ品位も何もねーだろ!」

「……はぁ」

 春島港の桟橋に降り立った戸高はテンション高め明らかに浮き足立ちそれを正宗が諫めると言う最早定番のやり取りをしている、が、正宗の覇気が少し足りない様で更に突っ込む事は無く溜息で終わっている。


「アレ? ヤァ、タツナリサン、ヒサシブリデス!」 

「お! ようポルコイじゃねーか! 久しぶりだなぁ!」

「タツナリサンハ、イツモゲンキデスネ!」

「おう! それが数ある俺の取柄の一つだからな!」


 そんな戸高達のやり取りを見て港湾作業員の青年が笑顔で声をかけて来る、ポルコイと呼ばれた青年は褐色の肌の健康的な青年で名前とカタコトの日輪語から分かる通りトーラクで生まれ育った島民である。


 彼とは以前大和がトーラクに停泊している時に夏島で知り合っておりロノアス市内の案内などをして貰った仲であった。


「……マサムネサンハ、ゲンキ、ナイデス? ダイジョウブ?」

「……ああ、大丈夫だ……」

「っ!? こ、こいつは生真面目だからな! 仕事で気疲れしてるんだよ、だからウェナ市で命の洗濯をしに来たのさ!」

「ソウナンデスネ、ココデユックリ、ツカレヲナオシテクダサイ!!」


 ポルコイの言葉に戸高はギクリとし、空かさず正宗のフォローに入る、それを訝しむ事無くポルコイは人懐こい笑顔を浮かべる。


 あの後・・・、正宗は即座に真雪への手紙を書き綴り速達で九嶺に送ったが姉同然の美雪の死をまだ受け入れ切れず、真雪の事も心配で思い詰めている状態であった。


 その正宗の状況に業を煮やした戸高が半ば強引に休暇を取らせ、此処まで引っ張って来たのであった。


「ちょっと、いつまで立ち話してんのよ、後がつかえてるんだけど?」 


 戸高がポルコイと談笑していると背後から若い女性の声が聞こえて来る、そこには腕を組みながらジト目で戸高を睨む藤崎が立っており、その後ろには如月と広瀬の姿もある。


「おっと、悪い悪い、んじゃまた後でなポルコイ!」

「ワカッタデス! ウシロノミナサマモ、オマタセシテ、ゴメンナサイ!」

「ああ、貴方は良いのよ、悪いのは戸高こいつ何だから!」

「へぇへぇ、いつも悪いのは俺ですよーっと」

「あら、分かってるじゃない!」

「小鳥ちゃんは相変わらずきっついぜー」

「それはアンタの日頃の行いが悪いからでしょ、って言うか小鳥ちゃん言うな!!」

「……オフタリハ、ツキアッテルデスカ?」

「お! 分かる?分かっちゃう? 実はそうな「無いからっ! 私にだって選ぶ権利有るからっ!!」


 戸高と藤崎の息の合った掛け合いを見てポルコイが思わず思った事を口にするが、それに便乗しようとした戸高の言葉に被せて藤崎が全力で否定する。


「……(小鳥ちゃん、戸高さんとあんな風に喋れて良いなぁ……良いなぁ……)」

「ーーっ!? ミ、ミナサン、キヲツケテ、イッテキテネー……」


 そのやり取りを最後尾から見ていた如月が戸高と藤崎に念の籠った視線を向け負のオーラを発っしている、それにポルコイはビクっと反応するが、何とか取り繕い引きつった笑顔で手を振った。


「おう、じゃーなー!」


 そんな事は露知らず、戸高は爽やかな笑顔で手を振り返し立ち去って行った……。


 ・

 ・


「アタシ達はこれからウェノ観光とお買い物して甘未食べる予定だけどトダっちとヤトっちは如何すんの?」


 港を出た所で広瀬が開放感からか背伸びをした後、楽しみを隠し切れない人懐こい笑顔で聞いてくる、因みに『トダっちヤトっち』とは戸高と正宗の事である……。


「俺等は同期と合流して男を磨くのさ!」

「……いかがわしい店に行く気じゃ無いでしょうね?」

「ふっ! 買う愛に興味は無ぇ、真の愛は掴み取るもんさ!」

「……お前、さてはまた・・海岸で軟派でもするつもりだろう? 俺は協力せんぞ?」

「んなぁ!? そりゃねーぞ八刀神! 行こうぜやろうぜ一夏ひとなつの恋!」

「アハハ! 今は春だしトーラクは常夏だけどね!」

「ぬお! そうだった! ……いや待て! つまりそれって常に恋を探せるって事じゃ無ねーか!? 常夏サイコー!!」

「……アンタは最低サイッテーね……」

「……うぅ、戸高さん……」

「わぁ♪ 月間旅路の挿絵の通りの街並みだぁ♪ 前回は春島こっちの上陸許可下りなかったから超楽しみなんだよねー!」


 両拳を天に掲げ叫ぶ戸高、ジト目でドン引く藤崎、一層負のオーラを強める如月、それをスルーして南国の町に目を輝かせる広瀬、その混沌カオスな空気を一陣の爽やかな風が一掃する。


