第16話

 船はその夜、突然の嵐で転覆した。雷雨に一寸先も見えず、ユッタは往生した。

 船だったものが大破し、辺りに散乱した砂浜で目を覚ましたとき、そのことを思い出した。

 幸運にも、異邦人のふたりも近くの浜辺で見つかった。近辺は見覚えのない土地で、大陸に流れ着いたのか、それとも依然火之本なのか、判断がつきかねた。世間知のなさに落胆する暇もなく、異形ネフィリムがユッタたちに襲いかかってきた。

 スケールの狂った巨大な人頭、手足、耳、眼球。それを幹とし、一回り小さな人体の各部がまた無造作に生え出づる。解体された人体の無秩序な接合体にも骨格は通っており、それが皮膚を引っ張り合って皮下組織を剥き出させ、あちこちが肉瘤にくこぶのように盛り上がって角質化している。正体は定かでないが、火之本の各地にはびこるこの人外にんがいの脅威を避けるべく、修道都市が外壁を築いて僧兵団を組織してきたことは確かである。

「まさかの難破か、ついてない。あたしも君ももうしばらく、この島国に縛られるわけよね」

 初めて間近にそれを見たユッタは腰が抜けたのだが、リンは言いながら蜘蛛のように五指で駆けてきた見上げるほど大きな手の異形ネフィリムに相対し、燐光ハルモゼルの炎弾を放っては次々撃退してゆくのである。平然としたもので、成人の儀を前に震えていた緊張しいは誰だったのか。そうユッタが訊ねると、リンはぷいと顔をそらし、

「あ、あれは忘れなさいよ。例年どおり船が来なきゃ、やばかったんだから。そういう危険な橋を渡って、まあみごと蹴落とされたわけだけれど。とにかく、何年も機をうかがってきたスパイの一大事と、雑魚の相手を一緒にしないでくれる」

 ジノヴィオスが懐にしまっていた拳銃も火を吹き、ユッタは異邦のふたりのおかげで、死の危険に遭わずに済んだ。ただ、いっそ死に至れば楽やもという考えも、頭をぎっていた。

「君でも無理なら、天使の力がどうこうと、でまかせではなかったのかしら、この弓。こんなもののために若い盛りを無駄にさせて、何が面白いっていうのよ、まったく」

 抜け目ないもので、ジノヴィオスは銃とともにシェキナ弓も懐にしっかと抱いていた。

「正直期待はずれだが、任務は任務だ、持ち帰るほかないさ。それにこんな小僧ごときが、これを操るに相応しいとは到底思えんしな。目が曇っただろ、ディオニシア」

 浜を囲んで広がる森林を、湧き水を飲み、果実を採りながら進む。下生えが長く伸び、腰丈にまで届くのをかきわけながら、あてもなく泥土を踏み歩く道々に、異邦人は無駄口を叩く。

「あら、あたしの目に狂いのないことは今でも保証できるわ。単細胞のジーノでも、彼が疫病神だなんて言わないわよね。考えられるとしたら、あの嵐、神官連中が大規模な因果光オロイアエルで再現したのかも。結局、逃す気にはなってくれなかったのね」

「偶然以外にゃそれしかねえが、やけに小僧をかばうな。まさか、惚れやがったのか」

 そこここから張り出す木々の枝から、外套マントで危うく素肌を守るリンは、やや恥じらいがちにユッタの横顔を盗み見た。それに気づきながら、ユッタは感情が動かなかった。

「何かというと惚れた腫れたで見るんだから、もう。……君にしたら巻き込まれたも同然でしょうけど、単独行は自殺に等しいのだし、都市まちを見つけて落ち着くまでは一緒になりましょう。責任の一端ぐらいは、あたしも感じないではないのだから」

「俺らを追っかけてきた、教会の鉄砲玉というだけだろ。それもとびきり信心深くて便利な」

「黙りなさいよ、ばか兄貴。他人とはいえ、この状況で見捨てられるとでもいうの。冷血漢」

 たじたじになって、ジノヴィオスは口をつぐんだ。兄妹にしては似ていないな、ということだけを、ユッタはぼんやりと考えた。森は深く、視界はなかなかひらけなかった。いつしか一行の口数は減り、ユッタは黙々と歩を進めながら、思いにふける時間が長くなっていった。

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