第20話 『Medical treatment』

彼が発した言葉は意外なものだった。

「ビジネスパートナーにならないか」と、そう言われた有紗は、自分のアイデアに感銘を受けてもらえた喜びに心踊らせた。

ただ単に理解者を得られただけではない。

なにしろ相手は渦中の人物『ランドルフ』の御曹司本人でもある。


「そうなの?! それなら……」

有紗は詰め寄り、勢い余って彼の腕に触れた。


「うっ! 痛ってぇ! お前っ! そこはさっき……」


「あっ! ごめん! っていうか……そんなに痛いの? 見せて」


彼は舌打ちしながら手を引っ込める。

「いいって! 大丈夫だ。それより、なんだよ急に」


有紗が、ミセスランドルフから出された条件のひとつに"甥っ子を連れ戻す"というミッションが課されているということを話すと、彼は一瞬、不意打ちを食らったかのような表情を見せた。

「え? へぇ……意外だな。てっきり諦められてると思ってたが」


そしてすぐに自嘲的な顔で笑う。

「まぁ、あの叔母の事だからな。思いのほか、しぶといってわけか……」


その言葉に有紗は抗議の意を示す。

「そんな言い方ないんじゃない! ミセスランドルフは会社の存亡よりもあなたの事を大切に思ってるように、私は感じたわ。あなたの為だから、それまでの伝統に固執せずに、新風を吹き込んでまでしてあの会社を生き永らえさせようとしてるのに!」


彼は一瞬少し戸惑ったような顔を見せた。


「幸せなことじゃない? そこまで家族に思われてるなんて」


そう言って、見上げるような視線で覗き込んでくる有紗を見て、彼はハッと気付いたように目を見開くと、いぶかしい視線で睨みつけた。


「ははーん、お前さ……そんなこと言って、俺を言いくるめようとしてんだろ。そのミッションの為か?」


「はあ?」

有紗は驚いて顔を上げる。


「今ここでの俺との出会いは、お前にとっては最高の成功に繋がるってわけだ。それなのにそんな、恩着せがましい顔すんなよな!」


有紗は抗議の視線を向ける。

「ひっどーい! 私はミセスランドルフの思いをあなたに伝えたいだけなのに。もう! 勝手にそう思ってなさいよ! とにかく、ミセスランドルフに電話しなきゃ」


有紗がスマホを手に取ろうとすると、彼はすかさず、長い腕を伸ばしてそれを遮った。


「おい待て! まだ叔母には俺がこっちに帰ってることを言うな!」


「え? なんでよ。ミセスランドルフはあなたを探してほしいって言ってたのよ。こっちフロリダに居ると知ったら大喜びよ」


「お前なぁ! ろくに手も下さずに俺を獲得しといて、図々しくも自分の手柄にするつもりか? そうはさせねぇ。俺はまだ今日本にいることにしなきゃならないんだ」


「だから! どうして? そもそもなぜ『ランドルフ』をぐことを拒むの?」


「拒んでるんじゃない。タイミングを見計らってるんだ」


「タイミング?」

その意外な返答に、有紗は遮られている手を静かに引いた。


「ああ、ここぞという時を待ってる。この上ないタイミングが来たら考えるさ。今、親父の会社の方も色々な案件を抱えてるからな。俺の助けがいる」


「ああ……翼さんのご主人ってことね。あなたはそのお父様の会社の役員なの?」


「いや、役員やっちまうと身動きが取りにくくなるだろう」


有紗は首をかしげながら、しばし頭を整理する。

「じゃあ、あなたは一概に反発してるわけじゃないのね? ちゃんとこっちの事も考えてるなら、ミセスランドルフも喜ぶわ。そうね……うん! やっぱり、すぐ電話しましょう!」