「やぁ来たね戸高、八刀神、久しぶり、そちらのお嬢様方は大和のお仲間かい?」

「お! おう柴村! もう来てたのかよ、久しぶり!」

「久しぶりだな柴村、彼女達は大和艦橋員の者達だ、こいつは柴村誠士郎、戦艦武蔵の副戦術長で江畑島兵学校の同期だ」

「おおー! 同期の桜ってヤツだねー! アタシは広瀬彩音だよ!」

「……っ!」

「は、初めまして! 私は大和航空管制員、藤崎小鳥です、この子は艦橋通信員の如月明日香です、ごめんなさい、ちょっと人見知りなんです」


 爽やかに挨拶をする誠士郎に物怖じしない広瀬はシュタっと軽い敬礼(断じて軍人の敬礼ではない)をし、藤崎は少し緊張気味に丁寧な敬礼をしつつ自分の後ろに隠れる如月の紹介もする。


「おいおい、何だよそのしおらしい反応、いつもの目を釣り上げた強気な小鳥ちゃんはどこ行ったんだ?」

「小鳥ちゃん言うなーーじゃなくて! 私がいつも怒ってる人間みたいな言い方は止めてくれない? 私を怒らせてるのは常にアンタのその軽薄な言動のせいでしょうがっ!!」


 軽い口調で揶揄からかい気味に言って来る戸高に藤崎は不満を露わに問い詰める。


「やれやれ、戸高は全く変わって無いね」

「ああ、奴の性格は神白銀エルディウム筋金すじがねでも入ってるんじゃ無いかと思えて来る」

「あはは! 言い得て妙だね!」


 ぷりぷりと怒り問い詰める藤崎とそれを軽口で躱す戸高、そのやり取りを少し離れた位置から正宗は呆れ気味に言い、柴村は爽やかに笑う。


「はぁ、こんなヤツ相手にするのは時間の無駄だわ、彩音、明日香行くわよ!」

「あ、待ってよ小鳥ちゃん」

「あいあいさ〜! じゃあねトダっちヤトっちシバっち!」

「おう! 変な男に絡まれんなよー!」


 戸高の飄々とした軽口に剛を煮やした藤崎はツンとそっぽを向くと早足で歩き出す。


 それに如月は正宗達にペコリと頭を下げあたふたと藤崎を追いかけ、広瀬は満面の笑みでブンブンと手を振った後トテトテと藤崎と如月の後を追って行った。


「……シバっち何て呼ばれたの生まれて初めてだよ、面白い娘だね]

「傍から見る分にはな、身近に居たら頭痛の種だぞ……。 だがまぁ、広瀬あいつの凄い所はちゃんと人を見て言っている所だな」

「そういや十柄少佐にはトツっちとか言わねーもんな!」

「止めろ、想像しただけで胃が痛くなる……」


 柴村は広瀬に好感を持った様だが、正宗にとっては頭痛の種で有るようで、戸高の言葉に頭を押さえゲンナリとしている。


 確かに広瀬は冗談の通じない十柄あいてに軽口を使う事は無いが、冗談の通じない十柄あいての前で軽口を言う事は多々有り、当然それは十柄の逆鱗に触れる為その都度正宗がフォローをしているのだが、そもそも生真面目な正宗や冗談の通じない十柄の前で平然と軽口が言えるその胆力は計り知れないものが有るだろう……。


