第6章・別れ

第60話 今日はふたりで

 始業ギリギリの教室に飛び込む。クラスメイトに挨拶されるのに返しながら、自席にたどり着いた。


「おはよう、香坂くん」


「おはよう。身体は大丈夫?」


「あ、えっと、ありがとう。たくさん寝たから元気」


「そうか、よかった」


 隣席の珠希さんと軽いやりとりをしながら、机の中に鞄の中身を移し替える。全てを終え、ポケットの中身を渡そうとしたところで、担任の浅野先生が入室してきた。


 渡すのは後にしよう。俺が起立令の号令をかけると、朝礼が始まり、今日の連絡事項が伝えられる。


「えーと、今日は四宮さんが欠席という連絡がありました。あとは全員いますね」


 いつもギリギリに登校してくる透子。単に間に合わなかったのかと思っていたが、まさか欠席だとは……もしかして昨夜はしゃぎすぎて体調を崩してしまったのだろうか。後で連絡を入れることにする。


「次です。昨夜の肝試し大会の際、校内で不審者が目撃されました。その件で今日は魔術庁の方がお見えになられ、あちこちで調査をされることになっています。お会いした際には失礼のないようにしてください。不審者に心当たりのある人は、申し出てくださいとのことです。以上です」


 今朝の森戸さんの口ぶりでは、がここに侵入したというのはすでに噂になっているようだが、魔術庁という言葉が出てきたことに教室が大きくざわついた。


『学校に不審者が侵入してきた』場合、通常呼ばれるのは警察である。この国の魔術師を管理・統括する魔術庁から人がやってくるということは、この不審者というのが魔術師であるということを意味するからだ。


 魔術師が魔術を使って罪を犯した場合、非常に重い罰を課せられることが多いらしい。魔術は時間操作と、消えた命を甦らせる以外のことは割となんでもできてしまう技術。そのため法で厳しく縛っておかないと、魔術師がやりたい放題になってしまうためだ。


 確かに、あの男は魔術師なことに間違いない……でも……ああ、痛い。林での一件を詳しく思い出そうとすると、またもや刺すような頭痛に阻まれ、思わず頭を押さえる。ため息をつく。


 ざわめきが鎮まることのないまま朝礼は終わった。これから一時間目の化学の授業のために教室を移動しないといけない。森戸さんが立ち上がり、こちらにやってくるのが見える。しかし、教壇から降りてきた先生が先に俺たちの前に立った。


「香坂くんと本城さん。申し訳ないけど四時間目のホームルームを途中で抜けて、昨日の件に関して聴取を受けてきてもらえるかしら。時間になったら一ノ瀬先生か佐々木先生が呼びにくるわ」


「はい」


「わかりました」


 続いて浅野先生は、珠希さんの席の横に立った森戸さんの方を向く。


「あ。森戸さん。カウンセリングが今日の昼休みに変更になったんだけども」


「わかりました。部屋はいつものところでいいですか?」


 先生は頷いて教室を出た。森戸さんは、春に起こしてしまった事故がきっかけで月に一回、魔術庁から派遣されてきた専門の人からカウンセリングを受けている。ちなみに内容はそんなに堅苦しい話ではなく、様子伺いと世間話が中心らしい。


 本来なら来週のはず。しかし、今日はあっちから人が来ている、ついでになんだろうか。


「さて、急いで移動しましょ」


 森戸さんに促された俺と珠希さんは教科書を持って、三人で実験室に向かった。



 ◆



 化学、魔術基礎、古文とこなして四時間目、ホームルームの時間……今日はとうとう夏休みの課題が発表された。学校で授業を受けていた方が楽なのではないかという量に、教室のあちこちからため息と、不満の声が上がった。


 そのあとは休み中の学習計画作成をやらされる。計画なんか立ててもその通りにはなかなかいかないだろうと思いながら、課題の一覧を見て、渡されたカレンダーを適当に埋めていく。うーん、黒い。急に憂鬱になってきた。


 そう、もうすぐ夏休み。初日には紺野先生と寮の大掃除をしてから、先生の別宅で打ち上げをしようという話になっている。そして二日目の朝に実家に帰る。四週間の休みは、ほとんどを実家で過ごす予定。母親や、地元の友達に久々に会えるのは楽しみだ。


