王宮の章

第21話 王太子との再会

 レイア王国の王宮は、王都の真ん中に位置していた。

 王宮はいくつもの棟から成る重厚な石造りで、窓枠は揃って純白に塗られている。中庭や庭園、それに下働きのもの達が暮らす建物も含めて、王宮全体は高い城壁に囲まれていた。


 春の柔らかな風に乗り、小さな薄紅色の花びらがヒラヒラと王宮前広場を舞っている。王宮で働く魔術師――王宮魔術師の制服である、濃い紫色の長いローブに花びらがいくつも貼り付き、バサバサと振って払いのける。

 大きく開かれた正面城門の前に立ち、王宮を見上げて深呼吸をする。

 今日から私の人生の、新しい章が始まる。

 学生生活は終わり、これからの私は社会人なのだ。


 城門は商人や官吏達が出入りする為に、朝から賑やかだった。

 人の流れに乗って、久しぶりの王宮に足を踏み入れる。

 王宮勤めは前回経験済みではあるが、二度目かなんて関係ないくらい、全身どころか頭の中まで固くなっていた。そもそも近衛魔術師とやらが具体的に何をするのかが、よくわからない。未知のものを前にして、不安でいっぱいだ。

 やっていけるだろうか――。

 朝から緊張して、仕方がない。


 王太子の執務室があるのは、王宮の中でも最も大きく絢爛に作られた王宮の中心的な建物で、棟の一階の入り口で彼の侍従が私を待っていてくれた。

 不慣れな私を侍従がそこから案内をしてくれ、王太子の執務室まで共に歩く間、私は実に十一年ぶりに見る内部の見事な装飾に驚嘆した。


(細かい装飾に、豪華な絵画! 壁にまで金の時計が飾られてるし……。ここって、こんなに凄いところだったのね)


 質素な学生生活の中で、すっかり忘れていたらしい。

 侍従は私が所属する警備部の本部も道すがら案内してくれたが、王宮の内部が広過ぎて、王太子の執務室に着く頃には、もはやどこをどう歩いたかさっぱり分からなくなっていた。



 王太子ユリシーズの執務室は王宮の二階にあった。

 ノックをする瞬間は、心臓が口から飛び出てしまいそうだった。

 こんな瞬間がまた訪れるなんて、どうして想像できただろう。

 震える手でノックをし、中から返された「どうぞ」という声は、あまりに懐かしい響きで、扉を開けるのを僅かに躊躇してしまった。

 勇気を出し、なんとか扉を開ける。

 中に入るとそこは私の実家の居間が軽々入るほど、広い。

 足下の床は乳白色に輝く大理石で、一歩毎にカツカツと靴音が響く。その奥には焦げ茶色のデスクがあり、そこに見覚えある男が座っていた。

 ――こうしてまた会うことになるなんて、思ってもいなかった。

 今度こそ、王太子には会わないつもりだったのに。


(落ち着くのよ。王太子は、とっくの昔に別れた男も同然よ。例えるなら、別れ方がかなりまずかった元カレみたいなもんよ)


 そう。

 よくある話でしょ。別れ際にちょっとした修羅場になっただけ。

 どうにか無理矢理自分を説得して、不自然に動揺しないように、落ち着かせる。


 視線を上げると思わず目を細めてしまう。ズキンと胸が痛む。


(ああ、そうだ。ユリシーズだ……。彼はこんな顔をしていた)


 柔らかくうねる栗色の髪に、均整のとれた長身。整った顔立ち。

 ――レイア王国の王太子、ユリシーズ。


 最期に見た光景――彼が剣を持つ姿を思い出しそうになり、記憶に慌てて蓋をする。

 入り口近くで硬直した私を、侍従がグイグイと後ろから押して王太子の近くまで歩かされる。

 王太子は笑顔を披露すると、立ち上がって私を迎えた。白い上下に、青いマントを掛けている。膝まであるブーツは艶々に輝き、とても風格があって凛々しい。


「待っていた。お前がリーセルか?」


(お、『お前』? そんな呼びかけ方を、ユリシーズがするなんて…)


