6月〈2〉放課後の教室・1

 六月、最初の月曜日。


「今日、担当の先生からも説明があったと思いますが、月曜の魔術基礎実習の授業は来週からレベル別になります。クラスの振り分け は廊下に貼り出してあるので、まだの人は確認しておいてください……では今日はここまで」


 担任から目で合図を送られたので、起立礼の号令をかけた。全員が礼をすると先生が教室から去っていき、一気に教室内の空気が緩む……はずなのだが、今日はいつもとは少し様子が違う。


 なぜならつい先ほど、中間試験の成績表が返ってきたからだ。成績表を開いたクラスメイトの反応は、ガッツポーズをしていたり、うなだれたりと様々。俺もそのまま席について背中を丸め、二つに折り畳まれた紙をそっと開けて、中身を確認して閉じた。


 結果は……一番良い数学が三位で、自信のなかった歴史は十八位……総合が十位らしい。ちなみに中学の時は、学年一位か二位しか取ったことがなかったので、この結果は少し悔しかった。


 しかし、ここは山あいの田舎にある中学ではなく、この国の最上位にあたる魔術学校である。魔術師を志すものの中でも、特に成績優秀な人間が集められるところだと思えば、かなり健闘した方かもしれない。


まあ、入学から卒業までずっと一位だったらしい母親には、『もっと頑張れー』といつもの笑顔で言われるかもしれないな……報告するのが急に憂鬱になってきた。


「ねえ、香坂くん、ひとつ尋ねたいんだけども」


 いつのまにか隣に森戸さんが立っていた。月夜の色の目が、俺を掴んで離さない。まあ、彼女が言いたいことは大体分かっている。きっと廊下に貼り出されている紙の件についてだ。


「……人を抱えて空を飛べるのに、どうしてDクラス最下位クラスなの?」


「……ハハハ。森戸淑乃くん、俺の実習での間抜けな姿を見ているだろう。あれが答えだよ」





 時を少し遡って四月の終わり頃、魔術基礎実習の授業での話をしよう。


 この日、魔術学校に入学して三週間が経った俺たちが、魔術を使う時が来た。そして、クラスメイトたちは俺の魔術を見て大いにざわつくことになる。


 おそらく、男が本当に魔術を使った! という驚きと、あと一つ。


 実習室にいるクラス全員が、机の上に木版と、ビー玉を乗せている状態。木板は春に買った学用品の一つで、大きさは大判の教科書くらいだ。表面にはまっすぐな溝とジグザグとした溝。裏面には複雑な迷路のような形の溝が彫ってある。


 指示された通り、まっすぐな溝の上にビー玉を置く。まずはこれに手を触れずに、ビー玉を動かしたり止めたりことで、魔術の発動と停止を学ぶ。魔術学校の一年生がまず取り組むものだそうだ。


「では窓際の列から。術式は教科書一七ページのものを使用します。間違いのないように」


 担当の先生と、授業の補助につく二人の先生が窓際に移動してきた。初めてだということで、五人の学生を三人の教師で見守るかっこうだ。


 それ以上の視線を感じてあたりを見ると、クラスメイトが俺に注目している気がした。廊下側の列や、教室前方の子に至っては立ち上がって、背伸びまでしてこちらを見ている。森戸さんと透子もだ。


 まあ、そりゃそうか。魔術を使えるのは本来女性のみのはずで、俺は極めて特殊な存在。ここに来てからの数日の間に、何度か魔術を使ってしまったが、それを実際に目の当たりにした人間は限られている。


『本当に?』という疑いを持っている者の方がまだ多いというわけだ。


 クラスメイトに、そして先生に注目されるのはなんとも落ち着かない。失敗してしまいそうだと思ったが、それでもやらねばと椅子に座り直し、口を引き結び背筋を伸ばす。続いて机上の教科書に目を落とす。そこに記されているのはごくごく簡単な魔術の術式。


 目の前に書いてある術式の意味を、読めない人にもわかるよう説明すると、『物体を、右から左へ移動』と言うだけのもの。作用時間も一秒ほどと短く、細かい計算もまだ必要ないため、書いてあるとおりに実行すれば失敗することもまずない……らしい。


 ビー玉をじっと見つめ全神経を集中させると、その芯がほんの一瞬だけ蒼白く光る。そこまではうまくいった。そして、俺は術式を……そこでなぜか、ビー玉がゴムボールのように跳ねた。


 俺は「わあ!?」と声を上げながら、『止まれ』と念じてみたが……ビー玉はそれを無視してそのまま高く飛んで行き、窓枠にぶつかって、カツン! と鋭い音を放った。その瞬間、誰ともつかない悲鳴が上がる。


 補助についていた先生が小声でなにかの呪文を紡いだ瞬間、今にも蛍光灯に直撃しようとしていたビー玉が直前で停止した。空中でピタリと止まったビー玉に、俺だけではなくクラス全員の目線が釘付けになっていた。


