お婆と白鳥【創作昔話】

片喰藤火

お婆と白鳥

お婆と白鳥

                    片喰藤火


 昔々、手下(てか)の浦のほとりにある石に、お婆さんが座っていました。

 そのお婆さんは村外れに住んでいて、夏の終わり頃から次の年の田植えの時期まで、毎日のようにそこへ座っているのでした。


 秋の収穫が終わり、太助が遊んでいると、手下の浦のほとりにそのお婆さんを見つけました。

 太助はお婆さんがいつ頃からそこにいるのか、どうしてそこにいるのかわかりませんでした。


太助はお婆さんを遠目に見ただけで家に帰り、夕ご飯を食べている時にお父さんに聞いてみました。

「お父。あのお婆は、何でいつもあそこにいるん。」

「知らん。俺が子供の頃からああして座っている。」

 お父さんはそれ以上何も話してくれませんでした。お母さんも知らないと首を横に振りました。太助のお祖父さんとお祖母さんはもう亡くなっていたので、それ以上の事は聞けませんでした。


 太助は一晩寝ても気になったので、また手下の浦のほとりへ行ってみました。

 やはりお婆さんはそこに居て、ほっかむりを目深に被っています。

 太助が近づいてきた物音で気が付いたのか、お婆さんから太助に話しかけてきました。

「なんじゃ。がきんちょが。」

 太助はお婆さんの少し威圧的な声にたじろいでしまいましたが、勇気を出して聞いてみました。

「お婆。こんな所で何しとん。」

「白鳥を見とった。今年はもう来とる。」

「そっか。きれいだもんな。」

 太助はとくに疑問も持たず納得しました。

「じゃがもうぼやけとる。しらそこひじゃ。」

「しらそこひ?」

「目が白く濁るんじゃ。」

「そんじゃあ。田植えも稲刈りも大変だったな。誰も手伝ってくれなかったのか。」

「あたしはまだ見えとるし、身体も動く。一人で食ってく分作るのは訳ない。」

 太助はしばらくお婆さんと一緒に白鳥を見ていましたが、すぐに飽きてしまいました。

「お婆またな。」

 そう言って太助はさっさと家に帰りました。


 太助は夕ご飯を食べている時に、お婆さんの事をお父さんに話しました。

「あのお婆な、白鳥を見てるんだと。」

「そうか。」

「おれはすぐ飽きたけど、お婆はよっぽど白鳥が好きなんだな。」

「迷惑になるから、あまり行くな。」

 太助はお婆さんが迷惑そうには感じていなかったと思いましたが、お父さんの言う事を聞いて、少し日を置いてから行こうと思いました。


 三日後に行ってみると、やはりお婆さんは手下の浦のほとりの石に座って白鳥を見ていました。

「お婆はおれが来ると迷惑か?」

「別に迷惑と思っとらん。父親にでも言われたか。」

 太助は素直に頷きました。

「おまえ、清一のとこの倅か。目がそっくりじゃ。」

「うん。俺は太助。家は細い川を上った先。」

「ここは村外れで、あそこから少し遠い。お前を心配して言ったんだろう。ここで白鳥見ててもかまわねぇが、日が暮れる前に家さ帰ぇれ。」

 太助は時々来るだけでしたが、お婆さんは毎日白鳥を見に来ているようでした。


 季節は冬に変わって、寒さがしんしんと冷え込む頃。その日はお婆さんの隣に白鳥が座っていました。

 太助が近づいても逃げようとしません。それに、お婆さんもほっかむりをしていませんでした。

「お婆の髪はまっしろけだ。はくちょうの羽みたいだな。」

「あたしの髪は昔っから綺麗な白色じゃ。」

「お婆は昔からお婆なのか。」

 太助がそう言うと、お婆さんは大仰に笑いました。

「あたしが若い頃は別嬪じゃ。ただ、髪が黒くなかっただけじゃ。」

 お婆さんは少し声の調子を落としながら言いました。

「北の方の国には、あたしみたいな髪の色をした人間がいるらしい。そやつらにとっても、あたしはやっぱり除け者されちまうかね。」

 太助はお婆さんを除け者にしているつもりはありませんでしたが、そのせいでお婆さんが村外れに一人で住んでいるのかと思いました。

「北の国の人は髪が黒じゃないのか。そういや白鳥も北の方から来るから白いのか。だったらおれは北の国では除け者にされちまうのかな。」

「さて、どうだろうねぇ。」

お婆さんは太助の頭を雑に撫でてやりました。そして傍らに居た白鳥を見ながら言いました。

「白鳥は尊いお方の生まれ変わりだとも言われておる。」

「人間が白鳥に生まれ変わるんか。」

「そういう魂もあるのかもしれん。じゃからこいつは、もしかしたらあたしの事を知っとるお人かも知れぬ。だとしたら大層美男子だねぇ。」

「白鳥の顔はみんな同じに見える。」

 お婆さんは白鳥に生まれ変わる前の誰かの事を思って言ったのですが、太助が白鳥の顔をまじまじと見る姿が可笑しくて、ひっひと擦れた笑いをしていました。

「あたしも歳をとった。あのお方の老いた顔など想像できないのう。」

 お婆さんは空を仰ぎ見てから太助に向き直って、追い払うように言いました。

「ほら、もう帰ぇれ」

 太助は生まれ変わるという事がよくわかりませんでしたが、白鳥がお婆の傍を離れないので、あの白鳥はやっぱりお婆さんの知り合いの生まれ変わりなのかも知れない。と、思いながら家に帰りました。