「あーっ、もう! ダメだって言ってんだろうが!」


再びテーブルに手を伸ばそうとする有紗のスマートフォンを、彼はサッと奪って立ち上がった。


「もう! 返しなさいよ、私のスマホ」


「ははは、取れるもんなら取ってみろよ」


いくら飛び跳ねても届かない高さに掲げられたスマートフォンを忌々し気に見つめた有紗は、彼が頭上に高く持ち上げた手ではなく、下ろしたままの反対の腕をギュッと掴んだ。


「痛ってぇーっ!」

彼は顔を歪めてしゃがみこんだ。

「おいっ! 何すんだ!」


「ごめんなさい、手荒な真似しちゃったわね」

有紗は彼の手から抜き取ったスマートフォンを静かにテーブルに置いた。


「ごめん、ちょっと見せてね」

そう言って彼のシャツの袖をまくる。


「大丈夫だっつってんだろ!」


「そう言わずに。あ……けっこう腫れちゃってるわね」


彼は息を整えながらソファーに座り直すと、有紗に抗議の目を向ける。


「そりゃそうだろ! お前さ、あのでっかい植木をぶん回したんだぞ! なに考えてんだ! 俺じゃなきゃ死んでっかもしんねぇぞ!」


有紗はそっとその腕を戻して立ち上がった。


「おい! 聞いてんのか!」


有紗はパタパタとキッチンの隣のキャビネットまで向かい、メディカルボックスを出して戻ってきた。

そして更にバスルームからタオル、フリーザーから氷と、必要なものを集め始める。


「先に冷やした方が良かったね。ごめんなさい」


彼は部が悪そうに、自分の腕に触れる有紗から目をそらしながら言った。


「なんてことねぇよ、これくらい。試合前にはもっとアザだらけだった」


「空手って言った? さっき」


「ああ。黒帯だ」


有紗は彼の患部に氷を当てたまま話を続けた。

「フロリダで?」


「ああ。もとは小さい頃、日本に遊びにいった時に父親の知り合いが出てる空手の全国大会を観に行ったんだ。そこから始めた」


「そうなんだ? アメリカの子供って、空手とか、わかるの?」


こっちアメリカでは密かに日本の武道はブームなんだ。俺が通ってた空手教室も人気だった。今もまだやってるから、こっちにいるときは道場に顔を出すようにしてる。師匠には世話になったからな」


「そう? そこから黒帯?」


「まぁ、俺は飲み込みが早いから。うっ、痛てっ! おいっ! お前また今、わざと強く掴んだろ?!」


「あ……ごめん。どこが一番痛いのかなと思って……でもこの尺骨しゃっこつの中心部なら複雑な箇所じゃないから、仮にヒビが入ったとしても、そんなに日常生活に支障はないわ」


有紗は患部を観察しながらメディカルボックスを探り、湿布と包帯を取り出した。

器用に包帯を巻き付けていく有紗に、彼は腕を預ける。


「なんか……手慣れてんな。雑誌の編集長になるにはparamedic救命救急士の資格が必須とか?」


「そんなわけないでしょ。バスケ部のマネージャーだったの。それもかなり強豪校のね」


「なるほどね。あ! だからお前の手帳に『オーランドマジック 全米プロバスケットボールチーム』のことが書いてあったのか!」


「え……そんなとこまで見たの」


「そりゃみるだろうよ、持ち主がわかるかなと思ってさ」


有紗は怪しい表情で彼を睨む。

「ウソね! 絶対ただの好奇心だと思う」


彼はまんざらでもない表情でへへっと笑った。


「で? 『オーランドマジック』のファンなのか?」


「え、私が? あ……それは、うん、まあ……」


「は? なんだその煮え切らない返事は」


処置をしながら平静を装うように有紗は言った。

「いいえ……ファンよ」


「まあいい。だったらいつでもチケット取ってやる。ウチはマジックのスポンサーもやってる」


「そうなの? それってランドルフ家? それとも日本の会社?」


「……叔母だ」  


「そう。だったら素直にミセスランドルフの元に帰ってよ。私の手柄にしたくないんだったら、別に一人でひょっこり帰ればいいじゃない。はい、出来上がり」


その言葉に反発するように、彼は包帯が巻かれた腕をバッと引き戻した。

彼はまたもや呆れた表情を見せる。


「手柄は必要ないから自分でランドルフに帰れだと? なんだそれ! お前さ、ビジネスは駆け引きだろ? タダで俺を引き渡すのか? ちょっとしたことでもチャンスに変えないでどうする!」


有紗はキョトンと彼の顔を見上げる。

「あはっ、それ、あなたが自分で言うこと? 私とミセスランドルフとは信頼関係が出来てるから、あなたを引き合いに出さなくても大丈夫ってこと。純粋にミセスランドルフが喜ぶ顔が見たいって思ってるだけよ」


「は? どんな妄想してんだ。俺と叔母はそんな素直な関係性じゃねえぞ。ガキじゃねえんだから、なにもないまま再会したところで気まずい空気にぎくしゃくするだけだ。それを見りゃ、お前だって興醒めきょうざめするさ」


「だからって先送りなの? ホントに連絡しないつもり?」


「だから! ちょっと待てって言ってんだろ。 それについてはまた追々話すから。タイミングをはかってるだけだって! とりあえずしばらくは、こっちに居ることは叔母には内緒だ」


有紗はやれやれとため息をつく。

「わかったわよ。でも、あなたのことは、この街中の人はみんな知ってるんじゃない? どこに行っても誰に会っても、あなたの話ばかりよ。このパームビーチに居たら、ミセスランドルフのお耳にはすぐに情報が入るんじゃないかしら。私だって困ってるのよ、つい最近もお隣のマダムにあなたのこと聞かれて……」


そこまで話した有紗の表情が一転した。


「ああっ! そういえば……」


「な、なんだよ! びっくりすんだろ……なに急に青い顔してんだ?」


「あの……実は……私……」



第20話 『Medical treatment』 - 終 -

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