第4話 緑の館と狂犬王子(1)


 国王陛下の許しが出て二週間後、ついにクロヴィス殿下のところへ行く日がやってきた。


 王宮へ行く馬車にひとり揺られながら、クロヴィス殿下の情報を整理する。

 主に私を怖がらせるために義母とジゼルがわざとらしく話しかけてきた内容で、随分誇張されているだろうけど全くないよりはましだ。



 クロヴィス殿下は今年で御年二十歳。顔にはやけどの痕があり、目つきも鋭く誰もが恐れる容姿。一部の親しい人を除き、他人は寄せ付けないという大の人嫌い。王族以外は人と認めない差別主義者ともお義母様たちは言っていた。


 またクロヴィス殿下に目を付けられた者は猟犬に狙われたように周囲を嗅ぎまわられ、些細なミスも不正として扱われて噛みつかれる。呪いを受け、怪奇現象に巻き込まれたり、幻覚や幻聴に悩まされるという噂もあるんだとか。



 そんな殿下は謹慎を言い渡されて、現在王宮の裏にある妖精の森と呼ばれるところでひとりで暮らしているらしい。

 にわかには信じがたい話ばかり。話を盛りすぎて逆に怖さが半減だ。お陰で緊張が和らいだわ。



 王宮の門を越え、森の中に入り十分ほどすると目的に到着した。

 緑の館と呼ばれる建物は白い壁に緑の屋根の二階建てで、想像よりも小さく、屋敷というよりはマナーハウスとう表現がぴったりだ。



「ナディア・マスカール嬢でいらっしゃいますね。僕はクロヴィス殿下の騎士をしておりますニベル・アスランと申します」

「アスラン卿ですね。お出迎え感謝いたします。どうか本日よりお願い致します」

「早速、緑の館にご案内します」



 アスラン卿に案内されエントランスに足を踏み入れた。

 エントランスは吹き抜けで二階と繋がっており、調度品や装飾は一切なくガランとした空間が広がっていた。そして埃の匂いに思わず顔をしかめてしまった。



「掃除が行き届いておらず不快な思いをさせてしまいましたね」

「申し訳ございません! その――」

「仕方のないことです。以前はクロヴィス殿下の乳母であった僕の母が管理していたのですが、体調を崩して侍女を退いてからこの有様なのです。クロヴィス殿下は警戒心が強く、どの後任候補も拒絶されてしまって。僕たちも普段の業務がありどうしても後回しにしてしまい……」

「左様でしたか。私は認めてもらえるよう頑張らなければなりませんね」

「期待しております。それではクロヴィス殿下がいらっしゃる二階へご案内します」



 エントランスにある階段を上り、カーテンが閉じられたままの薄暗い廊下を進んだ。

 人嫌いという噂は本当で、屋敷には私たち以外誰もいなかった。



「ここからはマスカール嬢おひとりで殿下にご挨拶ください」

「はい」



 ある扉の前で立ち止まると、アスラン卿は「失礼いたします!」と言ったあと扉を開けた。



「――っ」



 思わず息を飲んだ。

 重厚なテーブルがあることから執務室ということは分かるのだが、テーブル、ソファ、床のあらゆるところに本や紙の束が散乱していたのだ。エントランスの埃が可愛いくらいの散らかりっぷりにおののく。



「まだ俺のところにきたいと思う令嬢が残っていたとはな」



 唖然としていると、テーブルに積み重なっている本の塔の陰から青年が頬杖をつきながら顔を出した。


 王族エルランジェ直系の証である光を集めたような色素の薄い金色の髪、筋の通った鼻梁に薄い唇、完璧な位置で載せられたエメラルドのような瞳は、鋭く観察するようにこちらに向いていた。


 そして噂通り、私から見て左半分には爛れたようなやけどの痕があった。仮面や前髪で隠すことなく曝け出された痕は、普通の令嬢なら恐ろしくて目を背けてしまうような痛々しさがある。



 造形が美しいからこそ、痕の恐ろしさが際立っていた。

 でも私はこんなことで怯えていられない。



「クロヴィス殿下とお見受けします。本日は国王陛下のご紹介で参りました。私はマスカール伯爵家の長女ナディアでございます」



 幼いときに習い、忘れないように密かに練習を続けていたお辞儀をする。



「お前はどんな腹積もりでここにきたんだ?」

「殿下がより快適な生活を送れるよう、そのお手伝いをするためです。ご期待に添えられるよう努めますので、ご指示ください」

「そうか、こっちに来て顔をよく見せろ」


 ゆっくりと頭をあげテーブルの前に立つと、再び冷たい視線が容赦なく向けられる。まるで喉元に牙を当てられたようなプレッシャーがあった。目に見えて不機嫌な様子だ。

 私はただ静かに受け止めるだけ。



「ここでは俺の命令が絶対だ。俺の望みを叶えられないような人間はいらない。消えろといったら、すぐに出ていけ」

「かしこまりました」

「ならお前の仕事は掃除だ。緑の館の中を全て綺麗にしておけ。次、お前から俺を訪ねるときは終わってからだ」



 彼はシルバーのリングを本の上にトンと置いた。



「入館許可証のようなものだ。出入りするときは必ず身に着けておけ」

「はい。ちなみに掃除に期限や注意点はございますか?」

「自分で考えろ。さっさと出ていけ」



 噂に違わぬ傲慢さで命じたあと、興味が失せたように鋭い視線は彼の手元にある本に落とされた。

 私は深く一礼して部屋を出た。



「どうやら一次関門は突破できたようですね」

「アスラン卿、やはり私はすでに試されていたのですね」



 掃除を命じられたとき、もし怒りを顔に出していたら即刻解雇を言い渡されたに違いない。


 主の身なりや身の回りを整える侍女とは違い、掃除はメイドの仕事。しかもメイドの中でもさらに階級が下の者や新人がするような仕事だ。


 侍女として出仕した貴族令嬢にとっては屈辱的な行為で、抗議されてもおかしくない命令だ。

 ありがたいことに私にとっては慣れた仕事。思わず笑みが零れてしまう。



「おや、殿下の命に不服ではないのですか?」

「えぇ、覚悟してきたので平気です。早速ですが、掃除道具が置いてある物置にご案内してくださいませんか?」



 私がニッコリと笑みを向ければ、アスラン卿は一瞬だけ目を見開いたあと「もちろんです」と嬉しそうに腰を折った。

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