第2話 田中次郎
「それで? 今日はどんなお客さんが来るんですか?」
掃除が終わった事務所。俺は自分の机に腰かけて、パソコンを操作していた。
「知らなーい」
「おい」
響子さんはこんな調子で、ソファーの上でダラダラしている。黒髪で、髪が長くて、眼鏡でスタイル抜群。こんな漫画みたいな見た目なのに中身がこれだから救いようがない。まあ、実際この人が生きている世界も、俺が踏み込んだ道も漫画みたいなのだが……。
はあ。と俺はため息をついて、ホームページを見る。
そこには自分の勤め先である、『響子探偵事務所』と書かれたシンプルなページがあった。
懐かしい。俺が最初に来たときは、ホームページすらなかったから、俺がスマホ片手に格闘したな……。その時、以前やろうとして投げだしたブログアフィリエイトの知識が役に立った。全く、人生という奴はいつ役に立つかわからない。
この『響子探偵事務所』は名前の通り探偵事務所だ。新東京第二十四区鬼立。周囲を川に囲まれ、高層ビルが立ち並ぶ東鬼立。自然や住宅街が立ち並ぶ東鬼立の二つの地区に別れている。事務所は閑静な住宅街が並ぶ東鬼立の隅にひっそりと佇んでいる。
見た目は廃墟そのもので、ツタなどが絡まり、ところどころひび割れしている箇所なんかも……。
これでも、ちゃんとした探偵事務所だ。一階が倉庫、二階が事務所、三階が俺の寝室、四階空き部屋といった感じだ。内装も草が生えてたり、壁がひび割れていたりとするが、普通に使える。ちなみに響子さんは事務所で寝泊まりしている。
さて、一応ここは探偵事務所なのだが、小説のように普通の殺人事件を解決したりはしない。かといって普通の探偵のように、迷子や浮気調査が主な仕事ではない。うちの所長は探偵であり、世にも珍しい魔術師でもあるからだ。
そのため、訳ありな仕事が多い。訳ありとはどういうことかと言うと、通常では解決できない依頼のこと。
例えば未解決事件の捜査。警察ですらお手上げの難問事件なんかを、魔術を使って解決する。
ちなみに、こんなことをしている魔術師は響子さんぐらいで、他の魔術師は『日本魔道協会』に属し、階級により給料をもらい、人知れず研究しているらしい。実際に俺も魔術師の存在はただのフィクションだと思っていた。
一応、響子さんも『日本魔道協会』に属しているのだが、階級が一番下で、まともに給料が貰えない。そのため、事務所を開いて何とかやっているそうだ。
まあ、そんなこんなで今日も仕事の依頼が・・・・・・。
「あ、あった」
メールボックスのだいたい四番目にその依頼はあった。
調査の依頼は……人探し。 依頼主は田中という男性。
来客日時は……今日の十時。 俺が壁にかかる時計を見ると、九時過ぎだった。
「響子さん、そろそろ依頼者が来るので、着替えてください」
「えー、面倒くさいー」
「おい。あんたの客だろ」
「えーだってー」
「そんな子供みたいなこと言わないでください。これ、見てください」
俺は、響子さんにある紙を見せる。
「ここのグラフを見てください。これがなんだかわかりますか?」
「折れ線グラフ?」
「違います。いや、合ってますがそうじゃありません。うちの事務所の収益です」
響子さんは眼鏡をくいっと上げて、用紙をよく見た。
「それがどうしたの?」
「いや、気が付けよ。赤字ですよ。あ・か・じ!」
グラフはこの前の依頼以降、どんどん下降へ向かっている。
「大丈夫だよー。いつもこんな感じだし」
「いやいや。響子さんがよくても、俺が困ります。これじゃ俺、ただ働きです」
ここ最近、まともに給料がもらえないので、節約の毎日である。おまけに、妹への貢物を買ったりと金がかかることが多い。
「ならいいじゃーん」
「ダメです。今日の依頼は何が何でも引き受けてもらいます。ほら、早く着替えてください」
「えー。面倒くさい」
「……和菓子でどうでしょうか?」
「すぐ着替える!」
そう言うと否や、響子さんは寝室へ消えた。
なんと現金な。だが、単純で助かった。俺は外へ行く身支度する。
買い物から帰ると、さっきとは別人の響子さんがいた。
ソファーに座った響子さんは、しわのないワイシャツ(俺がアイロンかけた)を着こみ、下は黒いスカート(俺が洗った)。そして、黒いストッキング(以下略)を履いて、まさにビシッとした格好だ。
顔は……し、死んでる。平日残業させられて、そのうえ休日出勤した人みたいになっている。
「響子さんは、ソファーでじっとしていてくださいね。僕はお茶用意するので」
はーい。という生返事を聞き、俺は水を沸騰し、袋からケーキを取り出す。
カランカラン。
玄関のベルが鳴る。時計を見るとちょうど十時。依頼者が来たのだろう。
「では、まずは簡単な自己紹介から。私がこの事務所の所長を務める、朱音響子です。こちらが助手の里月奏多くん」
