最終話 ある秋の日に〈後〉

「紺野先生! 何から何までありがとうございます!」


 森戸さんはパッと笑顔を咲かせると立ち上がり、紺野先生から袋を次々受け取ると、透子と二人キッチンに立つと何やら作業を始める。


 あまりの事態に、俺は酸欠になった金魚のように口をパクパクと動かすしかなかった。


 俺はそこで『夕方に帰る』というのはサプライズ誕生日パーティーのための嘘だったのか、と悟る。よくよく考えてみれば、男子寮で何かを仕掛けるならば内通者せんせいの協力が不可欠ではないか。


「いいや、お安いご用だよ。ん? そちらの方は?」


 紺野先生は、当然俺の横にいる父親を見て首を傾げた。めまいがした。眉間を押さえ、倒れないように必死に耐えるが……紺野先生の後ろに誰かが隠れていることに気が付き、今度こそ気絶しそうになった。


「あっ!! おま……あなたは!?」


「あっ!! この間の!」


「佐々木先生いいいいい!?」


 指を差し合う父親と佐々木先生。叫ぶ俺、事情を飲み込めていない様子の紺野先生。


 ……終わった。これでは先ほどの父親の芝居が大嘘だとバレてしまうではないか。それに、よりによってこの二人、いや三人か? がこんなところで鉢合わせをするなんて。これはもう、再びバトル展開に突入するに違いない。開戦回避のために思考を巡らせるが、妙案が思いつかない。


「……あ、ええっと。香坂環くんの……お父様……ですよね。息子さんの魔術の担当教官の佐々木と申します……」


 しかし、予想に反して佐々木先生のなんとも気まずそうな声が響いた。宿敵を目の前にしているはずなのに、なぜかいつもの覇気は消え失せている。


「あっ、どうも……息子が大変お世話になっております……あと、その節は申し訳ない……」


「ああ、いえ……とんでもない……」


 同じように気まずそうな表情を顔に貼り付けた父親。お互いにペコペコと頭を下げあっている。今日の敵は明日の友ってことか? ……じゃない!


 とにかく事態が飲み込めず、意識が朦朧としかけた。しかし、いくら父親が姿をうまく隠せるとはいえ、さすがに部屋に招き入れるのはうかつすぎた……おのれのやらかしに再び頭を抱えていると、今度は紺野先生に肩を叩かれる。大きく開かれた夕焼け色の瞳は、ここ最近で一番光り輝いていた。


「環くん、お父さんが見つかったんだね! よかったじゃないか!」


「あの、すみません。これにはよそ様にはとてもじゃないけど話せないほどの、ものすごく複雑な家庭の事情があって。この人がここに来たということは、秘密にしてもらえませんか」


「えっ。ああ、わかったよ」


 蓮香さんの魔術の効果で話せることは限られているが、とりあえず言葉になった。ただならぬものを感じたのだろう、紺野先生は笑顔をすかさず消す。ごめん先生。全部俺が悪いんだ……先生に対する罪悪感がまたひとつ増えた。


「えっと、こっちは準備できました! 置いていきますね!」


 俺の部屋を満たす気まずい雰囲気を破るように、台所から森戸さんが顔を出すと、後ろから透子が出てきて無駄のない動きでテーブルの上に皿やコップを並べていく。普段は二人暮らしの部屋に六人の人間がひしめく。賑やかなのは良きことだが、俺の緊張は最高潮に達していた。


 えっと、とりあえず、父親も魔術師だということと、どこから来たのかさえバレなければセーフなのか? セーフなんだな? もうどうにでもなれと心の中で五体を地に投げた。



 ◆



 どういうわけか佐々木先生は父親に何かを問いただすこともなく、俺の誕生日祝いの席に静かに座っていた。向かい合う両者の間には微かな緊張感があるものの、お互いに不可侵を決め込んだのか、表向きは凪いだ海のような穏やかさを保っていた。


 珠希さんも先生たちから少し遅れて到着し、この場にいた父親を見て目を丸くしたが……会釈をしただけで特に何も言わない。彼女は実習林で父親に魔術をかけられ眠らされてしまっているのだが、その時のことはきっと覚えていないのだろう。


「じゃあ、香坂環くんのお誕生日会をはじめまーす!」


 森戸さんの声を合図に透子がカーテンを閉じる。佐々木先生が魔術を使いろうそくに点火すると、学生四人と紺野先生、ついでに父親も歓声を上げた。薄暗くなった部屋でケーキの上に大中小、三本のろうそくが灯っていた。それぞれ、十年、五年、一年だそうだ。確かに十六本も刺すと、ケーキが燃えてしまいそうだ。


「じゃあ、歌いましょ!!」


 森戸さんの声で、バラバラとした歌声が重なってそれなりのハーモニーになる。ここ数年は、恥ずかしいから歌わないでもらっていたハッピーバースデーの歌だ。久々に聞くとやはり気恥ずかしかった。去年までは母親と二人きりで祝っていたが、今年は。


