最終話 ある秋の日に〈前〉

 十月二日、土曜日。長かった夏休みが終わって早くも二週間が経ち、新学期に絡んだ行事や試験等もひと段落した頃。昼食を素早く終え寮に戻ってきた俺はリュックを持ち、再び外に出ようとしていた。


「今日も走ってくるのかい?」


「はい。えっと、三十分……いや、今日は一時間かな。ちょっと遠くまで行こうかなと」


「わかった。気をつけるんだよ。僕もこれからちょっと用事があって、もう少ししたら出るから……帰りは夕方……くらいかなあ、うん。たぶん」


「わかりました。えっと、鍵は持ったよな……じゃあ行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 靴紐を結び終わり、立ち上がる。玄関ドアを押し開けた先には、雲ひとつない青空が広がっていた。


 紺野先生に見送られて外階段を降り、正門の方へ続く並木道を軽く走る。実家にいる間に季節が変わり、あれだけやかましかったセミたちもすっかり姿を消していた。とはいえまだ木々は緑のまま。暑さがだいぶ和らいだことで、秋の気配を感じる程度である。


「あ! 香坂くんだ! 今日もトレーニングかな? 元気でいいね!」


「はい。暇なんで、今日はちょっと外を走ってこようかと。あ、届けはちゃんと出しました」


「了解、気をつけて行ってきてね! あと、さらわれないように!」


「はは、気を付けます!」


 今日も何かの用事なのか、制服姿で歩いていた上崎先輩と別れ、正門を出て坂を下る。遊歩道への入り口に入り、目についたベンチに座ると、スマホの時計を確認した。そろそろ待ち合わせの時間だ。


「よう、久しぶりだな」


 時間きっかりに目の前に現れたのは、自分にそっくりな白髪の男。実に二ヶ月ぶりの再会だ。


「久しぶり、父さん」


 小ぶりな紙袋を片手に持った父親は、俺の言葉に応えるように空いている方の手をあげ笑った。



 ◆



 ここに父親が来ることは、一週間前の夜、母親から電話で伝えられた。父親は俺との約束を守り、ちゃんと母親に会いに行ったらしい。再び俺の記憶を消してしまったことを伝え、俺への誕生日プレゼントを託そうとしたらしいが。


「……まさか、俺の術を防ぐとはな。それに、茨の道を選んだな、たまき


「できるとは思わなかったけど、やっぱり忘れたくなかったからな。魔術がダメなのは、努力でなんとかできるんじゃないかと思ったし」


 近頃は、同じように魔術が下手な透子と並んで補講を受ける日々を送っていた。学科で一番と二番でも、魔術では七十九番と八十番。その極端さが知られてしまっているからか、今やどこに行ってもコンビとして扱われている状態だった。


 挙げ句の果てには月末に行われる学校祭のステージで、漫才をやってほしいと三井さんから無茶振りまでされる始末……俺はもちろん断ったが、透子はなんと言ったのだろうか。


 まあとにかく。佐々木先生と、たまに蓮香さんにもお世話になって特訓しているうち、徐々に光明が見えてきた。とりあえずの目標だった、二年生に進級することはなんとか叶いそうだ。


 ちなみに母親は、人に魔術を教えることにはあまり向いていないようで。一応、夏休みの間に教えてもらいはしたのだが、なんでもかんでも『なんとなく』で片付けられてはどうしようもない。成績は最優秀でも、指導の資格は取れなかったというのにも頷けた。


「そういえばこれ、開けてもいいか?」


「おう」


 父親から渡された紙袋の中には小箱が二つ。まずは片方を膝の上に取り出して開けた。中に収められたいぶし銀の懐中時計は、父親の懐に収まっているものとよく似た意匠が凝らされていた。蓋を開けると、蓋裏には俺の名前が刻まれていた。


「あっ、これ……父さんの時計と同じ?」


「そうだ。俺のと揃いであつらえてもらったんだ。いやあ、誕生日に間に合ってよかった」


「一日遅れだけど……?」


 今日は十月二日、俺の誕生日は十月一日だ。父親は固まる。


「いや、待て。受け取ったのは先週だからちゃんと間に合ってるぞ。いや、だって、どうせ出てくるなら学校が休みの日の方が……配慮だよ、配慮! お父さんの気持ちだ!」


「ごめん、わかってるよ。ちょっとふざけただけ……そういえば、この時計は何で動くんだ? 電池? それとも自動式ってやつか?」


 なぜか止まったままの時計をあちこち確かめる。振ってみたり、竜頭を回しても引っ張っても動かない。壊れてるのか? 疑惑の眼差しでじっと見つめると、ようやく針がぐるりと動く。


