6月〈2〉放課後の教室・2

「いやあ、しっかし君は面白い。人を抱えた状態で落下しながら飛行魔術を発動させ、浮上し空中で静止、そのまま正確に着陸までできるというのに。そんなことは通常、飛行の専門家でもないとできないことでござるよ。それなのに基礎基本が難しいとは……まあ、君は奇妙奇天烈摩訶不思議、常識外れの存在なのだから、多少の奇想天外なことは仕方のないことかも知れんがの」


 今日も長台詞の前半部分はまるっと聞き漏らした。透子はいつも、滑舌でも鍛えているのかと言うほどの早口なのだ。なんだろう、頭の回転が速い人間はこうなってしまうものなのだろうか。口もよく回ると言うか。


 確かに俺は世界にたったひとりだが、奇妙奇天烈摩訶不思議度合いで言えばどっこいどっこいだと思っているファンタスティック綿菓子に、奇妙奇天烈摩訶不思議呼ばわりされるとは世も末な気がする。


 言うだけ言ってケタケタと笑いながらこちらに来た透子は、やはり俺をおもちゃか何かだと思っているのか、容赦なくまとわりついてくる。シャツを引っ張ったり、ネクタイを振り回してみたり、背中を指でなぞってみたり、髪をいじったり、脇腹を突いたり、好き放題だ。


 まあ、これもいつものこと。なんだか声を出したら負けな気がして、ただ無心で耐えていた。鬱陶しいことこの上ないが、それ以上の害はないのでまあいい……よくねえよ。


「ええい! やめんか!」


 くすぐったさにいい加減耐えかねて、その体を片腕でホールドした。まるでラグビーボールを脇に抱えているような格好だ。さすがの透子もこれにはピタリと動きを止め、「あな?」と声を漏らしこちらを上目遣いで不思議そうに見つめてくる。


 ちなみに俺が透子といくら触れ合おうが、先日のように色だの恋だのという話題になることもない。おそらく、周りには『珍獣同士が戯れている』くらいにしか思われていないのだろう。確かに俺もこいつのことは、人語を解する小動物だと認識している。


「……色々と難しいことを言うじゃねえか透子。お前はまたどうせ全教科満点だったんだろ?」


「まあ無論その通りではあるが、わたしも残念ながら魔術の方は君と同じDクラスだ。ともに励もうではないか、たまきくん……ところでたまきちゃん。先ほどからまっこと静かだが、いったいどうしたのかね?」


 透子に言われて気が付いたが、本城さんは……確かにずっとそこにいるのだが、必死で存在感を消しているようにも見える。そういえば、先ほどから一言も喋っていないことに気がついた。


「みんな、賢いんだよねえ…………………」


 ゆっくりとこちらを向いた本城さんから出てきたのは、ため息のようなささやき声。その表情は、彼女にしては珍しく曇りきっていた。試験の結果が振るわなかったのだろうか。なんとか元気付けたくて言葉をかけた。


「本城さん、いつも真面目にやってるんだから、テストの結果がちょっと振るわないくらい、大丈夫だって。次、頑張れば」


「ありがと。でも、そもそも私は、この学校にどうして受かったのかわからないくらいだから。成績に関してはお察しくださいだよ……魔術だってパッとしないし。それに、サークルでだって、ほんと私って何にもできないんだなって。ダメダメ……」


 俺の下手な慰めの言葉も虚しく、本城さんはそのままぺちゃっと音を立て机に突っ伏してしまった。力及ばず。


 ……ん? もしや、サークルでも何かがあったのだろうか?