「香坂くん! 早くロウソク消して!」


「あ! はい!」


 森戸さんに叱られながらロウソクを消すと。六人が揃って拍手をしてくれる。こんなに賑やかな誕生日は生まれて初めてかもしれない。


「環くんおめでとう。十六歳かあ。僕はその頃何をしていたかなあ。ああ、ひたすら勉強していたね」


「私も似たようなものだな。東都ここで出会った君のお母さんを追い抜くのに必死だったかもしれない。結局ずっと次席だったが」


 先生二人の思い出話にそれぞれ頷く。魔術の道はガリ勉の道だ、などと言われているくらい、とにかく勉強することが多いものだ。これから進級して実習も増えれば、今よりもっと大変になるだろうと思う。


「えーっと、ケーキを……いち、にい、さん、し……七つに切ればいいのかしら? 奇数だから難しそうね」


「なら、私がやろう。そういうことは得意なんだ」


「さすが佐々木先生、ありがとうございます!」


 森戸さんと佐々木先生が揃ってキッチンに立つと、少し遅れて父親も立ち上がった。


「いや、六つでいい。俺はそろそろお暇させてもらうからな」


「え、召し上がらないんですか」


 紺野先生にそう言われた父親は、わかりやすく肩を揺らした。確かに離席するにはちょっと不自然なタイミングだが、この人はこれケーキを口にするわけにはいかない。特殊な体質のせいで、異世界の食物は毒になってしまう。あと、たぶんももうギリギリだ。


「あ、えーっと? 飛行機の時間が? ちょっとギリギリで?」


「でしたらうちの運転手に送らせましょう。バスやタクシーよりははるかに速いですから。せっかくなので、ご一緒しましょうよ」


 あまりにも下手な言い訳に透子がたたみかける。確かにこいつの愛車は田舎で家三軒買えるほどの値段がするらしい高級車で、それを駆る運転手さんも凄腕らしいが、さすがに時空の壁までは破れまい。


「ああー……えっと……甘いものはあんまり好きじゃなくて」


「偶然ですね。わたしも甘いものはあまり得意ではなくて。でも、ここのケーキはとても好きなんです。さあ、どうぞ」


 皿に乗せた一切れのケーキを差し出しながら、透子はさらに父親に迫った。そこはさすが蓮香さんの娘というか。しとやかな微笑みながら有無いわせぬ迫力を持っていて、父親の目線は救いを求めるように斜め上。小柄な美少女に気圧され、壁際に追い詰められる中年男というのはなかなかに珍妙な絵面である。


「あ!! UFO!!」


 何を思ったのか、父親は窓の外を指さして叫んだ。そんなバカみたいな手に!! と思ったが、なんと透子は素早く向きを変え、掃き出し窓にビタリと張り付いた。皿ごと宙に舞ったケーキは珠希さんがナイスキャッチ。


「UFO!? それはまことかね!? どこにおるのだ!?」


 父親の一撃で優等生の仮面が真っ二つに割れ、先生二人の前で素に戻っている。いや、お前頭いいんじゃなかったのか? なんでまんまと騙されてるんだ。そんなもんいるわけないだろ。


「それじゃ、みんな、これからも息子のことよろしく。先生方も、どうかよろしくお願いします! それじゃ!」


 父親はその隙をつき、先生二人に頭を下げた。上着を羽織り、襟巻きを素早く巻きつけ、部屋から飛び出した。


「あ、はい、お気をつけて!」


「んー? UFOはどこにおるのかね? ……あな? お父上は?」


 今さらキョロキョロする綿菓子。そこで俺はあることに気がついた。


「ちょ、俺、門のところまで見送ってきます!」


 慌てて玄関の外に出ると、父親の姿は……既に見当たらず、代わりに階段下で手を振る佐々木先生の姿があった。ギョッとしたがその正体をすぐに悟り、階段を駆け降りた。なるほど、これが『偽装』か。


「びっくりした。ここから直接飛んだら入り込んでたことがバレると思って……でもなんで姿を消さずに佐々木先生に化けたんだ」


 父親が顔を耳に近づけてきた。その姿はどこからどう見ても佐々木先生なので、妙な気分だ。顎で上を指されたのでその先を見ると、隣の棟の外廊下に人が立っている。


「消えたのを見られるのはまずいだろ。先生ならその辺歩いてても怪しくないし、身長が近いからちょうどいいと思ってな。そこらじゅうのカメラも別で騙しながら……ああ、もう時間がないから行くぞ。適当なところで消えるから」


 見た目だけで声は父親のままなのでますます変だ。そのままほんの少しだけぎこちない足取りで歩く父親を追う。途中、学生とすれ違うが、誰も偽物だなんて思っていないようだ。


「なんて言うのかな。お前はひとりぼっちじゃないことを知って安心した。でも、もし駄目になったらいつでも来るんだぞ。ちゃんと守ってやるから……ああ、遊びに来るだけでも大歓迎だぞ」