 長針と短針がそれぞれ逆回転しながら現在の時刻を示して一度止まり、正しく時を刻み始めた。今までに見たことのない動きだ。


「よくぞ聞いてくれたな。この時計は魔力駆動でな……あっちでは普通なんだけど、ここにはないんだろ? 珍しいか? そのほかにも術式が組み込んであって、自動でだな」


 まるで買ってもらったばかりのおもちゃを自慢する子供のよう。ここにはない珍しい品物と聞けば、確かに心躍るのだが……正直、このカラクリを所持するには重大な問題があった。


「いや、ごめん。これ、ここではたぶん違法なんだけど」


 魔力が関係すると言うことはいわゆる術具の一種、魔術書の類と同じく、国が所持や使用をしっかり管理している物である。無許可でこんな得体の知れないものを持っていることがバレれば、処罰の対象になることもある。


「…………知ってる。大丈夫だ、そこら辺は職人ときっちり打ち合わせしたから、絶対にバレないようになってる」


「………ほ、本当かな? と、とりあえずありがとう」


 そう答えると父親は得意げに笑ったが、本当に大丈夫なんだろうな……? 申し訳ないが半信半疑の状態で、再び箱に収め、紙袋の中に入れた。


 もう一つの箱はなんと高月さんからのプレゼントらしい。父親と兄弟同然に育ったからか、俺のことを新しい甥っ子と認識してくれていたそうで。


 中には見たことのあるデザインの万年筆が収まっていた。黒い軸に、金のクリップがついていた。これまた名前が刻まれたキャップをなんとかして開けると、金と銀に光るペン先が現れた。その輝きに見惚れて思わず息をのむと、父親が笑った。


「今時そんなの使わないだろ? でも、あいつはこういう面倒なものが好きでな。どうしてもっていうから、もらってやってくれよ」


「いや、かっこいいと思う。使い方調べて、使ってみる」


 詳しいことはわからないが、こういうのってきっとすごく高いはずだ。いずれお礼をしないと……そう思いながら慎重に元の箱に収めた。


「あいつ、お前がいなくなってめちゃくちゃ寂しがってたぞ。自分と同じ道に引き込んで、子分にする算段だったんだろう。気が変わったらまたいつでも来てくれって泣くから、『諦めろ』って言っといたからな」


「子分って。でも、なんか申し訳ないな」


「いいんだよ。こればっかりはあいつにはわからんことだからな」


 そう言うと父親は笑い、立ち上がった。そういえば、秋のこんな晴れた日だというのに人が通りがからないのが不思議だ。人払いの魔術のようなものがあるのかもしれない。


「さて、プレゼントも渡したし。時間はまだあるから、後はこの辺を散歩でもしてくるか。こうも自然が多いところだと、時間いっぱい満喫して帰りたくなる」


 確かに父親が住んでいたのはそこそこの都会だった……そこで俺はあることを閃いた。山歩きはいつでもできるかもしれないが、これは。


「うーん、時間あるならちょっとだけ部屋を見ていくか? 今、一緒に住んでる先生は留守にしてるし」


 紺野先生が夕方まで戻らないことは滅多にない。俺の提案に、父親は分厚い眼鏡の向こうでわかりやすく菫色の目を輝かせた。


「え、いいのか!? 実はどんなところに住んでるのか気になってたんだよなあ……しかし、女子寮じゃないのは残念だったな、環」


「……そんなこと思わねえよ、このクソ親父」


 生まれて初めて吐いたセリフだった。父親は怒るどころか大笑いし、それが何だかむず痒かった。



 ◆



 魔術で姿を隠した父親を後ろに従え、男子寮に戻ってきた。やはり父親は色々なものをごまかすことに長けているらしく、センサーが反応して誰かが駆けつけてくると言うこともなかった。念のために玄関を確認するが先生の靴はない。一応中に向かって呼びかけもしたが、返事はない。


「うん、大丈夫だと思う」


 この言葉を合図に父親は魔術を解いて姿を表した。共に靴を脱ぎ、部屋に入る。父親はダイニングをぐるり見回すと、ほう、と声をあげる。


「へえー。なるほどな。寮っていうよりは、なんか昔住んでたアパートに似てるな。ここに先生と二人で住んでると」


「うん。ああ、元々は教職員用の家なんだよ。左側は先生の部屋だから入るなよ。右側が俺の部屋だから適当に」


「おう」


 あちこちを覗いている父親を横目に棚からコップを二つ出す。自分が飲むついでに飲み物を出そうとして、止まった。そうだ、父親はここでは飲み食いできないんだったな……自分だけ飲むのも悪いので、コップを棚にしまった。


「あああああ! あの時の!?!? 白髪のお化け!!!!」


 ……え? 誰もいないはずの部屋で、どうして女の子の声がするんだ?


