第51話 『Hour of bliss』至福の時間

三人の乗った車は門扉を通り抜け、ウォーレン邸の広大な敷地の突き当たりまで入る。

建物が目に入ったそのたもとに、大きなパラソルを手にした小さな人影が見えた。


「司だわ!」


身を乗り出さんばかりに嬉しそうに微笑む有紗に、玲音は微笑みながらゆっくりと体を起こした。


近付いてきたその人影を確認しながら、ふと思い出す。


「そうか……Nice to meet youだ……

ツカサとは初対面ってていだったな。めんどくせぇ……」


思いを巡らす玲音をルームミラー越しにジェンミがとらえた。


「え?! ウソだろ? レオ! まさか久しぶりに人に会うから緊張してるとか!? ガラじゃないじゃん! あははは」


「はぁ?! 誰がだ?! 緊張なんかするかよ!」


「ホントに!? アリサ以外の女子に会うのなんて、おとなりのコンラッド夫人くらいしかいなかったもんね?」


有紗が吹き出す。

「フッ、あはは」


「チッ! お前じゃねーんだから、そんなことでいちいち反応したりしねーって」


「なに言ってんのさ。ボクはフェミニストなだけさ。へぇ、彼女がツカサかぁ……母親みたいナンテ言ってたけど、ずいぶん可愛らしい感じの人だよね」


そう言ってジェンミがいち早く車を降りた。


「あ! 待ってジェンミ!」


有紗が妙に慌てて車を降りるのを不思議に思いながら、玲音はゆっくりとドアを閉めた。


背後から二人に近寄っていった玲音は、ジェンミと有紗が並んだ隙間から見えた司の表情に驚く。

それは、有紗が初めてジェンミと対面した時の表情そのものだった。


ジェンミの横にならんで左に目を向けると、意気揚々と初対面の挨拶をするジェンミの向こう側で、うつむき加減の有紗が司に目配せをしていた。


ジェンミが気さくに話しかける。


「レオのことはアリサから聞いてるんだよね? レオとも初対面なんでしょ?」


そう聞かれて、司はつくろうように相槌あいづちを打った。


「えっ、ええ。初めまして……あなたがレオね」


「あ、ああ。初めまして。お招きありがとう」


ジェンミが笑いだす。

「ぷっははは! なんだよ、そのぎこちない挨拶は。気難きむずかしい取引先が相手だって、こんなに緊張感ただよわないじゃん。ごめんねツカサ、レオは今は隠れ身だから、じかに人と接するのが久しぶりでさ」


「あ……い、いえ、ごめんなさい、私の方こそなんだか……そ、そう、こんなイケメンが二人も目の前にいるから……緊張しちゃって。さあ、入って。ほら、有紗も」


そう言って司は有紗の肩に腕を回して、エントランスへ促した。

司を見る有紗の横顔は、楽しみにしていた親友との再会というよりは、心配の色がにじみ出ていた。


「さすが! 相思相愛そうしそうあいだね」


「へっ?」


ジェンミが並んで歩く玲音に笑いかける。


「ほら見てよ、もうボクたちの入るすきナンテないって感じ?」


ジェンミには彼女達の表情は見えていなかったようだ。


有紗ばかりでなく司まであの様子ということは、ジェンミの外観に二人がたじろぐような何かがあるのだろうと想像できる。

司が自分からは話せないと言っていた事とは、一体何なのか……



アールデコ調のランドルフ邸とはひと味違ったカントリーウッドがベースの温かみのある空間に、色白で目元が司にそっくりな小さな男の子が二人と、精悍せいかんに日焼けした男の子が一人。


司の三人の息子たちに対面すると、有紗の表情は一気に和らいだ。


「ロイ、ジェイク、ライアンよ」


兄のロイが、両脇の二人の弟の頭に手をおいてお辞儀をさせた。


「日本語も上手ね。日本流の挨拶もママに教えてもらったの?」


屈んで小さな肩に手を置いてそう尋ねる有紗に、彼は得意そうに頷くと、鼻の下をこすりながら嬉しそうに微笑んだ。


司の夫であるウォーレン氏は、有紗との数年ぶりの再会を喜んだあと、有紗の手土産に三兄弟が夢中になっている間に、別邸にある『ウォーレンブランド』のコレクションが飾られた資料館に皆を案内した。

