二十一の城

私がフランシスコ・ザビエルの人形に挨拶あいさつしてジオラマを後にするとたずねちゃんが別の展示物の前で手を振って私を呼んでいた。


「ほらほらさぐみん、これ見てみ。」


訪ちゃんが覗き込んでいる展示物は壁に貼った地層ちそうで、地質学ちしつがくなどの標本などでありそうなものだった。


歴史博物館で地層?


古代のコーナーなら分からなくもないけどなあ・・・


なんて考えていた。


「この地層はな大阪城の地層やねん。」


大阪城の地層・・・そう言えば徳川家は豊臣のお城を盛り土して徳川のお城を作ったんだっけ。


「じゃあこの中には豊臣の大阪城の痕跡こんせきが残っているんだね。」


「そうやな、江戸時代の地層の下に赤茶けた地層があるやろ、瓦とかも埋まってる。これが豊臣時代の地層やねん。」


江戸時代と書かれた地層の下に薄い地層があってのその横に豊臣時代の地層と表記されていた。


「ここの地層だけ瓦が埋まったり赤茶けてるのは徳川と豊臣の戦争があったからやな。」


訪ちゃんは地層に埋まっている瓦を指差した。


大坂の陣で出来た瓦礫と説明にはそう表記されていた。


訪ちゃんの言葉に虎口先輩は地層の赤茶けた部分を興味深く眺めていた。


「ここの地層が赤茶けているのは戦争で火が放たれた結果焼けた木造の建物と一緒に土が焼けてしまったからなの。だからここの部分だけは目立つ色をしているのよ。」


そう言って虎口先輩は丁寧に地層の部分を指でなぞった。


「そうなんですか・・・大きな戦争があったんですね。」


絢爛豪華けんらんごうかな大坂城でも激しい戦いがあった。


人の歴史は血なまぐさい部分を含むけどやっぱりそう言う話を聞くと悲しい気持ちになってしまうのはなぜだろう。


「歴史というのは争いが必ずあって、その後に平和が訪れるからこういう血なまぐさい歴史も人は知らないといけないわ。少なくとも今の大阪城があるのは豊臣時代という一つの時代が終焉したからよ。」


虎口先輩の言葉は歴史を知らない私には凄く重々しく聞こえる。


「それにお城が今みたいに威容があって、格好良くて誰しもに愛されるのはお城が戦いのために作られたからと言うのも覚えておいてほしいの。戦いのために無駄を削ぎ落とした機能美や、敵に恐れを抱かせるための迫力、そして味方には権勢や栄華、お城はそれらを全て揃えているから素晴らしいのよ」


そう言ってお城のことを語っているときの虎口先輩の顔はやっぱり何度見ても恋する乙女のような顔をしていた。


私はここまでのめり込めるものがある先輩を羨ましいと思った。


「なあ、あゆみ姉、前から思っててんけどこの地層の中には石山本願寺いしやまほんがんじの地層はないんやなあ。」


訪ちゃんはふと疑問を口にした。


「石山本願寺は豊臣や徳川の大阪城ほどの規模はなかったから正確な場所もまだはっきりとは分かっていないし展示物の地層の範囲では石山本願寺の遺跡を含むことは出来なかったのでしょうね。」


と虎口先輩は訪ちゃんに説明してあげていた。


”いしやまほんがんじ”?お寺のこと?


「昔は大阪城にお寺があったんですか?」


なんのことか分からなければ聞く、質問だらけで申し訳ないと思いながらも私にはそれしか出来なかった。


虎口先輩は嫌な顔もせず質問に答えてくれた。


「大阪城にと言うと語弊があるけど豊臣秀吉が大坂城を作る前に石山本願寺っていうお寺があったのよ。大坂城には石山本願寺にまつわる遺構もいくつか残されているのだけれど、豊臣秀吉がお城を作る時にその遺構を恐らく徹底的に破壊したはずなの。」


徳川の大坂城の下には豊臣の大坂城が、豊臣の大坂城の下には石山本願寺が、恐らくまた複雑な事情がありそうだ。


大坂城には難波宮、石山本願寺、豊臣大坂城、3つも埋まっているなんて、私が考古学者だったら頭が痛くなって寝込んでいるかもしれないな。


一つの点に複数の遺構、私はそう考えると何故か考古学者に同情をしてしまっていた。

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