第50話 『Invited to a friend's house』

開け放ったカーテンの向こうの緑をバックに、有紗は大きな鏡の前で身支度を整えていた。


ノックの音がする。

瞬時にそれがジェンミのものだとわかった。


「アリサ! 支度できてる?」


ドアの向こうから明るい声が聞こえる。


「うん」


有紗はそばに置いてある紙袋を持って、ドアを開けた。


「それは?」


ツカサの可愛いボーイズに!」


Japaneseジャパニーズ Toyトイ? 喜ぶだろうね。あ! それなら……」


ジェンミが慌てて自分の部屋にかけ戻る。


「ち、ちょっと、どうしたの? ふふ、へんなの」


有紗は微笑みながらゆっくり後ろをついていった。

振り返るも玲音の部屋のドアは閉まっている。

開け放ったジェンミの部屋の前に立つと、彼は部屋の隅に未だ幾つか重ねてある段ボールを、わざわざ下ろして開き始めた。


背中に気配を感じた。


「なにしてんだ?」


開いたままのバスルームのドアから玲音レオが頭にバスタオルをかぶったまま歩いてきた。

有紗が肩をすくめながら首を振ると、玲音はジェンミの部屋を覗き込むように、有紗のとなりに並ぶ。


玲音がタオルを首に下ろした瞬間、ふわっと香りが有紗を包み込んだ。

反射的に振り向く。

玲音はそれに気付かないまま、タオルでブラウンの髪を拭きながら、面倒くさそうに表情を歪めた。


「おいジェンミ、なんだ……また探しものかよ? そんなところにバーベキューに必要なものがあるわけないよな?」


玲音がドアにもたれて腕を組みをしながら有紗に目配せをする。


「チッ、これが始まると長いんだ。ジェンミ! 早くしろよ」


「はいはい、そういうレオだってシャワーから出たばっかじゃないか」


「俺はいつだって早いだろ!」


「ほとんど外に出ないくせに!」


「うるせぇ! ってか、なに探してんだ?」


「これから会うアリサの親友、えっと……ツカサだっけ!? その彼女にさ、日本から持ってきたお土産を渡そうと思ったんだ」


「お土産?」


「うん、日本でちょうど限定品のフレグランスソープを入手したから、幾つか買っておいたんだ。招待してもらったお礼に持っていこうと思ったんだけど、うーん……? どこに入れたっけ?」


「それはツカサも喜ぶと思うわ! 気が利くね、さすがジェンミ!」


手を止めた玲音が呆れ顔でため息をついた。


「っつーか、こっちのオンナにばらまくつもりだったんだろ!? でなきゃ普通そんなもん買い込んでくるか?」


「なんだよ! レオだってフレグランスソープ愛用者じゃん。あ! あった!」


「え……フレグランスソープ……なの?!」


そう消えそうな声で言った有紗は、そっと玲音を見上げた。

ジェンミが化粧箱を取り出しながら有紗に振り向いた。


「そうだよ。レオの愛用品のアルマーニのソープなんて、一体これの何倍の値段か……」


「うるさいな!」


有紗は少しうつむきながら、また小さな声で言った。


「そう……オーデコロンじゃなくて……ソープだったのね。『ドラマティカリーコードアルマーニの代表的な香水』の……」


「え? まあ……そうだ。っていうか、そんなことはどうでもいい! とにかく早くしろよジェンミ! お前が運転手なんだろ」


「ほら、これだ! ね? 人使いが荒いと思わない?! いつもこうなんだよ」


そうぼやきながらジェンミは、玲音を押し退けて、有紗をエスコートするように階下に降りた。


三人が揃ったところで、ジェンミは有紗の荷物をひょいと奪って車庫へ向かって出て行く。


「なるほど……女性にモテるわけね」


無意識につぶやいた有紗に、玲音は少し嫌な顔をして振り向いた。


「もしかして、それは俺への当て付けか?」


有紗は大袈裟に驚いた表情をして笑う。


「いいえ! 心底そう思って言っただけだけど?! もしもあなたにそんな風に聞こえたとしたら、それはあなた自身が、そういうところにおいてジェンミにはかなわないって思ってるからなんじゃない?」


玲音は溜め息をつきながら、天井をあおぐように首の後ろで手を組んだ。


「あーあ、なんか……いつのまにかお前もジェンミみたいなこと言うようになったよな? めんどくせ」


有紗は顔を背けて小声でつぶやく。

「だから、そういうところだって」


「あ? 何か言ったか?」


有紗はふわっと微笑むと、玲音の言葉には答えずに玄関ドアを開けて外に出た。



いつものようにジリジリと照りつける太陽も、親友に会えるとなると幾分爽やかに感じられる。


「これからつかさに会えるんだわ!」


「ふーん、まるで恋人にでも会いに行くみたいだな?」


後ろからそう言って近づく玲音から、

吹き抜ける風と共にまたあの香りがただよってきた。

振り返った有紗の表情をとらえた玲音は、一瞬たじろぐ。

その目はまるでなにか違う誰かを見ているかのようで、いつもジェンミに向けられているあの不思議な眼差しと似ていた。


「どうした……それは……」


声をかける間もなく、二人の前にエンジン音を立てて車が到着し、有紗は我に返ったように表情を戻した。


息をついて、何事もなかったかのように後部座席のドアに伸ばした有紗の手を、玲音がサッと止めた。


「えっ? なに?」


リアウインドウが開いてジェンミが運転席から陽気な声をあげる。


「アリサは助手席に乗って! レオは後部座席で〝おねんね〟だから」


「え? どういうこと?」




「ふふっ、ふふふふ」


玲音が舌打ちをする。

「チッ、いつまでも笑ってんじゃねーよ!」


後部座席に体を縮めて横になった玲音が、ふてぶてしい声で助手席の有紗に向かって毒づいた。

ハンドルを握りながらジェンミは意気揚々と話す。


「出かける時はね、ボクが運転してレオは後部座席でこうしてなきゃならないんだ。どこに目があるかわからないだろ? 日本にいるはずのレオは誰の目にも触れちゃ駄目だってわけさ」


