第25話 五時間目_探す

「さーて、これで全員か? ありゃ、十八人しかいないなあ?」


 スタートから二十分ほど経った頃、広場にいる学生の数をふんふんふんと数えた先生が腕を組んだ。そういえば、俺にとってはおなじみの二人の顔が見えない。本城さんがあたりを見回しながら、こちらに来る。


「ねえ香坂くん。淑乃ちゃんと透子ちゃん、いないよね」


「やっぱりそうだよな?」


 透子はまあ……蝶々でも追いかけてふらりと行方不明になってしまいそうな感じだが、森戸さんはたぶんしっかりしている。


 単に走るのが遅いのか? いや、最初から歩いていた子もすでに帰ってきているので、ちょっと遅すぎる。怪我をしたとか、迷ってしまったとか。そういう不測の事態が起こったのかもしれない。


「誰がいないの?」


「……わかんない」


 耳をそば立ててみれば、クラスメイトが話しているのが聞こえてくる。クラスに二十人しかいないといっても、入学して三日目なので仕方ないこと。俺もまだ全員の顔を覚えているわけではない。


 ここは二人とそこそこ親しく、クラスの委員長でもある俺の出番だろう。挙手しながら先生の前に出た。


「先生。四宮さんと、森戸さんがいないです。俺、コースを反対周りに見てきましょうか?」


 俺の足なら軽く走って十分弱だったので、もう一周するとしてもそんな大したことではない。もう少し走りたいと思っていたくらいなので、むしろちょうどいい。


「すごいな! もうクラス全員を把握してるのか……さすが委員長。じゃあ頼もうか」


「行ってきます」


 先生は勘違いして感心していたような様子だったが、たまたまこの二人だったからというだけだ。とにかく早く探しに行かなければ。不安そうな本城さんに手を振り返し、走り出した。


 先ほど走ってきた道を逆方向に、脇道や植え込みの向こうも目で確認しながら進んでいく。木が多いあたりでは、時々足を止める必要もあった。


 探していたうちの一人は意外と近くにいたが、大きな木の陰に座り込んでいたので誰の目にもつかなかったようだ。長い黒髪をポニーテールにまとめている彼女。


「森戸さん! どうした? 具合悪いのか?」


 駆け寄って脇にしゃがみ込むと、森戸さんが答えるように顔を上げる。座っているのに肩で息をしていて、目が少し潤んでいる。まさか何かの発作とか?背筋が冷たくなる。


「ああ、香坂くん……ごめんなさい。別に大したことないんだけど、気管支がちょっと弱くて……久しぶりに走っ」


「大丈夫か!?」


 最後まで言い切れずにゴホゴホと咳き込む森戸さん。あまりにも苦しそうで、その小さな背中に手が伸びてしまった。


 ……気安く触ってしまっていることに気がついたが、ここで急に手を引っこめるのもおかしい。ああもう後はどうにでもなれと、半ばヤケクソでさすり続ける。


 いったいどのくらいの時間だったか。咳がおさまったので、すぐに手を離した。ビクビクとしながら彼女の顔を見てみる。


「……ありがと、なんだか楽になったわ」


 よかった、怒られない。ほっと息をつく。


「なんか辛そうだな。保健室行くか?」


「ううん、そこまでじゃないから大丈夫よ。ありがとう」


 森戸さんは軽く咳き込みながら、ゆっくり立ち上がった。一応、足元はしっかりしているので、歩くことに問題はなさそうだ。


 つづけて透子も探さなければいけないが、具合の悪い森戸さんと一緒には気が引ける。もし途中で何かあったら大変だ。透子のことはいったん置いておこう。あいつはこの星のどこかで強く生きているはず。


「よし。みんな待ってるから、一緒に広場に行こう」


「ええ、ごめんなさい」


 本部棟前の広場を目指して歩き出した。少し後ろを歩く森戸さんはときおり咳き込みながらなので、たまに振り返りながら、置いていかないように努めてゆっくりと。


「あのね。私……実は男が大っ嫌いなの。特に同年代の男子なんて無理で」


「ふぁっ!?」


 森戸さんの口から藪から棒に放たれた言葉に、心臓が縮み上がった。


 同年代の、男子。思いっきり自分のことを言われている。尖ったもので突然刺されたかのような衝撃を受けて、たまらず胸を押さえて立ち止まってしまう。


 そ、そう、き、嫌われていたのか。なんだろう、ちょっとは、分かり合えてたと、気が合うかもと思ってたんだけどな。そう思っていたのは俺だけだったのか。


 ショックで体温が一気に下がったような気がした。先ほどまでは心地よかった春の風がゾワゾワと身に染みてくる。森戸さんは俺の動揺になんか気がつくわけもなく続ける。


「バカなことばっかり言うから、こっちまでバカになりそうで。それに外見のことで散々からかってきて。だから中学は絶対に女子校に行くんだと思ってたんだけど、色々あって共学校になっちゃって。そこでもね、勝手にこっちを値踏みして、変なこと妄想して騒いで」