年代ごとに変化していくファブリックの沿革えんかくを観てとれるその空間は壮観そうかんで、まるで国立のミュージアムのようだった。

モデルルームのを思わせる、それぞれのラグジュアリーなコーナーを自ら解説するウォーレン氏に、有紗は写真を撮りながら、月刊ファビュラスへの掲載許可とインタビュー記事の依頼をした。



テラスでBBQが始まる。

彩り豊かな野菜とともに串に刺さった最高級のサーロインに舌鼓したづつみを打ちながら、一通りフランクに食事を楽しんだところで、彼らは日本の企業情勢について、しばし話を弾ませた。


玲音がその場から司の居るグリルのそばに行く。


「ツカサ」


「ああ」


司は有紗とジェンミが並ぶテーブルに目を向けた。


「だいぶん……打ち解けてるみたいね」


「ああ、まあな。なぁ、さっきは……どうした?」


「ああ、Nice to meet youって気楽に話すつもりだったのに……」


「それはいいけど、やっぱりジェンミのことか」


「うん、はぁ……心臓に悪いっていうか……あ、ごめん、話せないのに」


「いや……」


溜め息混じりに司は肩をすくめた。

「不覚にもフリーズしちゃったわ」


「……そうか」


「有紗も相当衝撃的だったでしょうね。今はもうすっかり馴れたって風に見えるけど……」


「ああ。ジョギングに一緒にいったり、一緒に飯作ったりしてるよ。すっかり仲良しだ」


司が笑い出す。

「へぇ、驚いた。まぁ確かに、彼のコミュニケーション能力は半端ないわね。何て言うのかな、見掛けは絵にかいたようなcool guyで近寄りがたいくらいなのに、スッと人のふところに入るわざを持ってるのよね。気さくだけどきめ細やかで、なにより有紗をすごく気遣ってる。逆に心配になるわ。あなたはどう思ってるの?」


司の意外な問いに玲音が眉を上げる。

「どうもこうも、俺は事情を知らないからなんとも言えないが、要は面倒なことにならなきゃそれでいい」


「また! イイコぶっちゃって」


「別に……そんなつもりはねえよ。ホントにそう思ってるだけだ」


司は有紗を遠巻きに見てから、おもむろに玲音の顔を覗き込んだ。

「ふーん。私は、てっきりあなたは……」


玲音は首をかしげながら司に向き直った。

「俺が? なにか?」


司はスッと視線をまたジェンミに向ける。

「ううん。なんでもないわ。しかし彼、見映えするタイプよね? 一商社マンじゃ勿体ない」


「ああ、ここだけの話だが、有紗はジェンミにファビュラスのモデルをやらせようとしてるらしい」


司は驚いて振り向く。

「え! ウソでしょ! ホントに!? へぇ……有紗、成長したわね。ていうか……もはや社蓄なのかも? わかるわよ、ビジュアル的に適任だもの、読者にも人気が出るでしょうし。ファビュラスにとってもいい功績になるとは思う。でも……」


そこまで言って司は腕組をする。


「なにか、問題が?」


「ええ。一番は有紗自身の問題だと思うんだけど、そこを押してまでっていうのがね……」


「よくわからないが、ジェンミの方は運命だなんだって盛り上がってるけどな」


司はまた、夫と話す彼らに目を向けた。


「なるほど、彼……有紗に気があるわけね」


腕を組んだまましばらくジェンミを見つめた司が、くるりと玲音を仰ぐ。


「男の色気っていう意味じゃ、あなたも負けてないわよ」


「は? なんだ急に?! 話が見えない」


「でしょうね。いいじゃない、あなたも素敵だって言ってるの!」


「そりゃどうも」


司はプッと吹き出した。

「あはは! 相変わらず謙遜けんそんしないわね。初めて会った時を思い出すわ。このいけ好かないモテ男の御曹司が有紗と暮らしてるだなんて、知ったときは震えた上がったわよ」


