終章

第44話 馬上槍大会①

 冬が来る頃には時折、王太子は私の頰にキスをしてくるようになった。まるでそれだけなら許される、と思っているみたいに。

 そんな私達の姿は、やがて周りの人々の目に止まり、話はいつしか国王の耳にまで届いてしまった。


 あの入れ替わりの正午が過ぎてから、半年あまり。

 新しい年を迎えて、何日か経った頃。

 執務が終わり、暦年管理の文書をどこにしまうのか王太子に執務室で教えていると、ノックもなしに国王が現れた。

 私と王太子はその時、キャビネの一番下の引き出しを開けて、しゃがみ込んで中を丁度覗き込んでいるところだった。

 何をしているユリシーズ、と低い声が背後から飛んできて、私達は慌てて立ち上がった。


「片付けをしていたところです、父上」


 国王は私をギロリと睨んだ。


「近衛魔術師がなぜ中にいる。廊下で控えるのが規則のはずだ」

「私が手伝いを頼んでおりました。申し訳ありません」


 王太子が詫びると、国王は更に顔を曇らせた。間違いなく、機嫌が悪化している。


「――最近、妙な作り話を耳にしている。王太子、そなたが近衛魔術師と良い仲になっている、と」

「それは作り話ではありません。事実です」


 なんてことを言っちゃうの! 

 驚いて後ずさり、今の発言を否定しようと王太子と距離を取る。

 国王は顔を赤くして怒りを露わにした。


「そなたは聖女との失恋で弱っているだけだ。目を覚ましなさい」

「むしろ目が覚めたのです」


 王太子がつかつかと歩み寄り、私の手を取った。国王の前で二人で手を繋ぐという行為が、恥ずかしくて気まずくて、たまらない。穏やかに振り解こうにも、絡め取られてしまう。

 国王は何度も首を左右に振りながら、「認めんぞ。しかもよりによって、この近衛魔術師だなど」と釘を刺してから、退室した。勲章授与式で大立ち回りを演じた私に、国王はプライドを傷つけられていた。


