第8話 ようやくしゃべった憧れのヒト

「この人が、アンネリーゼさんを助けてくれた……」


 周囲が注目する中、その女性は透明の刀身、その切っ先を大男に向ける。

 彼女の登場に歯軋(はぎし)りするように睨みつけたあと、突如納刀し超人染みた跳躍で逃げて行った。


 あっけない幕引きに誰もが呆然とする中、颯爽と現れたこの女性に目を向け始めた。



 喋る気配は一向にない。

 大勢の人間を見て辟易へきえきしているような仕草で、踵を返そうとする。


「ちょちょちょ待って待って待って!」


 アンネリーゼが前へ出て両腕を広げて制止する。

 女性は若干困惑気味な顔を見せてはいたが、それでもアンネリーゼには伝えたいことや聞きたいことが山ほどあるのだ。


「あの、昨日私を助けてくれた人ですよね? お、お礼が言いたいんです。助けてくれてありがとうございます。お陰で助かりました」


「……」


「私、アンネリーゼって言います。あの、よろしければ名前を……」


 だが女性は語らない。

 これに対してグレイスが前へ出て。


「でしゃばるようですみませんが、アナタ失礼じゃあないですか? 確かにアンネリーゼさんにとってアナタは命の恩人でしょうが、ずっとだんまりを決め込むのは……」


「待ちなさいグレイス。ちょっと私に任せてもらってもいいかしらアンネリーゼ。……ほかの人は怪我人の手当てを! ほら急いで」


「は、はい」


 ラクリマが彼女の前に立ち、優雅に一礼、そして。


「■■■■■■、■■■■」


 なにやら未知の言語を話し始めた。

 突然のことに皆がギョっとする中で、女性にもようやく反応が見られる。



 彼女もまた未知の言語で話し始めたのだ。

 そのまま会話をしだすふたり。


 アンネリーゼもグレイスもポカンとした表情で成り行きを見守るしかなかった。

 そしてラクリマが、指先に魔力を乗せて目を閉じる彼女の額に優しく触れる。


 しばらくふたりの間から出る光が通路内を包んだ。 

 光の奔流が幻想的な空間を作り出していく中で、人形のように佇む彼女はただひたすらに美しかった。


 立てば芍薬しゃくやく座れば牡丹ぼたん歩く姿は百合の花などいう比喩があるが、彼女はまさに闇の中でこそ映えるミステリアスな花そのものに感じる。

 


 光と視線の中で明るみになる彼女の姿に見惚れているうちに、光は止んだ。

 まぶたをゆっくりと開き、ラクリマに一礼する。


 そしてようやくアンネリーゼと向き合った。


「昨日……? だったか。ここでは時間の経過は曖昧になる。特にわたしの場合はね」


「え、ぁ……」


「わたしの名はクライメシア。言葉が通じないとはいえ、けいを蹴り飛ばして追い出したこと、深く詫びよう。失礼した」


 男装の麗人こと、クライメシアは三角帽を脱いで貴族のような振る舞いで頭を垂れる。

 初めて聞いた彼女の声、自分に向けれらる懺悔の念。


 だがそれ以上にアンネリーゼが驚いたのは……。



「しゃべったぁぁぁあああッッッ!!」


「卿よ、そこなのか……」


「姉様、これは一体?」


「"スネークアップル"……私の魔術で彼女に今の言語を教えました」


「え、確かそれって、脳に多大な負荷がかかる可能性があるから禁術指定されていたはずじゃ……」


「しっ、大丈夫よ。軽めのにしておいたから」


「だ、だからってぇ~」


「それに、あの人ならもっと強めにしても全然問題ないわ。だって彼女……」


「姉様?」


「うぅん、なんでもない。さあ、アンネリーゼと私たちの恩人様をキャンプまでご案内しましょう」


 そう言って彼女を連れて出口まで行く。

 連続で起こる不可解な事象に、アンネリーゼはこの中で誰よりも混乱していた。


 この『深淵への階段アトランティス』という歴史の重力場で、様々な思惑が交差しているようでならない。

 だが、判断材料はない以上変に考えても無駄だ。


 それに、その鍵はきっと今隣を歩いているこの男装の麗人が握っているだろう。

 そう思うといくらか精神の混乱が和らいだ。



 

(それにしても、まさか古代言語が通じるなんてね。────……1

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