女子が三人、力を合わせ

 環くんが消えて二日目、水曜日の放課後。私は一人で研修棟裏の池のほとりを歩いていた。水面を滑るアメンボを眺めながら、深く息をつく。


『環くんを見つける』と決意したものの、私はさっそく血の気を失っていた。プロの人たちが血眼になって探しても見つからない、捕まらない、夢渡りをしてもなぜか遠い……もしかするとこれは、実家の仕業なのではないかという可能性に思いいたったのだ。


 ただ、自分たちに火の粉がかかることを何よりも嫌うのに、ひと目で魔術師のしわざだと疑われるようなことはしないはずではあるけれど。


 には不適格だからといって、私のことを閉じ込めなかったのも、消さなかったのもそういうこと。なぜならこの国の女の子は全員、魔力の有無を生まれた時に調べられるから。その後も中学に入るまでに何度か検査があって、存在を隠すことは難しい。


 痛い腹を探られないため、表向きはちゃんと定められたルールには従っている。姉はみんな素顔を隠し、何食わぬ顔をして学校に通い魔術を学んで、卒業後は免許を得て普通の仕事もしている。大昔はともかくとして、今は古い魔術を今に継ぐ由緒正しい……少し面倒な家としてしか捉えられていないはずだ。


「どうせ、頼まないといけないこともあるもんね」


 ……とにかく一度、母と話さなければ。目についたベンチに腰掛けてから深呼吸する。許可を得て寮から持ち出しておいた携帯電話を取り出した。


「珠希か」


 十回以上コールしてやっと電話口に現れた母は、忌々しそうというか、面倒くさそうに私の名前を吐き捨てた。まあ、それはいつものことだからかまわない。こちらも淡々と要件を告げるだけ。


「はい。もうすぐ前期の成績表がそちらに届くと思いますので、指定箇所に押印をお願いします。返送先は学生寮で構いません」


 それを聞いた母はなぜか心底おかしそうにクスクスと笑った。意味がわからず動揺して、暑さのせいではない汗が体を伝う。


「……なんだ、そんなことか。ところで、そちらで学生がひとり行方不明になっているらしいな。念のために言っておくが、私たちはその件には一切関与していない。てっきりその件かと思ったものでな」


 キュッと喉が締まった。何も言っていないのに、どうしてそのことを知っているのだろう。やっぱり……鏡が入っている胸のポケットを押さえ、口を開いた。


「……それは、鏡を使ってお知りになられたのですか」


「いいや。魔術学校で何かが起こればすぐに噂になるというだけ。そもそも鏡に仕掛けた枷はその手のものではない。お前が秘密を漏らさない限りは何も起こらない。出来損ないがどうなろうが興味はないが、消えてもらっても都合が悪い、それだけ。勝手にしたらいい」


 ブチンと乱暴に電話を切られ、思わず携帯電話を耳から離した。てっきりずっと見張られているのかと思ったけれど、違うらしい。


 確かにわたしの動向を探るために道を開けたままにし、常時見張り続けるのは本当に力を食うこと。それに一晩の間、鏡を環くんが持っていたのに、そのことについても特に触れられない……単に外で話してはいけないことを何かの鍵として登録してあるだけみたいだ。


「まあ、鵜呑みにしちゃいけないかもだけど……」


 ひとりごちて見上げると、鳥の群れが揃って飛んでいるのが見えた。のろいの言葉を唱えない限り、私はあの鳥たちのように自由。それが本当のものかどうかはさておきとして、だ。


 ……いつかは戦わなきゃいけないかもしれないけど。とにかく今は目の前のことだけに集中しなきゃ。


 環くんにしたように、淑乃ちゃんに繋がる道を開ける。そこから彼女の力を引き出して使わせてもらえることができれば、環くんの夢までたどり着けるんじゃないかと考えている。


