第20話 卒業パーティの告白③

「誰かしら?」


 三人で押し黙って林を見ていると、マックが掠れた声で言った。


「ギディオン……? あれ、あいつじゃないか?」


 そんなはずないでしょ、と言おうとした私の言葉は形にならなかった。

 声に出す前に、私にもその人物の顔が確認できたのだ。

 木々の上から降り注ぐ月明かりを浴びてこちらに真っ直ぐにやってくるのは、確かにギディオンだった。

 首席を意味する真っ白のローブをなびかせ、確かな足取りで颯爽と歩いてくる。

 彼は私たちのそばまで来ると、立ち止まった。


「突然ごめん。――野外パーティは、もうお開きなのかな?」


 何を言われたのか、少しの間理解できなかった。それはマックとシンシアも同じらしく、二人とも無言でギディオンを凝視していた。

 僅かな沈黙の後、マックが土の上の炭を靴裏でならしながら、答える。


「もう全部食っちゃったから。ギディオンこそ、卒業パーティはどうしたのさ。大事なダンスは?」

「踊りたくなかったから、早目に抜け出て来たんだ」

「ははは。誰が一緒に踊るかで、キャサっち達が流血モノのバトルを起こしかねないもんな! ギディオンも大変だねぇ」

「そんなんじゃ、ないよ。――リーセル以外の子と、踊りたくなかったんだ」


 は?

 とマックが首を傾げる。

 ギディオンは一歩私に近づいた。カサ、と踏まれた雑草の音が彼の靴の下で鳴る。


「それよりリーセル、君と話したいんだ」


 どきん、と心臓が強く鼓動を打つ。

 彼にとって意味あるのは卒業パーティではなく、私と話すことだったということ?

 なんと言っていいのか困惑して棒立ちになるマックと私とは対照的に、動いたのはシンシアだった。

 シンシアは持っていた椅子を地面に下ろし、マックの腕を掴むと、ぎこちない笑顔でギディオンに話しかけた。


「私とマックはちょっと外すわね。ギディオンはリーセルと二人で、この際ちゃんとよく話し合って」

「って、ええっ、ちょ、シンシア引っ張らないでよ!」


 シンシアはうろたえるマックをそのままズルズルと引きずり、木立の中へと消えていく。

 残された私は困り果てながらギディオンを振り返った。


「こっちのパーティに来てくれるなんて、思わなかったわ。何か残しておけばよかった。ごめんね」


 ちょっと気まずい笑顔でそう謝ってみると、ギディオンは首を左右に振った。


「食べ物は、どうでもいいよ」


 ギディオンはゆっくりと歩いてくると、私の片手をとった。何をする気なのかわからず動揺する私に、彼は優しい声で言った。


「そんなに困らないで。ここで一緒に踊れとは言わないよ。――本当はリーセルが私を嫌っているのは、知っているから」


 まずい。

 なんで、バレてた。


「き、嫌ってなんかないわ」

「本当に?」


 腕を伸ばせば顔に触れられる距離にいる彼を見上げ、こくんと頷く。

 ギディオンはいつもの穏やかな彼ではなく、どこか不安げで寂しそうな目をしていた。


「嫌ってるだなんて、どうしてそう思ったの?」

「クラスメイトなのに、ずっとよそよそしかったし、……試験の後は親の仇でも見る勢いで私を睨んでいたから」


 惜しい。親の仇ではなくて、私自身の仇なのだ。

 でもまさかそんなことを言うわけにはいかない。


「あなたは入学以来ずっと、私のテストのライバルだったからよ。何をしても勝てない、無敵のライバルだったんだから」

「リーセルとは――出来れば蹴落としあうライバルではなくて、ともに戦える良き友でありたいんだ」

「うん、そうだね。――私たち、これからは社会人だしね」

「睨み合うのではなくて、力を貸し合える――そんな関係になりたいと、ずっと思っていた。これからも、……友達でいてくれる?」

「もちろんよ」

「それを聞けてよかった」


 ギディオンは私の返事に安心したのか、私を見つめたまま微笑んだ。

 その微笑に、視線が釘付けになる。

 ギディオンの眦が下がり、ゆっくりと口角が上がって、瞳が煌めく。


(なんて優しく笑うんだろう……)


 それは忘れかけていた懐かしい記憶を呼び起こすような、温かい微笑だった。

 思わず微笑み返してしまう。

 私たちはそうして少しの間、言葉なく見つめあっていた。どちらかが何かを言うのを、待っているみたいな妙な時間だった。やがて彼の顔が私にさらに近づき、私の頬に唇でそっと触れた。