「陛下を怒らせてしまったわ、大丈夫かしら」

「心配いらない。――それとも、この顔が嫌いになった?」


 本音を言えば、ギディオンが入っていた頃の二度目の王太子の記憶が強過ぎて、まだこうして熱い気持ちを向けられることに、抵抗がある。

 触れられても、素直に喜べない。

 それでも王太子は繋いだ手を離さず、茶色の目にほんの少し甘さが戻っていく。彼の綺麗な口角がゆっくりとぎこちなく上がり、小さな笑みを浮かべる。

 そうだ。

 この優しい笑い方が、私は好きだった。

 同じ姿をしていても、入れ替わる前の王太子とは、全然仕草が違う。


「リーセル。私の気持ちは、変わらないよ」

「でも、陛下が認めてくださらないと、どうしようもないわ」

「認めさせるから、もう少し待っていて」


 いつか聞いたようなセリフだ。でも、今回はもう聖女がいないから、待ってみてもいいかもしれない。




 レイアの沿道の花々が、活き活きと色づき始める、四月。

 王都に四年に一度の、大きなイベントがやって来た。

 国王の御前で開かれる、馬上槍試合である。

 王都の外れにある広大な野原に、特設の観覧席が設けられ、中央の試合場所を囲うように、木の柵が張りめぐらされている。会場の周囲には色とりどりの天幕が山ほど立ち並ぶ。

 天幕は全て、槍試合に出る者達が立てたもので、試合出場者は皆そこで従者の手を借りて着替えるのだ。彼らは落馬や槍で突かれることに備えて、重装備をしなければならない。


 四年ぶりの国技を、誰もが楽しみにしていた。

 観覧席にはチケットを持っている人々が座り、柵の周りにも見物人が駆けつけている。

 その間を、飲み物や菓子の売り子が縫うように歩いている。

 国王や重臣達も専用の観覧席が設けられ、初日から全ての試合が終わるまでの三日間、観覧する予定だった。

 最近国王から少しずつ公務を引き継ぐようになり、忙しくなっていた王太子は執務が溜まってしまった為、残念ながら観覧はせず王宮に残っていた。


 大会は国王が華々しく開幕を宣言すると、貴族の子弟達が二チームに分かれて一斉に衝突する集団試合で幕を開けた。

 国王は高くしつらえられた観覧席で見学していたが、私は集団試合はほとんど見ずに、天幕の方へ行った。

 この大会の一騎打ちジョストには、マックが出場する。

 家格に関係なく、腕に覚えのある者が出場し、王国一の腕前を競うのがレイアのジョストなのだ。

 何十もの天幕が林立する中を、マックの天幕を探して走る。天幕の円錐型の屋根のてっぺんには、それぞれの家紋の旗が靡いている。

 マックの生家は家紋がないので、彼はシェルン州の旗を掲げると聞いていた。

 鷹が翼を広げる黄色と赤の旗を見つけ、私は天幕に飛び込んだ。


「リーセル! 来てくれたの? 殿下は王宮に残られるって聞いたけど」


 驚いてこちらを振り向いたのは、シンシアだ。

 両腕を広げて天幕の真ん中に立つマックの前に膝を突き、彼の着替えを手伝っている。


「大事な友達の晴れ舞台だから、休暇にしてくれたの。手伝うわ!」

「助かったわ。支度がすっごく大変なのよ」


 ジョストはトーナメント戦だった。勝ち上がるに従い、何度も試合をするので、怪我をしないように武装しないといけないのだ。魔術学院の試合とは違う。

 出場資格は二通りで得られる。びっくりするほど高額の出場費用を払うか、地方試合を勝ち上がるかだ。マックは勿論、後者で実力で出場権を得た。


 マックは分厚いシャツの上に、キルトのアンダーコートを羽織っていた。その上に全身を覆う鎖帷子かたびらを着る。

 シンシアと二人で協力しつつ、鎖帷子を着込んだマックの上に更に板鎧を着せる。膝当てやスネ当てを付けたマックは、もはや全身が着膨れ状態だ。


「本格的に武装すると、大変ね。いったん馬上で姿勢が崩れたら、重過ぎて落馬するしかなさそう」

「うん。魔術は使っちゃいけないから、気をつけてね」

「俺が落ちそうになったら、風の魔術で助けてくれない?」

「失格になりたいの!?」


 過去の試合では、防具の隙間に槍が入り込み、首を刺されて亡くなった人もいる。

 隙間がないよう、念入りにマックの鎧を調整していく。

 最後に長いサーコートを着ると、頭にもキルトのキャップを被せる。その上に金属の兜を被れば、一人前の騎士の出来上がりだ。兜の下半分には呼吸のための穴がたくさんあいていて、上部と下部の間には細い隙間があり、そこが視界を確保するための隙間になっていた。

 試合では左手に木の盾を、右手に槍を持つ。


「完成よ。マック、かっこいいよ!」

「初戦は絶対勝ってね!」

「ありがとう。初戦どころか、最後までいって優勝するから、見てて」


 マックの相変わらずの強気に、シンシアと笑ってしまう。

 マックの初戦はどこかの地方領主の子息らしかったが、二回戦で当たりそうなのが近衛兵の騎士で、有名な凄腕の持ち主だった。最初の難関はそこになるだろう。

 考えると胸の動悸が収まらない。


「ああ、緊張して来たわ…」

「貴女が緊張してどうするの! リーセルったら」


 今までジョストを見るのが好きだった。でも友達が出場するとなると、楽しむどころじゃないんだと気付かされる。

 マックが怪我したり、負けてしまわないか心配になり過ぎて、胃が口から出てしまいそうだ。


「あああ、マック。本当に気をつけてね。しっかり、視界を確保してね。馬で走ると見辛くなるのよ」

「リーセル、そんなにガチガチになられると、俺まで緊張がうつっちゃうから〜。俺って意外と繊細だからさぁ」


 そんな風に言いながらヘラッと笑うマックは、ちっとも繊細には見えない。

 そこがまた、マックの強さだと思う。

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