 この学校というより、魔術学校には部活動というものはない。高校の普通科目に、魔術の専門科目。びっちりと詰まったそれらをこなすことが最優先とされている。まあ、他にも色々と理由があるのだが、今回は説明を割愛する。


 とはいえ、気分転換や学生同士の交流のため、週に二回程度のサークル活動は認められている。この学校にも大小様々な公認サークルが存在しており、平日は校外に出られない寮生が特に熱心に活動している。


 先日、体育倉庫掃除の一件から良くしてもらっている、体育の伊鈴先生から運動サークルに誘われた。メンバーも歓迎してくれるということだったのだが、事情があったので丁重に断った。今日もこの後、行かなければならないところがある。ちなみに放課後のわずかな空き時間は図書館に行ったり、筋トレをしたり、敷地内をランニングして過ごしている。


 そして本城さんと森戸さんは、雪寮所属の学生で結成された『お菓子を作って食べる会』に参加している。活動内容はその名前のままだが、たまに料理も作るらしい。家庭科室または寮の共同キッチンで、放課後の限られた時間に作れるような簡単なものだけ……とは言うが、味はどれもこれも絶品だと思う。


 どうして俺が味を知っているかというと、毎回お裾分けをもらえるからだ。甘いものは好きなのでいつも楽しみにしている。


 ……なお、透子は俺と同じく無所属。いつも授業が終わると、ほんの少しだけ俺たちと雑談をしてから、あの白い車に乗って颯爽と帰っていく。お嬢様の事情はよくわからないが、放課後は色々と忙しいらしい。


「あ、そういえば透子、時間は大丈夫なのか?」


 教室の時計が、まもなく午後四時を指そうとしていることに気がついた。いつもなら、透子はとっくに教室から消えている時間だ。


「おおっ!? もうこんな時間かね。すまない、わたしはもう帰らなければ。みなのもの、また明日会おうぞ!」


「おう、また明日な」


「また明日ね」


 透子は自席に戻り、置いていた鞄を持った。


「みなのもの、ごきげんようだぞー!」


 元気よく言うと、いつものピョコピョコとした独特の走りで出て行った。この間十秒ほど。体育の時間に見ている限りでは、あまり運動は得意ではなさそうなのに、意外と素早い。


 さて、俺もそろそろここを出なければ。通学鞄の中に森戸さんから取り返した成績表を突っ込み、続けて机の中身を移し替えながら、隣の席を見た。


「今までやったことないなら仕方ないじゃない。だんだん上手になってるって先輩たちも言ってるし、気にしなくてもいいと思うけど……」


「ほんと? よかった。まだ先だけど、学校を卒業したら一人暮らしだし、早く上手になりたいな。そうだ、香坂くんは料理できたりするの?」


 思いがけず話を振られて、俺は手を止めた。


「あ? 俺? 母親が忙しい時はたまに作ってた。カレーとか、味噌汁とか、焼きそばとか野菜炒めとか。その程度だけど。お菓子は……ホットケーキくらいなら作れるかな」


「すごいね。香坂くんはほんとになんでもできるんだね……」


 別に大したことないのに。それなのに本城さんがはにかみながらそんなことを言うものだから、また体温が急上昇していく。


『すごいね』


『なんでもできるんだね』


 野郎のテンションを上げる言葉が頭の中で反響し続ける。天にも登る気持ちとはこのことで、顔がどろりと崩れかけた。慌ててバチッと頬を両手で挟む。


 俺の奇行に本城さんが目を丸くしたが、彼女にだけはこんな間抜けな顔を晒すわけにはいかないのだ。出来る限りのイケてる顔で……素材がよくないが、それでも最善を尽くさなければ。


 そうだ。別に料理ができると言っても、たいしたことなんかない。我が家は母ひとり子ひとりの家庭。なので中学に上がったくらいから、仕事の忙しい母親の助けになればと料理を覚えてたまに作っていたというだけだ。


 味はまあ、まずくはない……はず。一応、母親はいつもおいしいと言ってくれてはいた。なお、包丁使いはまだ下手なので具は基本的に全て大きめ、要するに見た目はかなり不格好ではあった。


「あらあ、お料理もできるなんて頼もしいわね」


 目の前の森戸さんがなぜかニコニコ……いや、ニヤニヤか? なんとも含みのある笑顔を浮かべている。料理の話でその顔とは、もしかしてお腹が空いているのだろうか。


 俺も、カレーという言葉を出したせいかカレーが食べたい気分になってきたが……そういえば、今日の夕飯は何だったかな?


