指輪魔法学園《リングマジック・スクール》の新米教師

逆さまのラー油

第1話 咲坂ヒビヤは教師になる(一)

 二年前、咲坂ヒビヤは世界を救い英雄と呼ばれたことがある。



 その日、指輪の力により形成された亜空間の中にヒビヤはいた。


 縦にも横にも果てはない。現実世界へ続く次元の裂けた亀裂がある以外はどこまでも同じ景色が続いているだけで、あてもなく歩いていたりしたら帰れなくなってしまいそうだった。


 しかし、歩き回る必要はなかった。


 左中指の指輪に意識を集中させながら、目の前の存在を見据える。


 そこには神話に登場するような存在――ドラゴンがいる。


 鋭い牙を覗かせる今にも火を吐きそうな巨大な口に、広げてはためかせるだけですべてを吹き飛ばしてしまいそうな翼。まさに非現実的な存在だ。だが、もはや動くことはない。ヒビヤと同じように、つけている指輪の力を使った人間がドラゴンの体を拘束しているためだった。


 ヒビヤはドラゴンの頭部に狙いを定める――ふと、目標のギラギラとした瞳がぐるりとヒビヤに定められて、


『サキサカヒビヤ。お前の終末を、我は楽しみにしているぞ』


 ヒビヤを呪うように言ったそれを無視して、


「≪レーヴァテイン≫、解放。――敵を、壊せ」


 指輪が瞬いた。


 ヒビヤの指輪から黒い線が現れ、真っ直ぐに異形に向かって狙い過たず突き進んでいく。光速の一撃は、ドラゴンの頭部を貫き、崩壊させ、活動を停止させる。ドラゴンはその場に倒れ込むように伏してピクリとも動かない。


 指輪使いと、ドラゴンの決戦が終わったのだ。


 対象が沈黙したことを確認すると、ヒビヤは腕を下ろして踵を返す。これで自分はお役御免だ、あとは偉い人たちに任せよう――そう思って歩いていると、不意に横から突進してくる人物がいた。


「流石だぜヒビヤ。お前ならやってくれると俺は信じていたぞ。やっぱ俺の目に狂いはなかったなガハハ」


 馴れ馴れしく肩を首に回し、煙草を加えた口でニカと笑う。


 ヒビヤの兄貴分である春川エイジだ。彼が口にした通り、この作戦にヒビヤを推薦した人物で、推薦した立場から想定した通りの結果を出してくれたことに実に嬉しそうにしている。そこまで嬉しそうにしてくれるとヒビヤも悪い気はしなかった。先生の反対を押し切ってまで作戦に参加した甲斐もあるというものだ。


「この後パーティーでもしようぜ。世界を守ったお祝いってことで」


 首に回された腕に力が入る。


「エイジ、痛いってば。そっちも疲弊してるだろ、それはまた今度ってことで」


 ヒビヤが断るとエイジはぶーぶーと子供のような文句を言うが、付き合う訳にはいかなかった。こちらは早く帰って先生に無事を伝えなければならないのだ。


 先生は怒ると怖かった。


 けれど今そんなことを思い出したとしても仕方がない――回想に戻り、ヒビヤを引き止めるようにもう一人現れたことを思い出す。


「ご苦労だった、ヒビヤ」


 九条コトネだった。


「――コトネさん」


 唐突な登場だったし、身長で子供かと思って一瞬戸惑ってしまった。コトネは特に気にした風もなく、


「こちらの被害もなく、作戦が成功したのは間違いなくお前のおかげだ。改めて、ここに来てくれたこと、感謝する」


「いえ、俺がいなくても……」


 お前がいなくとも作戦は成功していただろうな、とコトネは頷いた。


「だがな、お前がいたことで人が死ななかったことは事実だ」


 褒められた。


 ヒビヤの返事がないことを疑問に思ったコトネは顔を上げて、数瞬した後、


「顔が赤いが、熱でもあるのか? 体調が悪いなら速やかに帰って休息をとることだ。ではな、あいつにもよろしく言っておいてくれ」


 コトネはヒビヤの横を通り過ぎていく。この作戦の指揮官でもあるから、この後の作業もしなくてはならないのだろう。


 小さい体に反して立派に仕事を務める毅然とした態度は、ヒビヤにとって憧れだった。


 今思い返してみると、コトネが指揮官になった作戦では犠牲者は存在していないのだ。だから、さっきのあれは褒められたとは言えないのではないだろうか――去っていく小さな背を横目で見ながらそんなことを考えていると、髪の毛がぐしゃぐしゃとかき回される。またか。


「おいおいどうした少年、惚れちまったか?」


「そ、そんなわけ」


 慌てて否定しようとしたヒビヤだが、遮ってエイジは語り始める、


「でもな、コトネはやめておけ。お前もコトネが滅茶苦茶厳しいのは知ってるだろ? 付き合ったとしてすぐに尻に敷かれるのがオチさ。昔俺もデートに誘ったんだが、返事はげんこつときたもんだ。というか、そもそもあれだ。お前んとこの先生とコトネは」