 あと十五分ほどを残したところで、教室に一ノ瀬先生がやってきた。珠希さんと二人でクラスメイトの注目を浴びながら教室を出る。


「はい。じゃあ、調査官の方のところに行きましょう」


 笑顔で言った一ノ瀬先生は、マントに隠れて目立たないものの、三角巾で右腕を吊った状態だ。それを見て、珠希さんが目を見開く。


「先生、腕、どうされたんですか?」


「ああ、昨日の夜おかしな転び方をしたでしょう、あれで鎖骨を折ってしまって。若いつもりでいても、歳なのかしらね」


「えっ!? 折れてたんですか!?」


 俺が驚くと先生は苦笑いを返してきたが、とんでもないことだ。痛そうにしているとは思っていたが、まさか。


「大変ですね……お大事にしてください」


「ありがとう。後でやよ……ああ、銀川先生に治癒術をかけてもらうことになってるから、明日には治るわ」


 一ノ瀬先生は珠希さんにそう言ってから、これは東都うちの特権ねと笑った。治癒術が使える教官がいる学校は、ここともう一箇所くらい。魔力の性質を選ぶために、使い手がかなり希少な治癒術。普通は施術を希望しても、こんなにすぐに順番が回ってくることはないのである。


「それならよかったです。あの、お大事に」


「ありがとう。香坂くんも、本城さんも大変だったわね」


 そうこうしているうちに、特別棟の第三指導室に着く。春に先生たちに取り囲まれた思い出の部屋である。今日は一ノ瀬先生、珠希さんに続いて入室する。部屋のサイズには似つかわしくないテーブル、詰め気味に並べられた椅子。今日はそこに黒いスーツにグレーのネクタイの女性が一人、そして向かいに佐々木先生の二人だけが着席していた。


 二人の先生に促され、佐々木先生の隣に珠希さん、そして俺、一ノ瀬先生の順で着席する。


「聴取を担当します、魔術庁の特別調査第三課、調査官の速水です。授業中にごめんなさいね。ご協力に感謝します」


 速水さんは椅子から立ち上がるとこちらに向かい一礼。学生相手にも関わらず丁寧な挨拶をされて、背筋が伸びた。


 何を聞かれるのだろうと身構えたが、聴取はごく簡単なものだった。偽装だろうから意味はない質問かもしれないと前置きされてから、男は知っている人かと問われた。それと、何が気がついたことがあればなんでも教えて欲しいと。


 珠希さんが首を横に振り、俺も……申し訳ないとは思いながら『肝試し用の幽霊だと思いました』『後はよくわかりません』と答えた。あれが誰だったのかを思い出そうとすると、きっとまたあの耐えがたい頭痛に襲われる。それに、思い出してしまうのが怖かった。


 その後は、相手の一撃をくらい倒れた珠希さんは、念のためにと体調を確認されていた。問題はないと改めて言われ、ほっと胸を撫で下ろす。


 四時間目終わりのチャイムを挟んで、二十分ほどで話は終わった。



 ◆



 部屋に入ったのとは逆の順で退室し、職員室に戻る一ノ瀬先生の背中を見送ったが、珠希さんが出てこない。室内に聞き耳を立てると佐々木先生と話をしているようだった。


「ああ、そうだ本城珠希。カードケースは返してもらったか?」


「はい。返してもらってます。あの、他に何か落ちてませんでしたか?」


「いいや? 他になくしたものがあるのか?」


「何もなかったならいいです。すみませんでした」


 ああそうだと、ポケットに入れたままだったもののことを思い出す。同じ場所で拾ったので、あの鏡はやはり彼女のもので間違いなさそうだ。退室してきた珠希さんは俯いてどこか暗い顔に見えたが、俺の顔を見て笑顔になってくれ、胸が高鳴る。


「香坂くん、お待たせ。教室帰ろっか……あ、今日は淑乃ちゃんいないよね」


「ああ、もうカウンセリングに行っちゃってる時間だよな」


「お昼どうしようかなあ」


 昼休みに入ってすでに十分近く経っている。いつもは三人で昼食を取り、そのまま昼休みもどこかで一緒に過ごすことが多い。


 しかし月一のこの日だけは三人バラバラだ。俺は一人で特別棟の食堂で食べて、そのまま図書館か、校舎内にある自習室で過ごす。珠希さんと二人きりになることを避けるためだったのだが、今日は勇気を出してみた。