 これからその話を淑乃ちゃんにしなければ。立ち上がり、寮に向かって歩き出した。



 ◆



 夕食後の自由時間。もはや私たちの秘密基地みたいになってる淑乃ちゃんの部屋。いつものようにベッドに並んで座る。


 私が環くんを探すために何をしようとしているのか、そのために淑乃ちゃんに何をお願いしたいのか、を踏まないように気をつけながら話した。


 話が下手でつかみどころがなかったかもしれない……肩を落としてしまったけど、淑乃ちゃんはなぜか力強く頷いた。


「わかったわ。早く香坂くんを見つけないと私も気が済まないもの。さ、さっさとその『道』とやらを開けてもらおうかしら」


「え、そんな。簡単に決めても大丈夫なの? もちろん全力で守るけど、危ない目に遭うかもしれないし、それにあの」


 肝心なところはぼかすしかなかったから、てっきり『考えさせて』または『嫌』と言われるとばかり。あたふたしている私を見ながら、なぜか淑乃ちゃんは目を細めて笑っている。まさに香坂くんにいじわるしている時と同じ顔。


「大丈夫よ。珠希さんのこと信じてるし、なんだか面白そうだし。なんてったって一生のお願いなんでしょ……そのかわり、香坂くんを見つけることができたら、私のお願いも聞いてくれるかしら」


「な、なに……かな?」


「これは、ちゃんと見つけられたら伝えるわね」


 思わず後ずさった私に磨きぬかれた黒曜石みたいに輝く瞳が迫ってくる。思わず胸を押さえた手に指を重ね絡められて、胸がさらに高く打つ。


「さあさあ、作戦決行はいつにしましょうか? その話だと、二人で同じ部屋で一緒に寝ないといけないわけよね。どうしましょ。千秋さんに部屋を代わってもらう?」


「ううん、違うよ。時間が一緒でさえあれば、距離は関係ないの。もともと離れたところにいる人に干渉するためのものだから」


 いつものように眠ってくれたらいいわけなので、首を振ってみせた。話を始めてからここまで、ずっとらんらんと輝いていた目が元の深い色に戻ってしまった。


「でも、夢の中でちゃんと会えるか不安だわ。大丈夫だと言われてもなんというか、隣にいて欲しい気がするの」


「そうかあ……」


 ここにきて淑乃ちゃんの顔が初めて曇った。たしかに、魂だけよそに飛ばしてしまうというのは、普通の人にはわからない感覚なのかもしれない。よくよく考えれば魔術師にとっても特殊な技能になるし……どうしようかなあと頭を抱えていると、ポコポコとなじみの音がふたつ。


「あら、メッセージね」


「私のもだね、もしかして」


 二つの携帯電話に同時に入ったメッセージ。その送信主は、私たちのもうひとりの友達だった。



 ◆



 土曜日。私と淑乃ちゃんは、透子ちゃんの隠れ家にいた。夕食ととお風呂を終えて、またあのお揃いのドレスみたいなパジャマに身を包んでいる。ふわふわといい香りに包まれた寝室。私たちは三人で寝支度を整えていた。どこかはやる気持ちを抑え、淑乃ちゃんの髪にくしを通す。


『この週末、気分転換に女子会はいかがかね?』


 水曜日に透子ちゃんから受け取ったメッセージ。私たちはポンと手を叩いた。


 次の日に事情を話し、昨日の夜から泊まらせてもらって、三人で今日使う魔術の試行を重ねていた。ここはみんなで一緒に寝られるだけではなく、街から離れているし、もちろん魔力感知センサーもない。少々大きなことを起こしても見つかりにくい場所だ。


「透子ちゃん、いつも本当にありがとう。ご飯、とっても美味しかった。あ、髪終わったよ、淑乃ちゃん」


「本当、ごちそうさまでした。あと髪の毛ありがとうね、珠希さん」


 右耳の横で軽く結んで前へ流したキラキラの髪。そこに手ぐしを通しながら、淑乃ちゃんは笑っている。ちょっとだけ緊張がゆるんだ。


「えへへ」


「気に入ってもらえてなにより。ぜひ今宵も楽しくやろうではないか……さて、二人とも、調子の方はどうかね」


 フフンと笑った透子ちゃんに合わせて私たちも笑う。眼鏡をかけていない透子ちゃんもすっかり見慣れたものになった。あれは伊達眼鏡だけど、学校でしか会わない子……環くんもきっと本当の眼鏡だと思っているだろうな。