テキパキと自己紹介を済ませる響子さんに、先ほど面影はない。 響子さんは人前だと人が変わるのだ。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
俺は依頼者である、田中に恐る恐る辞儀した。
田中さんの第一印象は強烈だった。
体格は大柄。その上にぶかぶかのジャンパーを着こんでいる。頭はスキンヘッド。目はとても鋭く、刃のような鋭さがある中年男性だった。
俺がお辞儀すると、田中さんが口を開く。
「私は田中。田中次郎。よろしく」
田中さんは決められたセリフのように淡々と言う。とても、「偽名ですか?」と尋ねる余裕は俺にはなかった。
(あ、飲み物ださねーと)
俺は、台所に行き、紅茶の準備する。この探偵事務所では、依頼者に紅茶とケーキを出すことが伝統らしい。 今日は旬のメロンケーキだ。
ケーキを用意し、お湯をティーカップに入れ、茶葉を入れようとしたが……。
「やば。茶葉切らしてたの忘れてた……」
ついでに買って来ればよかったな、と後悔しても始まらない。
とりあえず何か飲み物でも……。
「あ、飲み物は大丈夫です」
突然、少々声をあげて田中が言った。
「え、でも……」
「大丈夫です。ここにあるので」
田中は鞄からラベルの剥がれた水のペットボトルを見せる。
「あ、はい。わかりました」
俺は、慌てて、メロンケーキを机の上に二人分だした。
「それでは、さっさそく依頼について——」
「その前に、いいですか?」
響子さんの言葉を田中が遮る。
「……あなた、本当に魔術師なんですか?」
ごもっともだ。まあ、初めての人はそう言うリアクションを取る。
「はい、そうですが」
「いいや。あなたのことを疑っているわけじゃないんですが、私は魔術師なんて見たことがなかったので興味がありまして」
響子さん曰く、魔術師は日本だけでもだいたい一万人ぐらいしかいないらしい。それがどういう事かと言うと、漫画家は知っているけど、見たことがないみたいな感じだ。 しかも、漫画家と違い魔術師は目に見えるものがない。漫画家は見たことなくても、その人の漫画を読めば、実感が湧く。だが魔術師はそうとはいかない生き物だそうだ。
ちなみに、魔術師は研究第一で、アニメのような激しいアクションはしないとのことだが、……本当なのだろうか?
俺が疑心の目で響子さんを見ると、ちょうど響子さんが話だした。
「そうですか……。では、免許でも見ますか?」
田中さんの顔が鋭い目つきから、驚きの眼差しになる。
「え、そんなものがあるんですか?」
「はい。これをどうぞ」
響子さんは免許を手渡す。
「『日本魔術協会認定魔術師、朱音響子。冠位十二位小智。灰色』はあ、こんなところ、あるんですね」
一般的に魔術師は協会に所属する。だが、協会に属するために試験を受けなくてはならない。それをする場所が『魔術検定協会』だ。そこでおこなわれる『十二冠位試験』では実技、筆記と学校の試験のようなことをし、その成績で『冠位』、要はランクが変わる。
冠位一位から冠位十二位まであり、うちの響子さんは一番下の冠位十二位。小智とはその位の別名で、大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智と振り分けられる。まあ、覚えにくいからみんな冠位で判断しているらしい。
ちなみにこの制度は聖徳太子の冠位十二階から取られていて、本社があるイギリスから明治時代に日本支部を開設したときに、初代会長ジェームズ・アルカイックが日本に馴染みやすいものを作りたいと設けた順位らしいが、どうやらジュームズさんは時代を間違えたらしい。
「信じられませんか?」
「はあ、まあ」
「お見せしたいのはやまやまですが、魔術はみだりに人に見せるものではないので、すみません。申し訳ないのですが、これで勘弁してください」
嘘つけ。さっき、煙草に火を着けてただろ。絶対面倒くさいだけだ。
「はあ、別に構いませんが。私もここが何でもやってくれる万事屋だという評判で、依頼しただけなので」
「そうですか。ありがとうございます。……それでは本題を」
「はい。メールで送ったとおり、人探しをして欲しいのです」
俺は、パソコンでさっきのメールを再び見る。
「確か、お名前は柏絵里ちゃん。八歳。三日前に下校中に失踪……」
「はい、そうです」
ここで、俺は先ほどから気になっていた点を質問してみる。
「ちなみに、田中さんと柏さんとの接点は……?」
しばしの沈黙。時計の針が動く音が大きく聞こえるぐらいに。
そして、田中は口を開いた。
「……妹の娘です」
「ああ、なるほど」
それならば納得だ。
妹のために、働くのが兄の責務であり、義務なのである。
途端にさっきまでの田中に対する悪いイメージが払拭された。 妹に叶わないものはない。
だが、響子さんは納得いかないようで、質問する。
「しかし、どうして田中さんが?」
