第4章・春から夏へと
5月〈1〉形勢逆転す?
「先生。このままではまずいと思います」
「え? 何がだい?」
紺野先生は、きょとんとした顔で俺を見た。
◆
とある土曜日。休日は思い思いに過ごすことになっているので、俺は午前中から街に出ていた。本屋をぶらぶらとして、ゲームセンターなるところに初めて足を踏み入れ、少しだけゲームに挑戦した。最後にバスターミナルの横にあるコンビニに寄り、色々と目についたものを買い込んで……そしてたった今、大荷物を抱え帰寮したところだ。
部屋の隅に荷物を置いて、時計を見れば時刻は夕方の四時ちょうど。キッチンの冷蔵庫からお茶を取り出して、飲みながらふと目を落としたゴミ箱の中には………俺が先月買ってきたあのカップ麺と、もう一種類。
『爆裂!あばれ唐辛子 濃厚豚骨味』
……またこんな辛そうなのを。朝にゴミ箱は空にしたはずなので、昼とおやつに一個ずつか? それに、水切りカゴにはまだ乾き切っていない空のペットボトルが立てられている。これも朝に片付けたから……俺は腕を組んだ。そして、ノートパソコンに何かを打ち込んでいる紺野先生の背中に声をかけたと言うわけだ。
「紺野先生、コーヒーと激辛を交互っていうのは、やっぱりまずいと思います。だって、どっちも刺激物ですよね」
「ああ、大丈夫だよ。こう見えて僕は胃腸はとても丈夫なんだ」
「いや、そうじゃなくて……ハゲますよ」
横に立つ俺の方を見たままでも、よどむことなくタイピングを続けていた先生の手が突然止まった。あまりにも、あからさまだった。
「ふふ、うっ、な、き、君はまるで母や姉たちのようなことを言うんだね?」
……過去に指摘されたことがあるのか。そして、一応はそれを気にはしてるのか。ずいぶんとうろたえた様子の先生は、机の上に置いたコーヒーをすごい勢いで飲み干すと、立ち上がって早足で台所に行き、空いたペットボトルを洗い出した。
「たまたまだから。大丈夫だよ。僕はお酒もタバコもやらないし、父もそっちの方は大丈夫だし、健康診断の結果だって、まだまだ大丈夫」
水を入れキャップを閉めたペットボトルをガシャガシャと振りながら、壁に向かって言い訳めいたことを口走っているが。
……俺は知っている。
「夜中にこっそり食べてますよね……そんなの、すぐに大丈夫じゃなくなるんじゃ」
紺野先生はピタリと止まった。そして、ゆっくりとこちらを向く。その表情は、どう見ても隠し事がバレたときのそれそのものだった。
「うっ、さっ、さすが魔術師の卵。読みがなかなか鋭いね。まさか、君、また」
「いや、ゴミ当番のたびにカップ捨ててるんですから。魔術とか一切関係ないです」
断っておくが俺はいっさい魔術は使っていない。
二日に一回のゴミ当番。ここにはゴミをまとめて置いておくところがないので、裏門の近くにあるゴミの集積場にこまめに捨てに行かないといけない。俺は学校に行くついでか、放課後にランニングに出るときになんかにゴミを集めて、持っていくことにしているが。
まあ、毎回入っている、何かしら。そういうものの残骸が。
朝と夜の食事は俺と一緒、昼は特別棟の中にある、職員食堂で食べていると言っていた。毎日の帰りだっていつも俺より一時間以上遅いのだ。だからもう、答えはひとつである。
思えば、
「もう本当、気をつけてくださいよ。このままじゃ早死にしちゃいますって。俺にあれこれ言う前に……ってまた開けてる!」
先生は、いつのまにか冷蔵庫から四角いペットボトルを取り出して、キャップを開けている。待て待て、ついさっき大量に飲んでたじゃないか! 俺は陸上部で鍛えた瞬発力を存分に発揮し、それをすかさず取り上げた。
「今日これで三本目ですよね!? 飲み過ぎです! 脱水になっちゃうから、コーヒーで水分補給しちゃいけないってよく聞きますし!」
「ああっ、ダメなんだよー。飲まないとやってられないんだ。頭がぼんやりするんだよ」
「完全に大酒飲みの人のセリフですよ、それ。って、なんかまずいことになってませんか? ちょっとずつ減らしましょう! 今ならまだ間に合うかもしれませんから!」
飲まないとぼんやりするって、それはもう中毒というやつなのでは。すがり付いてくる紺野先生をいなしながら、コーヒーを冷蔵庫に入れ扉を閉めた。先生はガッカリした様子で、その場にしゃがみ込んでしまった。
「君は、お母さんみたいだねえ……いや、僕の母よりずっと厳しいよ。それに、先生は僕なのに君の方がちゃんとしているね。どっちがどっちなんだか。なさけない」
足元から、ポツリポツリとぼやきが漏れてくる。
この紺野燈という人は、朝は俺が起こさないとまず起きない。外国の人と仕事のやりとりをしているらしいので仕方ないにしても、夜も何時に寝ているのかさっぱりわからない。運動をしているところも一切見ない。掃除当番もよく忘れる。それに、一ヶ月ほど一緒に食事をしていて持ったのが、好き嫌いが多いのではないかという疑惑だ。
『
……まあ、それでも俺は、この先生を慕っているわけだが。
俺の身長をゆうに超えていても、しゃがんでしまえば小さいものだなと当たり前のことを考える。いじけてしまった子供のように黙りこくった先生に、コンビニの袋を差し出した。
「これ、お土産です」
その言葉にゆっくりと顔を上げ、袋を受け取った先生はチラリと中身を見た。そして、その夕焼け色の瞳をキラキラと輝かせ俺を見つめてくる。
「た、環くん、これ」
「新商品のコーナーにあったので。気になるかなって」
近頃はコンビニに行くと、カップ麺の新商品をしっかりチェックするようになってしまっていた。今日は久々に先生のおめがねに叶いそうな商品に遭遇したので、買ってきていたのだ。
『真紅の衝撃・トリニダードデスサンダーヌードル』
その蓋には、どう見てもヤバそうな……真っ赤でしわくちゃな唐辛子の写真が、ドクロのマークとともにあしらわれている。辛いものが苦手な俺にとっては、ただの毒物でしかなさそうな一杯だ。
「ありがとう環くん……いや、実は気になってたんだけど、毎回おつかいを頼むのは申し訳ないと思って……嬉しいな……」
紺野先生の声は少し震えていて、涙声のようにすら聞こえる。まさか、こんなに危なそうなカップ麺一個でそんなに喜んでもらえるとは思わなかった。胸がジーンと熱くなってしまい、不覚にももらい泣きをしてしまいそうになった。
「……ではさっそく、いた」
「っ!? ダメですよ!!」
すくっと立ち上がった先生にすかさずツッコミを入れ、ついでにお土産はいったん没収し、自分の机の引き出しに入れた。
お土産をぶんどられた先生は、しょんぼりとしながら自分の部屋に戻り、タイピングを再開した。時々、開け放されたふすま越しにこちらをチラチラと見てくる。奪還する機会をうかがっているのか? 油断も隙もありゃしないとはこのことである。
カップ麺を一日三個はどう考えてもダメだと思うぞ先生!
このままでは頭髪どころか生命の危機が待っている。先生が何歳かは結局まだ知らないが、まだ若そうなんだから死に急いで欲しくない。
……これは、俺がしっかりしないと。
気がつけばこの学校に入学し、ここに住むようになって一ヶ月が経った。俺は、先生に監督されるはずなのに、逆に先生を監督しているのだった。
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