 深く物事を考えて無いだけかも知れないが……。


「……ところで、これから何処へ行くんだい?」


 ゲンナリしている正宗に苦笑しつつ空気を換える為か柴村は話題を変えた。


「そりゃ勿論ーー」

「ーー言って置くが海岸で軟派は無しだからな?」

「んなぁ!? おいおい、そりゃ無いぜ? 折角のトーラクだぜ? 南の島だぜ? 一夏の恋だぜ?」

「今は春でトーラクは常夏だけどね」

「そのくだりはさっきやったからもう良いっつーの! 常夏は一年中夏って意味だから略して一夏・・なの! だからいーの! ヨーソロー?」

「何言ってるかよくわからないけど、まぁよーそろ!」

「……はぁ」

「おいおい何だよ八刀神ノリ悪ぃな、そんなんじゃモテねーぞぉ?」

「必要無い、そういう事なら俺は帰る」

「ちょ!? ま、待てよ!」


 いつもなら呆れ気味にも何だかんだと戸高に付き合う正宗なのだが、美雪と真雪の事で思い詰めている事も有りかなりナーバスになっている様であった。


 戸高も戸高なりにそんな正宗を気遣っていつも通りの軽口を叩いているのだろうが今回は逆効果となってしまったようだ。


「待ってって、頼むよ軽薄な俺だけじゃ(軟派)成功しないんだって!」


 ……多分。


「まぁまぁ、軟派はともかく、ウェナ海岸の水上コテージでまったりと過ごすって言うのはどうだい? 気を張り詰め過ぎても任務に支障を来す事もあるからさ?」

「おお、良いねぇ! 衣食住支給されてる俺等の金の使い道何て娯楽以外無いしな!」

「水上コテージか、そういう事なら行ってみても良いかもな」

「よし決まり! 善は急げだ早速行こうぜ!」


 ・

 ・


「何でアンタがここに来るのよ!」

「え? いやだってバス停ここしかねーし?」

「やほー! トダっちさっきぶり~!」

「おう! アヤっちさっきぶり~!」


 行き先が決まり意気揚々と歩みを進めた戸高一行で有ったが、バス停でバス待ちをしている藤崎一行と再度遭遇し戸高が藤崎に蛇蝎を見るが如き視線を受ける。


 然しその視線を物ともせずに女子と合流出来た事にヘラヘラ出来る所が戸高の凄い所であろう……。


 トーラクの島民の交通手段は主に馬車や馬で有るが、1時間に1台の割合で港からウェナ市街への循環バスが日輪政府の支援で運行されており港関係の職に付いている島民や入植者、軍関係者は格安で利用する事が出来る様になっている。


 その為、バス停の列には数人の島民も一緒に並んでおり、正宗が島民の娘に声を掛けようとする戸高の首根っこを掴み引き剥がす一幕もあった……。


 やがて一行は到着したバスに乗り込み走り出す、日輪政府が敷設した道路はアスファルト整備された二車線道路で春島南部の春島港から北部の湯洛第一飛行場までの5kmを繋いでいる。


 港から少し離れると右手側にのどかな農村の田園風景が、左手側には南の島の太陽の光を反射し輝く海が視界に入る。


 バスは時折道路を通っている馬車や荷馬を追い越しながら通る為、速度は本土のバス程出ていないが寧ろそのゆったりとした運転は戦争で荒みかけた心を癒すのには丁度良いかも知れない。 


 バスの中で広瀬達が島民の女性や子供と楽し気に話している様からもそれが窺えて来る。


 ずっとこんな日が続けば良いのに、続けば良かったのに、そうすれば美雪が死ぬ事も真雪が徴兵される心配も無かったのに、後方の座席に座り島民や広瀬達を見る正宗の表情は憂いを帯びやがてその眉間にしわが寄る……。


「くぅ! 楽しそうだなぁ、よっし俺も混ざって来よーーぐえっ!!」  


 その正宗の陰鬱な空気をぶち壊したのは戸高の軽薄な声で有った、にへらと緩んだ表情で広瀬達に近づこうと立ち上がった瞬間、正宗に襟首を掴まれ強制的に座席に座り直させられる。


「な、なんだよぉ! ちょっとくらい良いじゃねーか! 俺だって女子とお話ししてーよぉ! 何で花の休暇日に野郎ばかりと過ごさにゃならんのだ! 横暴だ! 不条理だぁ!」

「ははは、戸高はやっぱり戸高だよねぇ、何か安心するよ」

「まったく、お前と言う奴は……」


 呆れ気味にそう言う正宗だが、その口角はうっすらと上がり眉間の皺は消えていた、そんな正宗の表情を見て襟首を掴まれたままの戸高の口角も僅かに上がっている。


「なーにー? トダっちもお話したいの? いーよーおいでー! ヤトっちとシバっちもこっちにおいでよー!」

「ーーっ!? ちょ……彩音っ!」

「っ!? 彩音ちゃん……ナイスです……!」

「マジで! ほら女子のお許しも出たし行こーぜ!」

「お、おい戸高……!」

「まぁまぁ、戸高の手綱を握る為にも行こうよ、せめて今日くらいは色々考えるのは止めて、さ?」

「……! やれやれ、俺は良い同期を持ったな……」


 そう言って正宗は席を立ち急激に女子との距離を詰め藤崎を激怒させている戸高の襟首を引っ張り距離を取らせる。


 その後車内の乗客達は和気あいあいと楽しく過ごしバスはウェノ市へと向かって走って行くのであった。

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