 それは友達同士の親愛の情を表すような、軽いありふれたキスだった。

 それでもギディオン・ランカスターからのキスというのは、私には衝撃的だった。思わず大仰にのけぞり、未だ握られていた手を振り払ってしまう。


「……ごめん」


 ギディオンは木々のささやきの中に消えてしまいそうなほど小さな声で、謝罪した。

 ゆっくりと溜め息をつくと、彼は話しだした。


「学院長から聞いたかもしれないけど、私の王都魔術支部からの内定も、取り消されてしまったんだ」

「私と一緒ね。まさか私たち、王宮に無理矢理採用されるなんてね――しかも私なんて、王太子の近衛なのよ」


 軽く文句を言ってやると、ギディオンは目を見張った。

 同時に目の色が暗くなり、眉間にシワがよる。


「王太子殿下の、近衛……?」

「最悪なことに、魔術庁警備部に近衛魔術師として配属されることになったの」

「なんだって!」


 月夜の下、ギディオンはなぜか蒼白になっていた。

 純粋に驚いているというより、怒っているように見える。


「私だって、本当は嫌なの。バラルに帰りたかったんだから。それに私、殿下の近くでなんて働きたくないし」


 ギディオンの碧の視線は左右に迷うように漂った後、私の目をじっと覗き込むようにして言った。


「リーセルは、王太子殿下にお会いしたことがあるの?」

「ま、まさか、ないわ。ギディオンはある?」


 尋ねてみると、ギディオンは一瞬顔をこわばらせた後、ぎこちなく笑った。それは随分投げやりな笑みに見えた。


「あるよ。殿下のことはよく知っている。――子供の頃は遊び相手として王宮によく出向いたし。それにしても、どうして急にそんなことになったんだろうね」

「本当にそうよ、まったく」


 ギディオンは私と同じく、ショックを受けているようだった。少し俯いたその表情は、とても青白く見える。月の明かりで顔の半分に暗い影がさし、余計に重苦しい雰囲気が醸し出されている。

 夜の林の木々を揺する強い風が吹いた。キンと冷たい夜の風は、尖った氷で頬を撫でるような痛みがあった。

 ブルっと震えがやってきて、二の腕を自分で抱いてこすり合わせてしまう。


「さむっ」


 するとギディオンはさっと顔をあげ、肩にかけていた白いローブを脱ぎ始めた。首元で結んでいる紐を解くと、私の肩に脱いだローブをかける。

 彼から外套を奪うわけには行かず、丁重に断ろうとした矢先、ローブの色に気がつく。


(白いローブだわ。私たちの灰色のとは違う、白)


 無意識に腕を伸ばして、その白いローブに見惚れてしまう。――首席だけが着用できる、その地位を表す憧れのローブ。

 心なしか、生地までが灰色のものよりしっかりしていて、上等に思えてしまう。


「このローブ、ずっと着てみたかったの。この色をはためかせて、校舎を歩いてみたいって、一年生の時からずっと思ってた」


 少し嫌味を込めた笑顔を、ギディオンに見せる。


「あなたのせいで、一度も着れなかったけど」

「そうだね。そうなるね」


 ギディオンは首の後ろをかきながら、苦笑した。そうして、囁くように言った。


「君に合う色だよ。――可愛いよ、リーセル。本当に、可愛い……」

「あ、ありがとう」


 聖女の腰巾着から「可愛い」と言われる日が来るなんて、想像もしなかった。物凄く複雑な気分になる。


「卒業したらもう着ることもないし、良かったらそのローブをあげるよ」


 思いがけない申し出に、目を白黒させる。

 白いローブは一生の勲章として、取っておくものだ。とてもそんな図々しいことはできない。


「もらえないわ。貴方の努力と実力の証でしょう?」

「あげるよ、リーセル。――君が喜んでくれるなら」

「そんな風にくれちゃったら、何枚あっても足りないわよ。みんなこの白いローブを欲しがってるんだから」


 以前、王都の質屋でとんでもない高値で売られていたのを見たことがある。

 ギディオンは苦笑した。


「そのローブは一枚しか支給されないんだよ」

「そうなの? 知らなかった。それじゃあ、なおさらダメよ。ほんとギディオン、貴方みんなに親切過ぎるわよ」

「そんなことない。――全員に親切になんて、していないよ……」


 そこまで言うと、ギディオンは珍しく口籠もった。いつも怜悧な印象を与える碧色の目が、今夜は随分自信がなさげに見える。


「でも、貰ったりしたら悪いわ」

「いいんだ。リーセルに持っていてほしい」


(――捨てちゃうかもしれないわよ)


 私の内心の毒づきになど気づくはずもなく、ギディオンは和やかに言った。


「それよりマックたちとの楽しい時間を邪魔してごめん。もう寮に帰るから、二人によろしく」


 ローブはどうするの、と声をかけるものの、ギディオンはヒラヒラと手を振り、寮への道を歩いていった。

 卒業を目前に、私の人生は妙な方向に転がりだしていた。

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