前を向いて笑いをこらえる有紗はまた吹き出す。

「そう! それは大変ね。あっははは」


「くっそ、笑うな!」


「だって……あはは」


そう茶化しながらも、有紗は玲音がこの街にどれほど影響力があるかを痛感していた。

普段、フィリシア『ランドルフ』代表玲音の母と同行し、ミーティングや食事会に参列する際も、各所で玲音の名前が聞こえてくる。

彼の存在や立ち位置に、この業界の人間が皆、注目していることは十分認識できていた。

それほどの価値がある人物であることも、毎回肌で感じる。

しかし、日々の生活ではついそれを忘れてのほほんと暮らしている自分がいることも確かで、こうしてふと気付く局面にくるととたんに怖くなる。

彼の存在を、実の家族であるフィリシアと翼に隠していることの罪の重さも感じる瞬間だった。

いつまでも黙っていられないということは、重々わかっている。


ジェンミが辺りを見回す。

「ねえアリサ、ご近所さんなんだよね? なら、もう着くんじゃない?」


ハッとして有紗も周りを確認した。


「あーごめん! そうね。straight on turn left at next Corner」


「Okay! おおっ、こちらも中々な豪邸じゃん?!」


玲音が首だけ起こして窓を覗く。


「だな。『ウォーレン』といえば世界的なファブリック中心のアパレル企業だもんな?」


ジェンミが驚嘆の声をあげる。

「ええーっ! ウソだろ!? あの有名ブランドの『ウォーレン』のことだったんだ?! 驚いたなぁ……ウチにもあるよね?!」


「ええ、私も寝具一式『ウォーレン』なのよ」


「そうなんだ?!」


「まぁ……ツカサにもらったんだけどね」


「ははは。なるほど」


玲音も横になったまま頷く。

「まぁ、大企業だから、会長がこのパームビーチに居住してるのも納得がいくな」


ハンドルを切りながら、ジェンミが不思議そうに尋ねた。


「そのアリサの親友って、同じファビュラスの雑誌編集者だったんだろ? だったら……すっごい玉の輿だよね!」


有紗は苦笑いする。

「まあ……その話をしたらスッゴく嫌がると思うんだけど……」


「あ……それは……聞いといてよかった」


「ふふふ。でも、本人はすごく悩んで決めた結婚なの。年の差ってだけじゃなくて、司も私と一緒にファビュラスを作り上げていく上で一番脂の乗ってる時期だったしね。仕事を奪われたくないって、何度も断ったのよ」


「ええっ! 大富豪の求婚を断るくらい?!」


「そう。私たちのプロジェクトが上手くいっていて、これからのファビュラスの担い手になってた。仕事に燃えてたの。だから私も心の中では司を奪われたくないって気持ちも、正直あったわ。でもね、ウォーレン氏は本当に素晴らしい人で……ずいぶん若いときに先妻をご病気で亡くされたんだけど、ずっとお一人で頑張って来ておられて。でも司に出会って、その実直じっちょくさと思いやりに心が動いたんだって、私にも彼女への思いを語ってくれたの。彼の話を聞いているうちに、いつの間にか私の方が二人を応援してた」


「そうか……そんなストーリーがあったんだね。ふーん……司ってどんなタイプなんだろ? 大富豪をとりこにするくらいのパンチのある感じ?」


有紗はカラカラと笑う。

「いいえ、至ってナチュラル、そして直球タイプ。賢くて洞察力もあって、それでいて損得勘定のないじょうに厚いタイプかな。どっちかって言うと母親っぽいというか……」


「もしくは、彼氏にしたいタイプ……」

無意識にそう言葉にしていた玲音は思わず自分の口を押さえた。

「やべっ!」

司とは初対面を装わなくてはならないはずだった。


「え?」


助手席から向けられた有紗の視線をらせる。


「あ、いや……そんな感じかなぁと思ってさ。電話でしゃべってんのを聞く限りでは……だが」


「ああ、まぁ……そうね。私に対して過保護な人だし、なんせ気が利くしっかり者だから」


ジェンミは辺りを見回しながらにっこり頷いた。


「そっか、本当の親友なんだね。しかし奇遇だよねぇ? たまたまとはいえ、親友が居住するこのパームビーチがアリサにとってのビジネスフロントになるなんてさ」


「あ……それは、また……」


ジェンミが有紗に指示を仰ぐ。

「あ、あそこに停めていいよね?」


「えっ、ええ……」

有紗は俯きながら答える。


後部座席の玲音からは、有紗のぎこちない横顔が見えていた。

一瞬、表情を曇らせた有紗に声をかけようと玲音が手を伸ばしかけたとき、ジェンミがフロントガラスを指差して声をあげた。


「あ、あそこに誰かいる!」


さっと顔を上げた有紗の視線の先には、大きなパラソルの下でゆっくりと手を振る司の姿があった。


「あ! 司だわ!」



第50話『Invited to a friend's house』  - 終 -

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