 早口で話しながらスタスタと俺を追い越し、容赦なく傷口に塩をすり込んでくる森戸さん。痛い痛い痛い。もうそこらへんで勘弁してください。そいつらに代わって俺が謝りますから!!


 いちおう口は開くが言葉が出てきてくれない。別に自分のことを言われているわけではないのだが、やや心当たりがあることも。つらくなってきて一歩も動けずにいると、森戸さんが立ち止まり、こちらを振り返った。


「だから、自分に魔術師になれる才能があってよかった! って。だって魔術学校ってようするに女子校じゃない。これでやっと解放されるって思ったんだけど」


 ……そこに俺がいたというわけですね。とうとうとどめを刺されてしまい、倒れないようにするだけで必死だった。今度は日差しがやたら目にしみ、涙が出そうになる。


「どうして男子がって思っちゃったの。わざわざ女子しかいない学校に来るなんて、ロクでもないやつに決まってるって。それでみんなに迷惑かけて……バカは私よね。香坂くんいい人なのに。本当にごめんなさい」


「いや、別にそれは……気にしてないから」


 それまでにいろいろ嫌な思いをしていたのなら、性別が同じというだけで警戒されても仕方がないかも。確かにそんなやつはいて、同性から見てもどうかと思うときもある。


「ありがとう、優しいのね」


「……め、めっそうもない」


 どうやら褒められたらしい。思いっきり落とされた後だったからか、九死に一生を得た気分だった。今度は俺の方が、森戸さんについて歩くかっこうで歩き出した。お互いに黙ったまま、十数歩。


 またも森戸さんがこちらを振り返る。陽に照らされた黒髪がキラキラと輝いて見えた。改めて見ると彼女は、テレビの中にいたっておかしくないくらいとても綺麗な人。そんな人とこうして普通に喋っているのが、本当に不思議な気分だ。


「ねえ。香坂くんって、地元に彼女さんいるのかしら?」


「…………はい?」


 あまりにも予想外で、水でもかけられた気分だった。俺の心のうちを表したように都合よく風が吹き、ざわざわと木の葉が擦れる音が聞こえる。思わず足元に落ちていた石ころを蹴った。


 だって、彼女なんかいるわけないし。


 自慢じゃないが……俺はぜんぜんモテない。生まれてこの方一度だって、女の子からバレンタインチョコをもらえたことがない。もちろん義理チョコですらも。


 二月十四日の朝に、母親がくれるたったひとつのチョコを、密かに楽しみにして生きていたような野郎なのだ。


「いいえ。残念ながら生まれてこの方、俺にそのような女性ひとは」


「ええ、うそ!? そんなに理想が高そうには見えないけど、意外ね。一体どんな子がタイプなのかしら」


 森戸さんは目を丸くしたが、どうしてそうなる? 生まれてこの方、選り好みなんかしたことない。ないもんはない、そこになければないのだ。


「俺は単に全くモテないだけです……」


「そ、そうなのね」


 ついに悲しいセリフを言わされて、心の中で泣いた。そんなことを白状させられるなんて、なんの仕打ちだ。彼女をじとっと見つめると、なぜかその綺麗な顔が赤く茹で上がっていく。不本意だが、こちらまでドキドキしてきた。


「……ところで、俺にそんなこと聞いてどうするんだ?」


「え!? べ、別に深い意味はないのよ。単にこっちの都合というか……私はもう平気だから、早く行きましょう! ね!」


 森戸さんは慌てたように踵を返し、短距離走かという勢いで走りだした。さっきまで咳をしていたのに大丈夫なんだろうか……と心配したのも一瞬、俺はあることに気づいた。


 ……彼女が走っていったのは、広場とは逆方向だ。


「ちょっと!! どこ行くんだ!?」


 つい大声が出てしまう。いったいどうしたんだよ! 急いでその背中を追いかけた。

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