第36話

 天使光ピスティス霊炎アイテール究竟きゅうきょうであり、特に言語光エレレイトから派生して、信仰心の二元論的葛藤を超えた至純の信仰ピスティスに生まれいづる。それだけの情報を頼りに、錯誤神サクラスを自称する小生意気な少女に打開の策を訊ねるという、この無謀。自分もとうとう落ちぶれた、というよりも、このような危急の事態に対処できる能力など、はなから持ちあわせていなかったのである。神官の目を盗むため、都市まちの外壁を超えて砂漠との境界を歩きながら、ユッタは嘆息するしかない。

「なるほど、無頭人エグリゴリはたしかに厄介だよねえ。あのでかまら野郎」

「おいっ」

 古文書に読んだ表現にすぎないが、はしたないことは知れた。

「乙女みたいにうぶな男の子だねえ、君は。さくらちゃんのほうが恥ずかしくなっちゃう」

 きゃー、と両頬に手を当てる少女を前にして、わらにもすがる思いのユッタである。創造主を主張してはばからない妙にませた少女を、まったくの悪童と決めてかかるのも損やもしれぬという気はしていたが、こんな冗談を飛ばされてばかりではこちらの身が持たなかった。

「さて。確かに無頭人エグリゴリをやるに、まともでない力が必要なことは頷けるよ。霊炎アイテール論は信仰心を細分化し、欲動パトス思慕エンテュメシスというふたつの感情として二元論的に認識した上で、二対間の葛藤に生じる心魂的エネルギーを操るというのが概略だったよね。その葛藤を止揚しようした信仰感情の種類によって、どの四光と反応するかが異なってくる。考えたものだけど、この図式が絶対ってわけじゃないよ」

「哲学、というものに近いのだろう。誰かは定かでないが、古文書からの知識なのは間違いない。小生も原文を見たが、断片的に残っているだけで註釈もなし、理解は怪しかったな。誰が借用したにせよ、どだい完全にその概念を写し取れるわけはなさそうだった」

 天使学も古代哲学を吸収して発展したと聞くが、十分学んだとは言えないユッタであった。

「なるほどねえ、哲学は現役で神学のはしためなわけだ。止揚と言えば汎論理主義みたようで、いかにも近代人っぽいよね。その弁証法的な循環運動の目的って、要は人間が自己の定立をごく理性的に目指すということでしょ。主体を否定作用で引き裂き続けるきつい作業なことには違いないけど、結局は非理性的な色々を他者化して取り除いた先で人神じんしんになるための体系じゃん。どこまでいっても自己は自己のまま実現されるべきものって楽観主義が土台になってんだから、そりゃ信仰の究極には至れないよ」

 ぺらぺらと語りだしたさくらに、ユッタは黙り込んだが、聞き捨てならない考えが先回りで指摘されていることは、なんとなく汲み取れた。

「……人神というのは、人が神になるという意味なのだよな」

「そうだね。絶対知なんて、君らには容れがたい夢物語だと思うよ」

「確かに、人が神を究極目的とせず、あえて自ら手の届きうる範囲のものを究極目的と設定して満悦することこそ、天使の堕落だという教えが教会にある。神の照明を自覚せず、自らの才能を買いかぶり、それこそ自らを絶対的な存在、神とする道はやはり棄却されるんだ」

「届きえない神をこそ求め続けよってのも必定、人の挫折を招くから良し悪しだとは思うけど、僕個人としても君らと付き合ってるほうが好きだなあ。まあ、それはどうでもいいこと」

 問題それちゃった、と頭を掻き掻き砂風に吹かれるさくらは、こう続けた。

「弁証法的なアプローチにも見るべきものがあるって言いたかったんだ。止揚ってのは、絶対の他的存在のなかで純粋に自己を認識すること。霊炎アイテール論と接続して言えば、神への信仰という感情に疑問を突きつけ、なんで信じてるねんと、信仰をそれ自体として保持することを一度否定するわけ。ここで信仰に根ざしている自己、根源的統一態は、二つの対立存在にかたれ、矛盾した二重の自己になる。これが絶対の他的存在。

