六章十八話:実証実験
川村の身長は一八五センチである。この半年ほどで身体も作ったため、学校で普通に生活していると少々目立つ体格の持ち主と言っても過言ではない。加えて、生来の図太い性格もあってか、大抵の相手に物怖じすることもない。親戚一同には図体がデカいから態度もデカいのだと散々な言われようだが、スポーツをやる上でその性格が邪魔をすることはなかった。自分でもそういう自覚はある。
その川村は今、六メートル離れたところに立つ男に対して、ある種の感情を覚えていた。
(やっぱ圧やっべえ~……)
内心そう溢した対象は、緋欧のフロントセンターに陣取る「赤い大砲」こと片岡和也であった。
「赤い大砲、ねえ」
十月の午後、川村は、パソコンの画面に向かって呟いた。画面の中では、今年のインターハイの三回戦の映像がちょうど終わったところだった。神奈川県第一代表の緋欧と、京都代表の試合映像で、緋欧の勝利で幕が閉じた。
放課後の練習後、体育館でのことである。体育館横で色づいた銀杏の葉が太陽光に透け、建物内に黄金の光を流し込んでいた。
「彼は緋欧とやる上で、どうしても避けて通れない相手です。はっきり言って彼の強さは普通じゃない」
一緒になって画面を見ていた海堂は、そうきっぱりと言い切った。具体的に何がどう強いのかと問うと、彼女は言葉を重ねる。
「まず、フィジカルの強さが挙げられます。基本彼はマイナステンポとストレートスパイク、クロススパイクの三つで得点します。マイナステンポ以外は普通の攻撃ですが、とにかく威力が半端じゃありません。去年の春高では、相手のフロアディフェンスを吹き飛ばして得点していました。そういった豪快なプレーを支えるのは、高校生離れした身体つきです。映像でも分かるくらいには身体を作っています。静岡青嵐の人達も高校生離れしていましたが、彼もそれと同等です」
「筋力バカってヤツか?」
回答が来るには少し時間が必要だった。やがて、彼女はあまり納得していない様子で頷く。
「単純に捉えれば、そういうことになります」
「含みがあるな」
「ええ。片岡の真骨頂は強引なパワープレーではなく、得点力の高さです。フィジカルの強さは、あくまで得点力を構成する要素の一つに過ぎません」
「得点力ってそもそも何なんだ?」
これは、川村の積年の疑問であった。言葉自体は割と耳にするが、正確な意味を掴み切れていない。この後輩なら答えを持っているかという期待を込めた問いを投げかける。よくできた後輩は、彼の想像より遙かに具体的なことを言い始めた。
「これは私の考えですが、得点力は主に三つの要素から構成されます。一つは戦況・戦術理解力、一つは技術力、最後の一つがフィジカルの強さです」
「試合中は、都度自分で判断して動かねえと点が取れねえから戦況・戦術理解力が必要になる。下手じゃ点は取れねえから技術力が必要で、試合で使える身体がなきゃ話にならねえからフィジカルの強さが必要。そういう解釈で正解か?」
「さすがです。助かります」
海堂は目線を画面に戻す。
「片岡は全てにおいて高水準な選手です。この三つを満遍なく鍛え上げています。むしろ、それができるからこそ、緋欧のエースとして君臨していると考えるべきでしょう」
川村は口をつぐんだ。彼の表情から海堂は言いたいことを察したらしい。
「困ります。勝ってもらわないと」
「勝つし、勝ちたい。ここまで来たんだ、負けて堪るか」
「弱音吐いたら、怪我しない程度の強さで蹴っ飛ばすつもりでした」
「お前怖えな」
冗談めかして返してやったが、後輩の顔を見るとあながち冗談でもなかったのではないかと思った。確かにコイツならやりかねぬと思い直し、パソコンに目を戻す。すると、海堂は胸の前で腕を組んで言った。
「それはそれとしてですよ、川村さん」
「ンだよ」
「これは当然の話ですが、向こうも負けられない試合だと思っています。負けて堪るかと思っています。特に片岡にはプライドと面子があります。国内屈指の強豪緋欧の看板を背負う男ですし、ユースの候補にも挙がったような実力者ですから当然です。そういう男を相手取るときに、一つ大事なことがあります」
三白眼が川村を捕まえる。海堂の目には、異様な引力がある。彼はこの半年ほどでそれをよく理解していたが、このときの目つきはまた違うものだった。光を受けた黒い虹彩が黒水晶のように見える。
「フィジカルの強さも、技術も、戦況・戦術理解力も重要です。けれど、それと同じくらい大事なことがあります。気迫で負けないことです」
拍子抜けした。
彼の中で、最も精神論とかけ離れたところに位置しているのが海堂聖という人間である。それが精神論まがいのことを、大真面目に口にしている。何かの冗談かと彼は思ったが、すぐにあり得ないと思い直した。彼の知る海堂聖は、真面目な話をしているときに冗談を言うような人間ではない。
「私も、自分より格上の相手と勝負して勝ち抜いた人間です。この手のことは他人より熟知している自負があります。数字にできない経験談で申し訳ないとは思いますが、これは事実です。気迫で負けた相手には絶対に勝てません。けど、他の誰が負けたとしても、エースが負けなければその試合には勝てるんです」
だから、と薄い唇が動いた。
「絶対に、そこだけは負けないでください」
(そこだけはって言われても、そこだけ勝てても意味ねえだろうが!)