 俺の部屋のドアを開けたまま固まっている父親。その肩の向こうに見える部屋の隅で、黒髪の女の子が小刻みに震えながらうずくまっている。


「森戸さん!?!? なんでこんなところにいるんだよ!?!?」


 こちらを向き、観念したように顔を上げた森戸さん。月夜の色の瞳が不自然に泳いでいる。


「えっと? 私はちょっと……野暮用? ってやつかしら」


「なんの用事だよ。ていうか、留守の間に人の部屋に勝手に入るのは空き巣って言うんだけどな……」


「やだ、人を泥棒みたいに言わないでよ」


「…………あれ? 環、お前、もうあの子と別れて次の彼女作ったのか?」


「別れてねえよ!!!! この子は友達だよ!!!!」


 父親は目を瞬かせ、俺と森戸さんを交互に見て縁起でもないことを口走る。


 そういえば森戸さんは『肝試しの時に侵入者らしき人を見た』と言っていた気がする……うわあ、これは、二重に面倒くさいぞ。全身の汗腺が開き、冷や汗が噴き出すのを感じた。


「えっ!? ちょっと待って!? 香坂くん、このお化けと知り合いなの!?」


「なんだよお嬢さん。俺は白髪のお化けじゃないぞ。通りすがりのおじさんだぞ」


「いや、あんな登場の仕方するからだろうが!! どっかで見られてたんだよ!! あと、知らないおじさんとこんなとこで会うのも怖いからな!?」


 ……ツッコミ疲れた。慣れないことはするもんじゃない。肩で息をしながら両者を交互に見ると、森戸さんの目がカッと見開かれた。


「えっ、もしかして……香坂くんを誘拐しに来たの!?


「え? 誘拐って何だ? どういう……」


「あわわわわ!!」


 蓮香さんの魔術の効力なのか唇が引きつれて舌がうまく回らない。なるほど、だとは言えないということなのか。


「あな? ……あら、もしかして、環くんのお父様ですか?」


 三者が入り乱れ混沌を極める現場。ベランダから突然現れた第四者……綿菓子、いや透子お嬢様の一声。


 確実に時が止まった。



 ◆




 俺が留守にしていたわずかな間に、なぜか綺麗に飾り付けられた自分の部屋。どうもサプライズで俺の誕生日パーティーを開こうとしていたらしい。ありがたいことではあるが、そのせいで俺たち父子おやこは窮地に陥っていた。


「ごめんね、珠希さんは欠席というわけじゃなくて、ちょっと用事があるみたいで少し遅れるの。ところで、香坂くんのお父さんって、行方がわからないんじゃなかったの?」


「ええ、わたしも環くんからそう聞かされておりますが」


 透子がお嬢様モードなのに調子を崩されながら、内心は冷や汗ダラダラだった。なにせ、何かを話そうとしても口がパクパク動くだけで声が出ないのだ。すると代わりに父親が、ペラペラとないことないことを語り出した。


 自分は海外をウロウロしている学者で、俺が子供の時に、出張先で事故に巻き込まれ大怪我をし記憶喪失に。そのため妻には死んだと思われてしまったし、幼かった俺には『お父さんはいなくなった』と説明するほかなかったと。


 そして父親は記憶がなかったため長らく帰国できずにいたが、記憶を取り戻して先日久しぶりに帰国。あの肝試しの夜、俺と感動の再会を果たした……という当たっているような、いないような。超ド級にボロボロのシナリオだ。しかし、仕方がない。他にどう言えばいいのか、俺にもよくわからない。


 話を聞いた森戸さんは、素直に信じ「よかったわねえ香坂くん」と涙ぐんでいる。ごめん。


 心の中で平身低頭謝っていると、透子が目を輝かせながら、父親にグッと迫った。


「ところで、お父様はなんの研究をされているのですか?」


「ああ〜? えっと……うーん、魔術の研究を少々。あはは」


「魔術の研究? じゃあ、紺野先生みたいなものかしら」


「コンノ先生?」


 森戸さんの言葉に父親が首を傾げた。男だてらに魔術に関わってるなんて、なに馬鹿正直に答えているんだよ馬鹿親父。


 いやまあ、ここで下手なことを言えば、突っ込んだことを聞かれた時にさらに事態が悪化する可能性があるからこれが正解かもしれない。森戸さんはなんとかなっても、透子をごまかすのは無理かもしれないからだ。


 しかし、今ここに紺野先生が現れたらまずい、というリスクもある。男性の魔学者は世界にもほとんどおらず、全員が紺野先生と同じ魔術学校の出身。『全員顔見知りだよ〜』と笑っていたな、そういえば、この間。


 うわあああああ。


 いや、落ち着け香坂環。紺野先生は夕方まで戻らないと聞いている。父親には体質の関係で時間の縛りがあるので、夕方までここにはいられない。だから鉢合わせなどするわけがない。そう思っていると、ドアが開いた。


 珠希さんが来たんだ! そう思ったが、聞こえてきたのは来てほしくないと思っていた人物の声だった。


「ただいま。みんな待たせたね、ケーキを受け取ってきたよ。他にもつまめるものを色々と買ってきたからね」


 …………嘘だろ。

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