 で、人自身の実感はもちろん、堕天した叡智ソフィアから流出した二つの本質という神話の説明も勘定に入れて、信仰とは欲動パトス思慕エンテュメシスというふたつの矛盾した感情に成り立っている、ということを割り出した。聖書ではパトスは情熱、知識欲、エンテュメシスは配慮、崇敬、くらいの意味だったね。人の欲望まっしぐらに神を知り尽くし、あわよくば神を支配したい。けれど神の御心をお察しすればこそ、慎み深く神に拝跪はいきしたままでいたい。みたいな葛藤かなあ。ただ一方を捨てて解決できる問題じゃないので、この矛盾を統合してよりよい自己、よりより信仰を目指すのね。

 この矛盾した二重的自己、絶対の他的存在から、よりよい自己のためになるものを分別し、知識として保存しておく。この過程で、自己を壊すような他なるものを捨て、自己に利するような他なるものを吸収するわけ。絶対的な他者性の廃棄、そこそこな他者性の保存、他者性を取り入れた自己への昇華。これらの同時的遂行が止揚という意味。で、これって言いかえれば本来的自己から非本来的自己を分断し、前者を絶対化して後者をしょせん他人と切り捨て、その美味い身の部分を選り分けてるだけ。その取捨選択の手前勝手さ自体は反省されないんだよ。本当の自分を保持するのに都合が悪い根本的な矛盾の原因は結局ポイしてるんだもん。たとえば、燐光ハルモゼル使いが止揚の結果、他の四光に辿り着いたなんてこと聞く? 霊炎アイテール使いは一度発現した信仰の属性を変えられない。妥協とか折衷とか自己陶冶とうやの意味はあるけど、自分の理性への確信を深めた理性的自我は、危機に晒されずに増長するだけなんだよ。

 話が長くなったけど、僕が価値を見るのは、むしろ弁証法的に棄却した他者性のほう。この作業を通じて、自分が絶対いやだなあと思うものを他者性と確認できたことに意味がある。身勝手な理性が理解できなかったもの、個人が個人であることを守るために忌避したいもの、それが神だよ。絶対他者という神。有限なる個物が無限なる普遍を知るための活路がそこにある。互いに容れがたき他者同士が、理解しあえなくともその理解できないものに輪郭を持ち、それを尊重しあうこと。僕が考えるに天使光ピスティスとは、そんな個人を傷つける絶対他者性をこそ信じる逆境的な信仰心に反応する神の光だよ」

 ユッタはいささか唖然とした。さくらという少女の下品な舌から喋られたこととも思えなかった。少女の言葉を咀嚼すべく、荒涼とした砂漠の地平線を望みながら、しばし口を閉ざす。

霊炎アイテールの究極ってのも、要は二元論的認識の裏側にある一元性を分かれよってことなんじゃない。二元論も人の理性が作り出した便利な枠組みってだけだからね」

「……二元論すらも、人が他者と自分を個別化するために用いる恣意的な操作なのか」

「場合によりけりとしか言えないけどね。その知的操作自体に意味がないわけじゃないよ」

 風に乗った砂埃をまともに受けて「うひゃーしばしばする」と涙目になっている傍らのさくらに、ぞっとするものを感じているユッタであった。創造主とまでは鵜呑みにできないが、少なくとも神童――そのような言い方も危ういが、自分に及ばぬ叡智を年若くして秘めた者ほど、青年に畏敬の念を抱かせるものはない。およそ推し量れず、共感も理解も向けがたい距離がある。これが他者性ということか、と軽々に言っていいのかも、ユッタには分からなかった。

「理屈では腑に落ちましたが、二元論を斥けた後、どんな思索の実践をすればよいのですか」

「わっ、なんで敬語になってんの。やだなー照れちゃう」

 いささか自尊心が傷つくところもあるが、そうせずにはいられない性格のユッタであった。

「二元論がだめなんでなく、どこまでも二元論が機能してしまう厄介さそのものが問題の筈だよ。さっき言ってたけど、霊炎アイテール論自体が苦手なんだって?」

 ユッタは頬を掻きながら頷いた。見知らぬ奇妙な少女に対し、かつての挫折を含めて身の上のすべてを相談せざるをえない自分が恥ずかしいが、そうも言っていられない状況であった。