「いい感じじゃない? ねえ、珠希さん」


「うん。これなら、今夜……実行できるかな」


 淑乃ちゃんへの道は昨夜に開けた。それを使って一度一緒に潜ってみたり、どのくらいなら私の体に魔力を溜められそうか試してみたり。あとは淑乃ちゃんの魔力を使って魔術を打ってみたけど、一度自分に取り込んでからの方が操作はしやすいようだった。それを元に、作戦を練り直して…………。


 行きは淑乃ちゃんに連れていってもらい、その時に淑乃ちゃんの魔力を私の中に溜められるだけ溜めて、入り口の前で解散。そのあとは溜めた力と自分の力をうまくやりくりしてひとりで戻る、と言うことになった。


 準備は万全。あとは……うなずきあった私と淑乃ちゃんを見て、透子ちゃんはパッと笑顔になった。


「なにぶん私は開眼してまもない。魔術の面で何もできず申し訳ないので、徹底的にサポートさせてもらうとしよう。寝具は徹底的に調整済み。いま部屋に焚いている香りは、睡眠の質を格段に上げるといわれておる特製のもの。そして明日の朝はとっておきの朝食を用意してもらう手はずになっておる。楽しみにしておいてくれたまえよ」


 透子ちゃんはいつもの調子で、滑らかに歌うように話す。最後に必ずしたり顔を残す、そんな自信たっぷりな様子は嫌味どころかとても輝いて見える。


「なんかすっごくいい香りだと思ったけど、そういうのだったのね」


「ありがと、透子ちゃん。とっておきの朝ごはん、楽しみにしてるね」


「それと……たまきくんの居場所がわかったならば、当主おかあさまに動いてもらうよう話はつけてあるからの。彼はわたしの恩人だからということで、色々細かいところには目を瞑ってくれるそうだ」


「……ごめんね、本当にありがとうね」


 これも、私ひとりではどうしようもなかったことだ。透子ちゃんのお母様は、この国でも指折りの大魔術師。きっとうまくやってくださるはず。今後お会いできることがあるかどうかはわからないけれど、手紙ででもなんでも、ちゃんとお礼を言わなければ。


「さてと、ならば。少し早いがそろそろ眠るとするかね。二人とも、気をつけて行ってきてくれたまえよ」


 透子ちゃんが明かりを消す。私を真ん中に三人で布団に入り、術具を私の枕の下に。淑乃ちゃんの手をしっかりと握り、小さく呪文をを紡いでいく。



 ◆



 ふっと目を開くとすっかり慣れた場所にいた。光も音も上下もない場所。でも今日はひとりじゃない。右手を握りしめてくれている人がいる。


「夢の中だっていうから、キラキラしてるのかと思ってたのに。なんとも夢がないわよね。暗くって上も下もわからないし……あと、この風船はなあに? 昨日はなかったわよね」


 昨日初めて練習で入ったので、二度目になる淑乃ちゃんは、やっぱりいつもの調子を崩さない。その左手には白く光る風船が握りしめられている。細い光の糸の先でポワポワと揺れる風船を、彼女は不思議そうな顔で見上げていた。


「まだここは夢とはちょっと違うところなんだよ。橋の上、とでもいえばいいかな。あ、淑乃ちゃん、それ、最後まで離さないでね。命綱みたいなものだから。そのままついてきて」


 風船は私が手を離した後、ちゃんと帰れるように持ってもらっている。泳ぎ慣れていない彼女のための浮き輪のようなものだ。私の言葉を聞いて左手にぎゅっと力を込めながらも、その顔は嬉しそうな笑顔に変わる。


「とても大事なものなのね、わかったわ。でも、風船こんなの持ってると小さい頃を思い出すわね……わがまま言ってよく買ってもらってたのよ」


「えへへ、いいね。うらやましいな」


 くすくすと笑いながら、風船を愛しそうに見つめる淑乃ちゃんは、きっとご両親から愛されて、大切に育てられたんだろう。そんな子を危ないことに巻き込んでいる。絶対に無事に帰さなければ。