 その年の冬は大層冷え込み、あまり雪が積もらない土地でしたが、吹雪が続いて皆薪の心配をするほどでした。

「お父。お婆はこんな日も白鳥見に行っとるかなあ。」

「こんな日は外へ出ないだろう。」

 太助が手下の浦の方を見ていると、灯が見えた気がしました。

「おれ、様子見て来る。」

「だめだ。もう日は暮れている。危ないからお前は家にいろ。」

太助はお父さんの言う事を聞かず、手早く傘と蓑を羽織って出て行ってしまいました。

――やれやれ。と、直ぐにお父さんも太助の後に続きました。


 お父さんが手下の浦のほとりへ着くと、太助がお婆さんの袖を引っ張っていました。

「お婆。帰らんと。凍えて死んじまうよ。」

「あたしは、もう帰れないよ。どこへ帰れって言うのさ。」

 お婆さんの視線の先に一匹の白鳥が、吹雪の中じっとお婆さんを見ていました。まるでお婆さんの事を待っているみたいでした。

「白羽様。」

 太助は、お父さんがお婆さんの名前に「様」を付けて呼んだ事に驚きました。お婆はひょっとして位が高い女の人だったのか。と、思いました。

 お父さんがお婆さんを背負おうとして屈むと、お婆さんは観念したようにおぶさりました。

 太助はお婆さんの横にあった提灯を拾ってお父さんの後に続きました。


 お婆さんの家に着いて、式台にお婆さんを下ろしてあげました。そしてお父さんは、太助から提灯を受け取り、囲炉裏にあった薪に火を移しました。 

「清一よ。すまなかったな。太助もな。」

 土間で所在無さげにしていた太助が、聞きにくそうに尋ねました。

「お婆の名前は白羽っていうのか。じゃあ今度からそう呼んだ方がいいのかな。」

「今まで通りお婆でいい。ただのお婆じゃ。それでいい。」

 お婆さんは太助の傘と蓑に付いていた雪を払ってやりました。そして白湯でも飲んでいくかとお父さんに尋ねました。しかしお父さんはは直ぐに帰ると言って太助の手を取ってお婆さんの家を後にしました。


 家へ帰る途中、太助はお父さんに言いました。

「お父。嘘ついたな。お婆の事知っとった。」

「嘘はついていない。どうしてあそこに座っているかを知らなかっただけだ。」

 太助は頬を膨らまして納得していない様子です。

 お父さんは一呼吸おいてから、ぼそりと話し出しました。

「俺が知っているのは、俺の爺さん。お前の曽祖父さんが、白羽様を都からお連れしたという事と、都で命を狙われていた事ぐらいだ。それで親父と俺が匿っていた。今追手があるのか、都がどうなっているのかは分からん。村外れに一人でいるのは、白子は災いをもたらすからだと言われているからだ。それに目立つ。村の者に大丈夫だと説明しても納得はしてくれぬ。」

 あえて吹雪の音が混じって聞き難いなか話したのは、お父さんは太助にそういう事を伝えたくなかったからなのかも知れません。

それを聞いても太助は納得できませんでした。


 次の日、吹雪は止んだものの、お婆さんは寝込んでしまいました。

お父さんと太助が交互に見舞って看病していましたが、一向に良くなりませんでした。

 太助はお婆さんを見舞った帰りに、いつもお婆さんが座っていた石に座って、湖にいる白鳥に言いました。

「お前、知り合いならお婆を助けてやれよ」

 白鳥はクワとも鳴かずに太助を見つめるだけでした。


 太助とお父さんが冬の間中看病していたおかげか、お婆さんの調子も良くなってきました。

 そんなある日の朝。太助は何かに呼ばれたような気がして起きました。

 お父さんとお母さんはまだ眠っていたので、こっそりと外へ出てみました。


 積もっていた雪もようやく解け始めた早春の道を行くと、明け残る手下の浦のほとりに誰かが立っていました。

「お婆?」

 太助は目をこすってようく見てみました。

 それは確かにお婆さんなのですが、背中が曲がっておらず、目も白く濁っていないようでした。

 お婆さんは太助には気づかず、一歩一歩湖の方へ歩いて行きます。

 その一歩ごとに若返っていき、湖に足を付けた時には若い娘の姿になっていました。

 丁度東の方に日が昇り始め、白澄んでいた空の星々は見えなくなり、辺りを明るくし始めます。

 暁光に照らされたその姿は、神様かと見紛うほど美しく、白く輝く髪を靡かせていました。

 太助はその光景に呆然と見蕩れてしまいました。

 お婆さんはさらに湖の中へ歩きだしました。今度はその美しい娘の姿が、だんだんと白鳥の姿に変わっていきました。そこでハッと気づいた太助が、お婆さんを引き留めようとしました。

「お婆!」

 お婆さんは太助の方を振り向いて、にこりと笑ったあとは勢いよく水面を駆けて行きました

 それに合わせて沖で待っていた白鳥も一緒に駆けだしました。

 お婆さんの白髪が白い羽に変わっていき、白い着物の袖と一体になり、その羽を大きく羽ばたかせました。

 鳥風に煽られた太助は目を瞑り、再び目を開けた時は、二羽の白鳥が北の方へ飛び立っていきました。

 そして、白鳥の羽が数枚、太助への土産のように舞っていました。

 太助は、あれが生まれ変わるという事なんか。と、思いながら、二羽の白鳥が仲良く北へ帰っていく姿を、いつまでも見ているのでした。


 以来手下の浦、今の手賀沼のほとりにあるお婆さんが座っていた石は、「白羽石」として祀られ、「その石に白髪を捧げて祈ると、白鳥に生まれ変わる事が出来る」という風に言い伝えられているそうです。



――おしまい――


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