「じゃあ、なおさらそこから始めるべきだよ。えと、欲動パトス思慕エンテュメシスだよね。君の信仰における心情は、どちらのあり方に依るところが大きいと自認しているの?」

 いきなりそう問われ、どぎまぎするユッタには、やはり明確に答えられるものがなかった。

「……そうきっぱり物事を二分すること自体、好きではないのです。人が神を信じる心。それを最も根底から支えるものを、他人に伝わるよう言葉にすることに意味が見えない。極端を言えば、個人的な神秘体験の共有はいくら説明しても不可能だ。信仰という事態に含まれるものの豊穣さを、狭く貧しく言葉で定義すること自体、間違いだと思われてしまうのです」

「暗黙知ってことかあ。でも、神との愛の共同は、他者との愛の共同だよ。頭の中だけでなく、現実で神と関わらなきゃ。拙くても、自分の一部分だけでもそのときそのとき言葉にしないと、どうしようもないじゃない。もーう、内向的な若者はこれだから。そりゃ」

 さくらは突然、着ている襤褸ぼろの裾を両手で掴んでたくしあげた。生白い脚に続き下腹を覆う小さな下着が見えたところで「うわっ」とユッタは目をそらした。

「やめなさい、異性の前ではしたない」

 砂漠の暑さからの発汗に、冷や汗が混じるユッタであった。慌てふためくユッタを見上げながら、さくらはいたって平気な顔で、分析にもとづく所感を述べはじめた。

「禁制と侵犯だのは、もったいぶりになるから率直に言うよ。今この瞬間、僕は君の神になった。性欲という信仰の根源が求める神に。この事態を先の二元論から説明づければ、欲動パトスは垣間見られた幼女のぱんつのあわよくば柄や色や匂いや手触りまでじっくり知り尽くしたいという情熱と渇望だね。反面、思慕エンテュメシスはぱんつ見たらさくらちゃんいやがるかなあと思いやる配慮と自制心だよ。で、んなふうに感情腑分けできんし、おれはぱんつ以外に太ももの肉づきやお腹のラインも含めてよい、否むしろそれがよい、それだけがよい、ぱんつ自体は安っぽくてイヤ、いいえゴムの食い込み加減が、と湧き出づる諸感覚を信仰の豊穣と言いたいわけだよね。こんな単純化もイヤだろうけど、そういうことでしょ」

「ちんちくりんが自信満々、胸を張ってそれを言う……」

 あまりに卑近すぎるたとえにユッタは正直うんざりしたが、卑近がゆえに目をそらしきれないものが今一度、目の前に突きつけられていることにも気づいていた。ユッタの呟きにぷうとむくれるさくらの子供らしい反応のほうには、たとえ演技であっても、よほど安心させられる。

「……私窩子をいかに愛すべきか。女の背後に神を見てしまう、性と信仰の癒着した感情は正しいのか。肉の愛に精神の愛を忘れる彼女たちと共になるには、その腹に仕込まれた運命の天使と合一するしかないのか。それが神に祝福された婚姻と言えるのか。そういう実際のことに、二元論がどうのはもはや意味をなさないと小生は言いたいんです」

 さらけ出せば知らず顔がこわばるほど、深い屈辱か後悔のようなものに襲われる。やはり、日の下に照らされるべき懊悩ではないのだ。しかし、師の刑死にもミモザの孤独にも、なすすべなく立ち尽くしてしまった自分の病根は、そこにしかあるはずがないのである。

「なるほど。悩みの底が浅いねー、とか笑うつもりないよ。笑われたほうが楽だろうけど笑ってやらない。それはやっぱり、神官が君らに都合の良い他者をあつらえたということだよ。今の世界は多分、誰もが絶対的な他者とは関わりあいにならずに済むような仕組みになってるんだ。私窩子は肉の交わりだけで心から相手を愛してしまう。すると、霊肉の区別自体に意味がなくなる。肉即霊、霊即肉。これは客観即主観、主観即客観だよ。性愛という人間存在の究極の場において、自己と他者の境界が無化されてしまう。私窩子という対象がそうであるなら、主体である男性も同じこと。君たちはお互いに純粋主体と純粋客体として、愛を営める人類なんだ」

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