「あの、今日は、二人で食べないか?」


「……え?」


 目を丸くされたのが、まるで困惑しているように見えた。肝試しで少し近寄れたと思ったのは俺の勘違いで、思い切りすぎたかと思ったが……珠希さんは笑顔で頷いた。


「うんうん、いいよ。どこにしようか。あ、とりあえずお昼ごはんを早く買いに行こう」


「そうだな」


 頷きあって、急ぎ足で歩き出した。初めてのことに心を浮き立たせながら。


 ◆



「わあ。綺麗なお庭なんだね。ちょっと暑いけど、来てよかったね」


「そうだな、久しぶりの外もいいな」


 売店に行き、昼食を買い特別棟の屋上に出てみた。空中庭園と名付けられ、建物の屋上ながら草花や木が植えられている場所、ここも魔術の実験と実習のために使われる。一角にある温室の中に立ち入らなければ、屋上に立ち入ること自体は自由。


 景色もいいため休み時間には学生で賑わうらしいが、日陰が小さな四阿あずまやと一本の木くらいしかないために、真夏には敬遠されるようだ。今日は他に誰もいなかった。


「ねえ、可愛い。あそこに座ろうよ」


「あ、ああ」


 珠希さんの後ろについて、小さな四阿に向かい合わせに腰掛ける。鮮やかな青に塗られたそれは、中に入ってみると想像以上に小さい。観覧車に乗ったように膝を突き合わせる形になり、まるでデートでもしているようだと心臓が勝手に跳ねる。かえって怪しいので無理に抑えることは諦めて、黙って焼きそばパンをかじりながら、もくもくとおにぎりを食べている彼女を見つめた。蝉の鳴き声だけが響く。


 本当に可愛いな。今日もこうして二人でいるのはただの偶然だが、もしも付き合うことができたら、この姿をいつでもひとりじめできるんだろうか。隣に座って、触れ合うこともできるのだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、とうとう目が合った。珠希さんは少しうつむき加減に、俺を見ている。


「どうしたの? なんだか、恥ずかしいな……」


「あ! じっ、ジロジロ見てごめん」


「……食いしん坊だから、呆れてるんだよね」


「いや、俺は、たくさん食べる子って好き……だけど」


 そう言うと、珠希さんはぷいと顔を逸らしさらにうつむいた。残っていたおにぎりを口の中に押し込んで、こちらを向かないままゴミをまとめ出す。しまった、余計なことを言ってしまったんだ。起死回生の策は見えないが、代わりにポケットの中身のことを思い出した。


「そうだ、これ昨日拾ったんだ。返すの遅くなってごめん」


 差し出した手鏡を見る目がまん丸い。やはり珠希さんの持ち物で正解だったようだ。彼女は口の中のものを飲み込み、さらにお茶を飲んでから口を開いた。


「た、香坂くんが拾ってくれたの? いつ?」


「ああ、昨日の騒ぎの前には拾ってたんだ。蛍いるかなーって言ってる時くらい。ごめん、本城さんのだって思い出すのが遅れて。前に貸してもらったのにな」


「……ありがとう……そうか。だったんだ」


 七色に光る手鏡を、差し出された小さな手に乗せる。その瞬間、光が弾けた気がした。四阿の天井や柱に色とりどりの光の粒が映り込むと、まるで万華鏡の中に閉じ込められたようだ。ただ陽の光を反射しているだけなのだが、それだけではない不思議な力を感じる。


 やはりこれはただの古い術具のレプリカなどではなく、何か効果や力を持ったものなのかもしれない。


「綺麗だな」


 幻想的な光景に呟くと、目の前にある栗色の瞳は虹色の光を吸い込んで、不思議な色に染まっている。


「あのね、ゆうべ、帰ってから何か見た?」


「…………何かって、なんだ?」


「変な、夢とか」


 俺を見つめる珠希さんは思い詰めたような顔。やはりあれは見てはいけないものだったのだ。おそらくこの鏡に見せられた、彼女の記憶。


「いや……見て、ないぞ」


 あの女の子は彼女で、夢に見た出来事も全て本当のこと……ならば、どうかこれからは、ずっとずっと幸せであってほしい。いや、俺が…………幸せに……。


「香坂くん、あのね。もしかして」


「ん?」


 珠希さんの言葉を遮るように、予鈴が鳴った。 彼女は少し思案するような表情。


「……どうした?」


「ううん! なんでもない! 教室に戻ろ」


 俺の問いかけに、いつもの笑顔が返ってきた。気にはなるが、どう問いかけたらいいのだろう。考えても思いつくこともなく、ここはおとなしく教室に戻るしかなかった。

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