「妹は心身とともに疲弊しているため、私が代わりにと思いまして」
「そうですか……。それで、柏絵里さんについてわかることはありませんか? 例えば身なりとか」
「これが江里ちゃんの写真です」
すっと、田中さんがポケットから写真を取り出す。
そこには、少し大きい赤いランドセルを背負った笑顔の可愛い女の子が写っていた。
年は妹の鈴女よりも幼い。当たり前か、鈴女は高校一年生。小学生とは年齢が違う。
響子さんがその写真を受け取ると、クリアファイルにしまった。
「写真、確かに受け取りました。他に失踪者の手がかりになる情報を教えてください」
「これが、唯一です」
「……本当ですか?」
響子さんは怪訝な声を漏らす。
「住所は?」
「妹は引っ越したため、知りません」
「電話は?」
「メールのやり取りなのでわからない」
「メールは?」
「今、携帯がないのでわからないです」
「失踪者の具体的な、失踪するまでの行動は?」
「わかりません」
「失踪者はどこの小学校に通ってますか?」
「それは、加山小学校です。ここから近くの」
加山小学校……。懐かしい名前の登場に一瞬だけ過去を懐かしむ。 だが、今はそんなことをしている場合ではない。
響子さんは、顎に手をあて、しばらく考えこんでいる。 そして、口を開いた。
「それだけでは、調査はできません」
「ちょっと、響子さん!」
その答えに俺は納得できなかった。
田中さんの妹さんは、絵里ちゃんがいなくなってどんなに心配で、心配だろうか。 それは毎晩夜も眠れないほどだろう。 鈴女がもし、同じ状況になったら俺は、どんな手を使ってでも、探すだろう。
だから、響子さんの事務所に来たのだ。その思いを無下にしてはいけない。
俺は響子さんの肩を叩く。
「な、なに?」
「どうして調査を受けないんですか!」
「だって、どう考えても怪し——」
「怪しくありません! 妹のために頑張る兄に怪しい人はいません!」
「ど、どんな理屈!? 奏多くん、あなた基本的にスペックはいいけど、妹が絡むと途端に意味不明になるわね」
「意味不明ではありません! さあ、依頼を受けましょう」
「えー嫌だよ。怪しいし。第一面倒くさい——」
響子さんのテンプレセリフを俺が遮る。
「わかりました。じゃあ、こうしましょう。僕が調査します。それでどうですか?」
「まあ、それなら……」
と、言うことで、依頼を受けることになった。
「すみません。お見苦しいものをお見せして」
「すみませんでした」
俺と響子さんはそろって頭を下げる。 いくら何でも、暴走しすぎたという自覚はある。
「いえいえ。私は依頼を受けてもらえるなら何ともないです」
田中さんはそう、真顔で答えた。
「それで、報酬の話ですが・・・・・・」
「はい」
「六百万円で、どうでしょうか?」
「六百万!?」
物凄い金額にクラクラする。普通探偵の人探しの相場は十万円から百万前後だ。
それほどの金額をかけてでも、妹の娘を見つけたい、そんな田中の意思を汲み取った。
「やっぱり怪しい」
「怪しくないです。むしろ安いぐらいです」
「このシスコン」
「黙れ、ダメ女」
「それで、期限なんですが……」
「は、はい」
田中さんは俺たちの会話にお構いなしに、感情のこもってない目で言う。
「今日の十九時までにお願いします」
突然の宣言に俺たちは驚く。
「はあ!? いくらなんでも早すぎませんか?」
「……何かご事情でも」
だが、田中さんは立ち上がり、俺たちに背を向けて冷たく言い放った。
「そのため、高額な報酬を用意しました。では、今日の二十時にまた来るので、お願いします」
「あ、ちょっと!」
俺が呼び止めるが、止まってはくれず、扉が閉まり、ドアのベルが蹴弾しく鳴った。
依頼人が消えたことで、気が抜けたのか、響子はソファーに寝転んでいる。
「今日の十九時までに見つけないといけない理由はなんだろー?」
「そんなの早く妹に安心して欲しいからじゃないですかね?」
「はあー。面倒くさい」
響子さんは起き上がり、指から火を出し、煙草を吸い始めた。
俺は後片付けをしていると、あることに気が付いた。
「あ、そういえば田中さんの連絡先もらってなかったですね」
「まあいいんじゃない? メールで。二十時には来るとも言ってたし」
「まあ、それはそうですね……」
俺が後片付けを終え、外に行く準備をする。
「うん? 外に行くの?」
「はい。時間がないので。受けたからにはどんな制限があっても、成し遂げませんと。それに……柏木絵里ちゃんが心配です」
俺が腕時計を見ると十一時。時間まで八時間しかない。
「まあ、気を付けて」
「響子さん。あまり散らかし過ぎないように」
「はーい」
俺は響子さんにそう釘を刺すと、ドアを開けて調査に出かけた。
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