「――仲が悪い。わかってるよ、だからあまり関わらないようにしろって言われてる」


 そうなのだ。先生とコトネはすこぶる仲が悪い。同じ部屋に十秒でもいたらどちらかが爆発するほどの仲で、一度起きた喧嘩は殴り合い蹴り合い掴み合いにまで発展する。


「お前も大変だな、普通なら両手に花つって羨ましがられるはずなのによ。ま、さっさと帰ってやんな。あのクソガキと何やってたんだーってキレられても知らんぜ?」


 頭から手が離れる。後ろを向いて、引き止めたのはそっちだろ――そんな視線を送ったつもりだったが、それに気づいてかエイジが煙草を指で弾き飛ばしながらそうだ、と呟く。


「今度は何」


 かなり素っ気なく言ってしまったが、どうせくだらないことだろう。しかし、ヒビヤの考えとは裏腹にエイジは大真面目な顔で言った。


「――なあ、ここでポイ捨てしたらどうなんの?」


 やっぱりだった。無視して踵を返そうとする。


「ああ待て待て、冗談だ。――お前さ、これからどうすんの? 今回のことでお前は英雄となった。あの人の指揮があるからつって、作戦に参加していたやつは無事に終わると思っていないやつは多くいたはずだからな。それと同時に、すげえ力を持ってるっつーことが指輪使いどもにバレちまったわけだ。正式に訓練を積んで指輪使いになった方がいいとか言われ続ける生活が始まるかもしれんぜ」


 その問いに、


「まだ決められないよ。指輪使いになるかどうかも、先生と相談して決めることにする。でもさ、必要だったら呼んでくれ。今回みたいに誰かの助けになるなら嬉しいし」


 エイジは眉根を寄せる。それは実質、指輪使いになるのと同義ではないだろうか。


「どうかした?」


「いんや、お前がいいならそれでいいよ」


 なんだそれ。ヒビヤは短く笑う。


「じゃあな、ヒビヤ。――最強の指輪使いさんよ」


「だから指輪使いじゃないって」


 最強、と言われることはまんざらでもなかった。事実、他の指輪使いの助けがあったとはいえ自分はあれほど恐ろしいドラゴンを一発で滅してしまったのだ。


 今思えば自分は最強ではなかったと思うし、仮に最強であったとしても、そんなことは何の意味もないと思う。


 英雄であっても、力があっても、望むことはできないのだ。



 そして、現在。


 バン、と家の扉が壊されたような音が家の中に響く。続いて足音。人数は二人。二人はずかずかと家に上がり込み、障子を乱暴に開きながら捜索を開始する――が、すぐに目的のものは見つかることになる。元々そんなに広くはない家だったし、二階があるわけでもないからだろう。


「――随分な荒れようだな」


 少女の言うとおり、家の中は大した荒れようだった。シンクに山と積まれた食器類に、破裂しそうなほど詰め込まれたゴミ袋、タンスから飛び出た衣類、


 英雄。


 咲坂ヒビヤだった。


「――あ……久しぶりです、コトネさん」


 コトネの声に気づいたヒビヤは顔を上げる。英雄だった時の実直さ溢れる顔はやつれにやつれ、ただでさえ線の細かったのに加え、ろくに栄養を取らなかったと思しきその体は酷く痩せこけている。コトネは後ろに立っていたエイジに指示をする――エイジはゴミ袋や衣類で埋め尽くされた足場に苦労しながらヒビヤの元まで歩いていく。


「……ったく、何やってんだ、ヒビヤ」


「へへ……何もやってなかった」


 生気のなくなった顔で笑うヒビヤ。エイジは持っていたビニール袋からペットボトルを取り出し、ヒビヤの口元まで持っていく。


「ほら飲め」


 ヒビヤはエイジが真剣な表情で言っていることを認めると、ゆっくりとペットボトルに口をつける。その様子を歯を食いしばって見ていたコトネはぐしゃぐしゃと髪をかき回し、


「ち、あいつめ、本当に帰ってきていないのか。一体何をしているんだ……!」


 エイジはヒビヤが水をゆっくりと飲んでいることに安心し、コトネが悲痛な表情を浮かべていることに憂う。


 ――こいつがここまで狼狽するとは。


 ヒビヤが衰弱しているのも、コトネが荒れているのも、ある出来事がきっかけだった。


 先生の失踪。


「――私のせいだ」


 一か月ほど前、コトネの元に一件の電話があった。人物は先生からで、内容は「しばらくいなくなる」と一言だけ。どういうことかと問い詰める前に電話は切れ、何度かけても繋がらない。仕方ないと電話をヒビヤにかけ、話を聞こうとするも返ってくるのは「とにかく大丈夫」という言葉だけだった。その時は急ぎの業務が溜まっていたこともあって、何かのいたずらかと判断してしまったのがすべての間違いだった。


 ヒビヤの言葉を信じるべきではなかった。


 ヒビヤを心配する自分を信じるべきだったのだ。


 一度後悔の渦に入ってしまえば抜け出せない。異変に気づけなかったこと、業務を理由に足を運ばなかったこと、二年前の作戦を機にヒビヤを正式に指輪使いにすべきだったこと、そもそもあいつにヒビヤを預けていたことが、


「――コトネ!」


 かけられた声にびっくりした。


「――どうした、エイジ」


「どうしたじゃねえよ。お前は何のためにここに来たんだって話だ、自分を責めるために来たわけじゃねえだろ」


 エイジの言う通りだった。自身を苛んだことにより額に滲んだ汗を乱暴に拭い、


「感謝する。お前を連れてきたことは間違ってなかったようだ」


 先ほどまで錯乱一歩手前までいっていたコトネからの言葉にエイジは目を見開くが、すぐに破顔し、


「それでこそ九条コトネだぜ。ほら、お前の口から言いな」


 エイジがコトネを促すように、ぽんと背中を叩く。その勢いに乗るように歩き出し、何事かと口を開けているヒビヤの前にしゃがみこむ。


 深呼吸、


「――ヒビヤ。お前に、学園の教師になってもらおうと思っている」

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