「んふ、じゃあ、ちょうどいいじゃない。ねえ珠希さん」


 妙に嬉しそうな森戸さんが、笑い声の混ざったような声でそう言うと、本城さんの背中をポンと叩いた。


「や、やめてよ! 淑乃ちゃん! そういうこと言わないでって!」


 本城さんがそれに肩をびくりと揺らしてから、珍しく火がついたように真っ赤な顔をして叫んだ。その声に驚いたのか、まだ教室に残っていた何人かのクラスメイトがこちらに注目し、教室になんともいえない空気が流れる。


 この気まずい空気には覚えがある。俺をいまだに苦しめる、ぬいぐるみ二股事件の時と同じだ。


 ……待てよ? 正直、俺の目の前でこの二人に揉められるとかなり都合が悪い。また妙な噂が流れてしまうかもしれないからだ。ここは今度こそきちんと真意を確かめておく必要がある。


「……森戸さん、何がちょうどいいんだ?」


 割と真面目な問いかけに、森戸さんの目はさらにニヤリと細められる。なぜかほんのりと赤くなった頬、そしてまたあの緩んだ口元をしている。茶化してるのか? ほんとに、何を考えてるんだよ、この人は。


「あのねえ……たま」


 森戸さんが何かを言おうとしたそのとき、驚きの出来事が目の前で起こった。あの温厚な本城さんが、目を見開き、物凄い速さで立ち上がると、森戸さんを羽交い締めにでもするようにして口を塞いだのだ。


「むぐ!! むぐぐ!! んんんんーー!!!」


 栗色の丸い目をぎゅっと吊り上げて森戸さんを押さえつける本城さんの形相は、正直に言うと、鬼そのものだった。


 癒し系と呼んでもいい穏やかな彼女が見せた、そこそこ迫力のある姿に思わず後ずさってしまう。それに、口を塞がれた森戸さんは白目を剥きかけている。ここは修羅場か。


 へえ、本城さんの方が森戸さんよりだいぶ背が高いんだなあ……それにほんわかした彼女も、こういうふうに顔を真っ赤にして人に飛びかかることもあるのか。


 ……………あはは、怖いなあ。


 クラスメイトのひそひそ声を右から左に聞き流しながら、俺は揉み合う二人の様子を呆然と眺めた。


「淑乃ちゃん! お願いだからそれ以上は絶対にやめて! 怒るよ!?」


「むぐーーー!!」


 いや、待てよ? そもそも森戸さんは何を言おうとして、そして、なんで本城さんは怒っているんだ?


 ……もう俺には何がなんだかさっぱりわからなかった。


 結局その後、解放された森戸さんに、何が言いたかったのか聞いても、すっとぼけられるか、あるいは黙秘された。


 そして本城さんも赤い顔で下を向き、「みっともないところを見せてごめんなさい」と、かしこまって言うだけ。そして二人は、そそくさと寮へ帰ってしまった。


 さっきの事件発生寸前の様子からは打って変わって、仲良く二つ並んだ背中を、置いてけぼりの気分で見送るほかなかった。


 まあ、好きな人の意外な一面を見て驚きはしたが、本城さんもちゃんと怒れるということに少し安心した。怒りを溜め込んでしまうタイプなのではないかと、密かに心配していたからだ。


 そして俺も、とある場所に向かうために二人とは反対方向に歩き出した。昇降口とは逆方向、特別棟に向かうためである。


 渡り廊下で一度立ち止まり、空を見上げた。陽が最も長い季節になりつつあるので、夕方四時とはいえ春の昼間と大差ないくらい明るい。実はこれから一時間半ほど、俺には予定が入っている。


 ……しかし、うーん、それにしても。あれは何だったんだろうか。考えても全く答えは浮かばない。女の子というのは、俺が思っている以上に難しいものだ。


 俺はそんなことを考えながら階段を上がり、とある一室のドアを叩いた。

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