 ちょっとした引っかかりを覚えつつも、返事をする。


「はい。リーセル・クロウと申します……」


 名前を聞かれることが、切ない。

 この茶色の瞳がこの上ない甘さを含んで私に向けられた日々も、あったのに。

 この十一年で忘れかけていた、あのリーセルと王太子の日々が断片的に思い出された。あの喜びと苦しみと、痛みが。

 どうして私を殺したの、という問いが、今も私の心の奥底にしつこくこびりついて離れない。

 ユリシーズの前まで進むと、片膝をつく。

 本当なら今頃、のどかなバラル州の魔術支部に出勤していたはずなのに。そしてきっと、あの優しそうな支部長たちに囲まれて、一生懸命仕事を覚えようと頑張っていた。


(それなのに。なんだって、こんなことに……!)


 目眩をなんとかこらえて深々と頭を下げると、ユリシーズが声をかけてきた。


「そう固くなる必要はない。よく来てくれた。遠慮はいらないから、立ってくれ」


 彼は私の着てきた紫色のローブをサッと眺め回し、満足そうに頷いた。お言葉に甘えて、立ち上がる。


「本日着任致しました。よろしくお願い致します」

「警備部で既に聞いてきただろうが、業務内容は単純かつ明快だ。お前の仕事は単純にいえば、俺のそばで身辺警護をすることだ」


 王太子と関わらない人生を、と望んだのに職務内容がご無体過ぎる。

 絶句して立っていると、王太子は声を落として私の右腕に触れた。


「国立魔術学院の次席だったらしいな。――王宮が魔術支部の内定を取り消したのを、怒っているか?」

「いえ、とんでもございません」 


 突然王太子は私の顎先に触れた。びっくりして心臓が止まるかと思った。

 彼はそのまま私を上向かせた。そして少し、いやかなり意地悪そうに顎を反らして私を睥睨した。


「その割にこの顔は物凄く不満そうだ」

「そんなことはございません。こ、こういう顔なんです……」


 動揺を隠せず、目が泳いでしまう。


(なんだろう、この感じ。なんというか、猛烈な違和感が――!)


 この茶色い瞳が、こんなに冷酷そうな色に見えたことは、あの頃ただの一度もなかった。

 それに私が知るユリシーズは、女性にこんな風に容易く触れたり、嫌味を飛ばしてくるような人ではなかった。

 こんな立居振る舞いは、少なくとも王宮にいた一年半で、見たことがない。

 この人、本当にあのユリシーズなの?

 困っている私の肩を、王太子が軽やかに叩く。


「近衛魔術師として、存分に働いてもらおう」


 王太子は私に背を向け机上に手を伸ばすと、書類を一纏めにして隅に寄せた。その足でカツカツと靴音を鳴らし、執務室を出ていく。扉の脇にサッと避けた侍従が、「早く殿下のお供をしろ」と私に目配せをしてくる。

 一歩遅れて、慌てて王太子を追いかける。


「殿下、どちらに?」


 王太子は歩調を緩めることなく、傲然と言い切った。


「俺を、誰だと思っている」

「で、殿下……?」

「俺はこの国の王太子だ。とてつもなく、忙しい」


(い、いや……、アナタ、誰――!?)


「庭園の運動場に行く。午前の執務の後は、合間に体を鍛えている。俺の毎日は分刻みで仕事が入っているから、ちゃんとついて来てくれ。近衛が遅れたら懲戒処分だ」


 絶対に遅れられない。

 足の長い王太子が早足で歩くので、ついていくのが大変だった。感傷になんて、浸る間もない。

 長くて重たいローブを捌いて、必死に後をついていく。私を振り返ることなく、王太子は続けた。


「朝の遅刻は五分で戒告処分、三十分で減給処分、一時間で降格処分だ。――まぁ、お前は降格のしようがないな」


 王太子は酷薄な笑みを浮かべた。

 こちらはちっとも、笑えない。

 二度目の王太子は、在りし日の姿からは程遠い、結構な仕上がりの男だった。

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