川村が内心叫んだ刹那、審判がホイッスルを鳴らした。
堅志が打ち込んだサーブが、一直線に火野とサイドラインの間を狙う。拾いに走った火野の手元で軌道が変化する。姿勢を崩され、サイドラインの方に倒れ込みながらパスを出した。
「野島さん!」
短くブレたパスを追って野島がコート前方に出る。パスを受けるも、サーブカットで殺しきれなかった回転がボールに残っていた。神嶋、能登、川村、涼がそれぞれ差を付けて動き出す。
「三番、一番マーク!」
「二番注意!」
緋欧コートで怒号が飛び交う。川村と神嶋を警戒した緋欧前衛の保多嘉と片岡は、北雷ライトに寄った。野島は、その状況で川村を選んだ。長身選手二名のブロックにも川村は果敢に挑む。二人分のブロックを弾き飛ばすが、さすがにその勢いは半減した。片岡の頭上を越えたボールは斜めに走り、バックライトで待ち構えていた堅志が拾う。
「保多嘉!」
堅志の声に応え、保多嘉がそのパスを受けた。片岡がトスを呼ぶ。
「センター!」
保多嘉は迷わず、片岡の声に応じた。
「二番来るぞ! 三枚!」
「カバー!」
神嶋と能登の声が飛び、緋欧コートでも声が飛ぶ。
「ブロック三枚!」
「カバーしろ!」
由利と織部が片岡の後ろに入った瞬間、大砲の一撃が放たれる。火野、神嶋、川村の三枚ブロックの前に、その一撃は完全に殺された。ボールがコートに落ち、審判がホイッスルを鳴らす。数秒の沈黙の後、北雷コートが歓声で揺れた。
得点板の数字が十六から十七へと増えるが、この一点には単なる得点以上の価値がある。
ローテーションを挟むことで、神嶋がサーバーの位置であるバックライトに下がる。その神嶋は北雷が誇る最強のサーバー。これまでの試合でも、得点を量産してきている。この追い込まれた状況の緋欧にとって、神嶋がサーバーになることは大きな痛手に他ならない。緋欧が最も避けたく思っていたローテーションが、最終セット終盤の、一点差の状態で実現してしまう。
勿論、樽木も黙って点を取られるほど愚かではなかった。審判に選手交代を申請する。やがてそれが受理されると、佐和が七番のナンバープレートを持ってサイドライン手前に立った。佐和の手から織部がナンバープレートを受け取る。
「頑張れよ~」
「おう!」
二人は短い会話を交わし、それぞれの場所に立った。
「こっちとしちゃ最高の展開だ。持ち点は十七。あと八点取れば試合が終わるこのシチュエーションで、直志がサーバーになった」
設楽は、唇の両端を持ち上げていた。横に座る海堂はさほど満足そうでもない。横顔には懸念が浮かんでいる。
「問題は、佐和がどの程度神嶋さんのサーブに対応できるようになっているかです。考えたくはありませんが、緋欧のリベロですから完封される可能性もあります」
「確かにリスクがないとは言えない。けど、俺としてはこのローテーションは実証実験になると思ってる」
「実証実験、ですか」
想定外の言葉だったのか、海堂は驚いたように設楽を見た。頷いたかつての天才は、淡々と言葉を繋いでいく。二人の目の前で、まさに今ローテーションが行われていた。
バックライトに神嶋、バックセンターに能登、バックレフトに野島、フロントレフトに涼、フロントセンターに火野、フロントライトに川村が入る。
「これより上の大会で、直志のサーブがどこまで通じるかってのは俺達にとって死活問題の一つだろ。その点、佐和は相手としては申し分ない。ここで一度、全国クラスのリベロ相手に直志がどこまでやれるかを見ておきたい」
「確かに、チーム内のレベル格差が埋まっているとは言え、神嶋さんに匹敵するサーバーは北雷にはいません。まだ私達は、一人の選手に頼る在り方を変えている最中です。どうしても、彼のサーブは必要になる」
「しかも、バレーボールにおいて、サーブは唯一ブロックに捕まるリスクがなく、単独でも成立する攻撃。一人飛び出た能力のある選手がいれば、大量に得点を得るための手段として大きな威力を誇る」
「逆に言えば、それを封じられてしまえばお終いという話ですよね」
「全国大会ってのは、お前も知ってるとおり普通の大会じゃない。県でトップを取ったからと言って、全国大会でもトップを取れる保証なんざどこにもねえ。緋欧がその良い例だ。神奈川最強チームと名高いが、未だにインハイ、春高問わず全国大会での優勝経験がない」
海堂は、目線を緋欧のベンチにやった。樽木の表情を伺うことはできなかった。
「そういう相手と長時間試合をしている中で、直志のサーブがどこまで通用するか、今のうちから想定する必要がある」
設楽が言い切ると、試合再開のホイッスルが鳴った。
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