 顔を見合わせ笑いあってから、私たちは動き出した。流れ星みたいな光の尾を引きながら、すごい速さで暗闇を進んでいく。


「すごい! なんだかジェットコースターみたいね! 遊園地のアトラクションみたいに、お化けとか飛び出してこないかしら!?」


「淑乃ちゃんがすごいんだよ。私ひとりだと、なんて言うのかな……ちゃぷちゃぷ泳ぐしかなくて。あと、残念だけどそういうのは出ないかな」


「なーんだ。でも、人の夢に入れるなんてすごいわよね。一体何がどうなってるのか、本当はちゃんと教えてほしいけれど」


「……ごめんね」


 これはいわゆる『秘密』に関わることだから、あまり深くは話せなかった。それでも協力してくれるなんて、本当にありがたい。淑乃ちゃんのお願いは、どんなことでも聞かなきゃと思う。


 環くんの方の夢がある方を目指して進むのと同時に、体の中に溜められるだけ彼女の魔力を溜めていく。髪の毛の一本一本までも満たしていくイメージで。無理やり他人のものを取り入れているわけだけど、力の相性がいいのか不快感はない。助かった。


 めいっぱい吸い上げたけど、力が枯れないんだから淑乃ちゃんは本当にすごい。これに自分のものを足したところで、帰りのことを考えるとあまり長くはここにいられない。でも、あの時のことを謝ってから正直な気持ちを伝えて、今の居場所を聞き出すだけならこれで十分だ。


「ねえ、向こうのほうに光が見えるわ」


 淑乃ちゃんが見つめる方向、漆黒の中に青い光の輪がくるくると回っていた。かなり近い……今日は、行ける。


「あれが夢の入り口。ありがとう、ここでいったん別れよう。淑乃ちゃんはこれ以上先に行かない方がいいから」


「……ひとりで大丈夫なの?」


「私は大丈夫だよ。淑乃ちゃんのことはその風船がちゃんと連れて帰ってくれるから。そのまま朝までゆっくり寝てね。おやすみ、また後でね」


「おやすみなさい……頑張ってね。ちゃんと帰ってきてね」


「ありがとう、がんばるね」


 無理矢理笑ってみせたけど、淑乃ちゃんの目は潤んでいた。本当は潰されそうなくらい不安なのを、きっと見抜かれているんだ。


 一緒に行けたら心強いけど、それは。細くて温かい手を一度強く握ってから離すと、淑乃ちゃんは自由になった右手を目一杯振ってくれた。そのまま風船に連れられるようにふわふわと離れていき、やがて見えなくなった。


 しんと静かな真っ暗闇に、ひとりきりになった。目を閉じているのか、開いているのかどうかもわからない場所。油断をすると闇に溶けて消えてしまう。今までだってずっとひとりだったから平気なはずなのに、なぜか急に心細くなる。


 首を振った。ここで止まっている暇はない。事前に軽く練習はしたけれど、他の人の魔力を体に溜め込んで使うなんていうのは荒技も荒技、思ったより早く息が切れてしまうかもしれない。急がなければ。


 この光の輪をくぐれば、とうとう環くんの夢の中……やっとたどり着けた。やっと環くんに会える。早く話したい、どこかに捕まってるなら、早く助けてもらわなきゃ。そんなことを考えながら、真っ白なトンネルの中を全速力で進んだ。


 すると突然、視界がひらける。目に飛び込んできたのは一面の紺青の空。私は無数の星が宝石のようにきらめく星空の中に、放り出されたみたいに浮いていた。わあ、綺麗な夢だな…………のんきにそう思った瞬間、急に重力に捕まった。


 ああなるほど、ここはちゃんと空だってことだね……それならと、ゆっくりと降りようと念じたけど、なぜか体が言うことを聞かない。


「えっ!?」


 大声で叫んでしまった。夢の中だからどうにでもなるはずなのに、入る時に勢いをつけすぎたせいなのか、淑乃ちゃんの力を使っているせいなのかなんなのか……うまくその場に止まれなかった私は、足元の綿雲に向かい真っ逆さまに落っこちてしまった。

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