 一息おいて、全員自分の席に座りなさいと言う指示があった。クラスメイトが全員席につくと、担当の先生が何事もなかったかのように話し始めた。


「みなさん。仮に失敗をしたとしても、私たちが必ず止めますので安心してください。落ち着いて自らの内にある力と向き合いなさい。皆さんは自分の力を自覚したばかりなのですから、とにかく術式をなぞること、呪文を唱えることに集中するのですよ。それが結果的に魔術の失敗の元となる、魔力の揺らぎを抑えることにもなります」


 俺は自分のやらかしたことで両手のひらが汗でずぶ濡れになり、吐き気を催しそうなほど動揺していた。しかしやはり先生はベテランらしいだけあって、こんな事態にも落ち着き払っている。


 魔術師の証であるマントをふわりと翻しながら教卓の前に戻ると、そこに置かれた分厚いノートを何度かめくって何かを書き込み始めた。失敗をバッチリ記録されたのだと思う。


「香坂くん、緊張してたのかな? 出力は守れていたけど、ちょっと作用時間が長かったね。何かが混ざってた感じもあったかも。まあ、次はうまくやろう」


「は、はい」


 補助の先生に笑顔で声をかけられ、机上に目を落とす。ビー玉はいつのまにか目の前に戻ってきていた。おそらく、のだろう。


「その他の方はうまく行きましたね。初めてにしては上々です。では次の列」


 その後も授業は何事もなかったかのように続いたが、教科書とビー玉を交互に見ながら、自分はいったいどうしてしまったのかと密かに首を傾げていた。確かに記憶は曖昧だが、今までに何度か頭に描いた通りのことができたのに……だからこの時は、単に調子が悪かっただけだと思っていた。


 しかしこの後の授業でも、とんでもない失敗を重ねては先生に危険を察知され、発動している魔術を緊急停止させる呪文を唱えられた。時には先生すら動揺させ、座っている椅子ごとひっくり返されたこともあった……痛かった。


 そして他のクラスメイトたちは誰一人としてそんなことはなく、ほとんどの子が教科書通りにそつなくこなしていった。逆に何も起こせないやつはいたが、こんなにわかりやすい失敗を何度も重ねているのは俺一人。たったひとりだった。


 そう、魔術の実習が始まってからわかったこと。それは、俺が割ととんでもないレベルの魔術音痴だということだった。それを何とかするために、俺は今、必死なわけだが…………。





「香坂くん、成績はすごく良さそうなのにね。見せて!」


 ここに至るまでの事をの一部を振り返って頭を重くしていたが、はっと我に返った。いつのまにか、森戸さんに目の前の成績表を奪われている。


「あっやめろ、返してくれ」


「嫌よ!」


 意地悪に目を細めた森戸さんはくるりと向きを変えると、机の間を縫って廊下側の列にある自席につき、こちらに背中を向けた。中身を勝手に見ているようだ。


「ああっやっぱり! 冴えないと見せかけて実はってタイプね」


「なんだよ冴えないって! 俺はどうせ勉強しかすることのない男だよ!」


 あまりにも遠慮のない物言いをされ、闘志に火がついてしまった。俺も負けじと無防備に置かれている彼女の成績表に手を伸ばし、奪った。そのまま教室の窓側に走っていく。


「あっ! なんで取るの!?」


「仕返しだよ!」


 森戸さんは目の色を変え即座に追いかけてくる。俺の前に回り込むと、目を釣り上げてぴょんぴょんと跳ね、成績表を取り返そうとしてくる。しかし俺と彼女では身長差がかなりあるので、俺が頭上高く伸ばした手には届くはずもない。森戸さんの手は何度も空を切りつづけた。


 小柄な女子に比べれば遥かに恵まれた体格にものを言わせるなんて、我ながら意地が悪いなと思った。しかし、盗み見の報いは受けてもらう。彼女の成績表を旗のように振りながら、極悪人のようにヘヘンと笑って見せ、その高さを維持したままで少しだけ広げ中を見た。


「見ないでよお!」


「自分だけ無事でいられると思われてもなあ……おお、さすが国の特別奨学生。優秀でいらっしゃいますな」


「香坂くん、何それ嫌味? 自分の方がだいぶ上じゃない!」


 膨れた顔の森戸さんを見ると胸がすいたので、成績表を素直に返す。それと引き換えに、仕返しの仕返しのつもりか足を軽く踏まれた。……何だよ、自分が先に手を出したくせに。


 確かに彼女の言う通り、筆記試験の結果だけで言えば、俺が上ではある。しかし森戸さんは持って生まれた資質に恵まれているうえに、魔術の授業にはとても熱心だった。曰く、入学初日に事故を起こし周りに迷惑をかけたから、今後は二度とそんなことのないようにとのこと。


 その甲斐あってか、魔術の実技の成績は学年トップなのではと噂をされるほどでレベル別クラスも一番上なのだ。今や彼女は、この学校に燦然と輝く期待の星というやつである。その一方で、俺は。


「まあ、魔術音痴の俺と比べれば、森戸さんの方が総合力ではるかに勝ってるって」


「……褒め言葉と受け取ってもいいのかしら」


「……褒め言葉じゃなきゃ何だよ。ちょっとひねくれてないか?」


 そんな俺たちのやりとりを見て、透子がいつものようにケタケタと笑い声をあげていた。

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