「え、遊びにって、そんなことできるのか?」


「ああ。その時は……あの時計に念じればいい。あの時のカードみたいに、難しいことを考えなくてもうまいこと誘導してくれる仕掛けがしてある。いくらお前も力が強いと言っても、そんなに数を打っていいわけじゃないが、長い休みでもあれば、その時にでも」


「……ありがとう。じゃあ、たまには顔を出すよ」


「あはは、そうしてくれるとあいつ高月も喜ぶよ。ああ、ここまでで良い。主役がいないとパーティーができないだろ。早く戻れ。ほら、愛しの彼女もついて来てるし」


「え?」


 指を刺されたので振り返ると、なんとすぐ後ろに珠希さんが立っている。あとをつけられているのに、全く気が付かなかった。


 彼女は目の前にいるに歩み寄ると、ペコリと頭を下げ、栗色の目を輝かせて微笑んだ。


「あの、お父さん。その、はありがとうございました」


「へえ、気がついていたのか。でも、助けたのはあくまでも環だ。君は俺にもわからない手札をたくさん持ってそうだけど、これからはあんまり無茶はしないほうがいい」


「……わかりました。今後気をつけます」


 父親は、珠希さんがもう一度頭を下げたのを見て笑ってから、俺に向き直る。その表情は、今まで見たことのない真面目なものに変わっていた。


「環、お前はそばにいてあげられるんだから、ちゃんと守るんだ……気持ちが通っているうちは、何があっても手を離すなよ」


「あ、ああ。わかった」


 父親からの言葉は、胸の奥にずしんと響いた。この人は、母親のことをいまだに想いながらも、そして想われながらもそばにいることはできない。そのことがどれだけつらいことなのか、今の俺にはなんとなくわかるようになった。珠希さんの手を取って握る。もう二度と、この手を離すものか。


「……あっ、そうか。これはいずれ孫の顔が見られるかも、ってことか」


 どうしてそうなるのかという話だが、その言葉の意味を理解するのに十数秒を要した。固まった俺たちを見て父親はゲラゲラ笑っているが、まるで時空の壁を飛ぶように、妄想も飛んでいってしまったようだ。


「……えっ?」


「はあ!?!?」


 手を離し、同時に声を上げた俺と珠希さん。


「はっはっは! ジィジって呼ばれる日を楽しみにしてるからな! 二人とも頑張れ!! じゃあ、そろそろホントに時間切れだから。またなー」


 ていうか、佐々木先生の顔で何を言うんだ!! 掴みかかろうとした俺を軽くいなして、父親は目の前から消え失せた。おそらく見えなくなっただけなのでまだその辺にいるはずだが、なんにもわかりゃしない。クソ。


 怒りで湯気を出してしまいそうな俺とは違い、珠希さんはその頬をほんのりと染めてはにかんでいた。あまりにも可愛くて、今夜は間違いなく変な夢を見てしまいそうだ……いやいや、ダメだ。なんとか平静を取り戻そうと頬の内側を噛んだ。


「ごめんな!? 父さんが変なこと言って!! もうほんとあの人は!!」


 こんなことでからかってくるなんて、セクハラとか言われても仕方がないだろう。


「えへへ、大丈夫。あのね、これ私からプレゼント。みんなの前だとちょっと恥ずかしいから」


 サッと手渡されたのは、手のひらに乗るほどの水色の包み。軽くもなく、重くもなくといった感じだ。珠希さんからもらった初めてのプレゼントに、感激で手が震え出してくる。


「えっ!? あ、ありがとう……開けてもいいか?」


「ごめんね。恥ずかしいから、後でこっそり開けてほしいかも……」


 顔をそらされてしまった。中身が気になってたまらないし、今すぐに開けてお礼を言いたかったが、そうお願いされてしまうとどうしようもない。後の楽しみにすることにして、ほんの少しうなだれながら、包みをできるだけ丁寧に胸ポケットに押し込んだ。


「えっと、それじゃ、みんな待ってると思うし早く戻ろ」


「そうだな」


 二人揃って、歩き出した。


 ……女子校にいる男子。そんか俺の立場はちょっと微妙なので、付き合っていることは周りに秘密にしている。手を繋ぎたいのをグッと堪え、触れるか触れないかの距離で並んで歩き出す。秋風に背中を押され、並んで見上げた空はどこまでも澄んでいた。


 魔術を使えるのは女性だけの世界で、たったひとりの俺。


 だけど、決してひとりぼっちではない。愛する人がそばにいて、大切な人たちが寄り添い、見守ってくれている。いつだって手を差し伸べてくれて、帰りを待ってくれている。まだまだ不完全で未完成な俺は、ただただ周りの人に守られてばかりだ。


 でもいつの日にか、その想いを返せるように。自分の力で切り拓けるように。誰かを守り導いていけるように。離れ離れになった人を再び繋げられるように。大切なものを手放さずに済むように。


 自分の思う完全なかたちに、少しでも早く近づけるように。これからも歩みを止めずに、進み続けたいと思う。


 〈完〉

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