「フッ、そっちこそ相変わらず容赦ねぇな」


「ふふ、あのときはホントにそう思ったもの。でも、今はあなたがいてくれるから私は安心してる」


遠い目で有紗を見つめる司に、玲音は皮肉な声で言った。

「ホント、有紗の母親に言われてるみたいで落ち着かない気分だけどな」


「あはは。また言われちゃったわね。まぁ、ジェンミさんのことは……正直心配だから、これからも……あ! こっちに来るわ! 話し終わったみたいよ」


ジェンミが席を立ってこちらに向かってくるのが見えて、玲音と司はぎこちなく距離をとった。



「ツカサ、ごめんね、ご主人を占領した上に片付けまでさせちゃってさ。後はボクが片付けるから」


「ああ、いいの。片付けはとっくに終わってて、イケメン御曹司と楽しく話してただけよ」


「あはは、そうなんだ。ありがとう、片付けついでに玲音の相手までしてもらって」


「おい!」


「あはは」

ジェンミが微笑み返す。


「ツカサ、休んで。そうだ! 子供達のところへ行ってあげてよ。日本のゲームは子供たちのみならず今や主婦がドハマりしてるそうだから、ツカサもやってみたら?」

ジェンミは持ち前の屈託ない笑顔をみせた。


「ありがとうジェンミさん、じゃあ、お言葉に甘えて。あ、玲音もあっちに戻ってね」


「ああ」


子供たちの声がするサンルームの方へ歩いていく司を見送った玲音とジェンミは、有紗とウォーレン氏の待つ席に向かう。


「ずいぶん打ち解けたんだね」

ジェンミが玲音に肩をぶつける。


「は?」


「ツカサとだよ、初対面なんだろ?」


「も、もちろん」


「気を付けなよ」


素の言葉に玲音が足を止める。

「は? なにが」


「相手は人妻なんだから」


「はぁ!! お前なにバカなこと……」


玲音が腕を振りかぶると、ジェンミはスルッとすり抜けてウインクを投げた。

「あはは」



「ようやく戻ってきた!」

有紗が二人を見て口をとがらせる。


「え?」


「ミスターウォーレンがお待ちかねよ! ホントならランドルフとウォーレンのブランド対談を取材したいところだけど……今はどう考えたって無理だから、まぁゆくゆくってことで」


「アリサはずいぶん仕事熱心なんだな」


ジェンミの言葉に、ジョージ・ウォーレンは高らかに笑う。


「あははは、全くだ」

そう言って彼は、日本で初めて有紗に会ったときの印象がまさしくそうだったと話した。


世界的なアパレルブランド同士であるということのみならず、同じパームビーチ在住ということもあって、ウォーレン氏は『ランドルフ』の先代とも付き合いがあり、当然玲音の叔母のフィリシア・ランドルフとも交流があると話した上でにっこりと笑った。


「事情は聞いてるよ。ご心配なく。ツカサに重々口止めされてるから、君がここに居ることは口外しないよ。私は妻には弱くてね。あ、アリサにも、だったかな?」


「ふふふ、ミスターウォーレン……」

有紗はにっこり笑みを送る。


「我が社はファビュラスにも恩があるからね、何でも力になるよ」


「ありがとうございます」


「お世話をおかけします」

玲音も深々と頭を下げた。



広大な庭におかれた大きな屋外ガーデンテーブルに席を移して、サッカーボールを追いかける子供たちを眺めながら、地元フロリダのLakeridgeレイクリッヂ Wineryワイナリーの年代物の赤ワインが振る舞われた。


赤く染めあげられた庭木を見上げ、暮れゆく夕日に包まれながらゆったりと過ごす時間はこの上なくラグジュアリーで、有紗はいつになく饒舌じょうぜつに会話を弾ませ、穏やかな団らんの時間が続いた。


ジェンミが玲音に耳打ちする。

「見てよレオ、このワインに書かれた年号……こんな年代物のワインを……」


「おいジェンミ、シケたこと言ってないで、堪能すればいいだろ?」


「そうだけど……」


「まろやかでコクがあるが、えぐみが全くない。いいワインだな」


そうグラスをくゆらせながら、ゆったりと味わう玲音のはす向かいで、上機嫌に話している有紗が幾度もグラスを持ち上げる。


「あーあー、アイツはまた……ちゃんと価値が解って飲んでるのか?!」


玲音がグラスを止めようと腕を伸ばしかけた先にあるその有紗の手を、司がパチンとはたいた。


「こーら! この子は! 飲みすぎちゃダメって言ってるのが分からない?!」


それからも何度もワインボトルに手を伸ばそうとする有紗は、その都度司に注意を受けて、周りに笑いを振り撒いた。


「もう司ったら! 子供達の前で怒らないでよ! 恥ずかしいじゃない!」


「あはは」

「あはは」


温かい笑い声に包まれながら、和やかな団らんは更に続いた。



第51話『Hour of bliss』至福の時間

            - 終 -

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