第14話 未完成な、
「あ、消灯時刻、過ぎてますよね」
机の上の時計はすでに十一時半を指していた。
消灯は夜十一時だと、『寮監』の紺野先生から昼間に伝えられている。寮生活初日で破ることになってしまった。寮で騒ぎを起こして、そのうえ……俺はもう立派な問題児だ。
「今日は事情が事情だからね。ああ、の先生から伝言。魔力がほぼ空っぽだから、もし辛いと感じたら明日は休みなさいって。無理はしないようにと」
「わかりました」
入学式で紹介されたはずなのに名前を思い出せない。こんな夜遅くにわざわざ様子を見に来てくれたのだろうか。申し訳なくて、肩が落ちる。
初日から欠席はしづらいが、今は明らかに消耗しているのがわかる。寝て起きれば戻っているかもしれないが、黒髪の子とも顔を合わせないといけないと思うと気が重い。
そういえば、彼女は無事だったんだろうか。それに気掛かりなことは他にもあったが、今は頭も心も自分のことで一杯一杯だった。
騒ぎの発端がぶっ倒れてしまって、しかも出会ったばかりの先生にこんなふうに世話されてしまった。
こんなんじゃ、駄目なのに。
「こんなにも早く、君が魔術を使うのを目の当たりにできるなんてなあ」
夕焼け色の瞳は、俺のしたことに感激しているかのようにらんらんと輝いているけれど、俺はとてもじゃないけど笑顔になんかなれなかった。
「駄目です」
「ん?」
俺は降り注ぐガラスの破片を、ほんの数分、もしくはたった数十秒。宙に浮かせて落ちないようにしただけ。
たったそれだけで、俺は起き上がることすらできなくなった。それに、俺のせいで苦しむことになった黒髪の彼女には、何もできなかったから。
自分が目指しているのは、母親を助けられるような魔術師だ。だから、超えられずとも肩を並べられるようにならないといけない。
わがままを通してもらったのに、そうならなければ申し訳が立たない。こんなことで倒れていてはいけないのに。
先生は俺の様子に思うところがあったのか、目を丸めてじっと黙っている。
「せっかく無理を言って受け入れてもらえたのに、騒ぎを起こして、たったあれだけで力尽きて。きっと才能がないし、先生たちに心配かけて、手間をかけさせて」
ただ存在しているだけで後ろ指を刺されるだけではなく、誰かを苦しめてしまう。何があっても頑張ると決めたのに、ひとりぼっちだということを突きつけられて心が折れそうになった。
胸がじんわりと痛くなってくる。ついに顔を上げていられなくなって、持っていた箸を置いた。
「そんなことを思ってたのかい? 君を見守るのも支えるのも、心配するのだって僕たちの務めだ」
「それでも、すみません」
「大丈夫、謝ることはないよ。ショックだったんだろう。そうでなくても環境が大きく変わったときは、些細なことでも重くのしかかるものだからね」
優しく言葉をかけられると、こらえていた涙が落ちた。いちど決壊してしまうと、なかなか止まらない。まるで降り始めの雨のように、ぼろぼろと涙が落ちてくる。
ふと昔のことを思い出す。今でこそ違うが、身体も周りと比べると小さかったので喧嘩をすれば負けることが多かったし、父親がいないことをからかわれたりすることもあった。
人には話せない秘密があったので、友達も思うように作れず、かと言ってひとりで立ち向かう勇気もなかった。
大なり小なり悔しい思いをたくさんしては、こんなふうによく涙を流し、母親がその度に抱きしめて優しい言葉をかけてくれた。それでなんとか立ち直っていたのだ。
そんな自分が情けなくて、ひたすら勉強や運動に打ち込んだ。ある時からは身体も大きく育ったし、腕力だってついた。『たったひとり』という秘密を知っても普通に接してくれる友達も作れた。
身も心も十分に強くなれたと思っていたから、もう誰かを助けられるようになったはずで、そのためならどんなことでも頑張れると信じていたのに。入学初日に失敗をするような人間のことは、海外に渡ってまで魔術を極めてきた先生にどう映るのか。
「……すごく帰りたくなってます。そんな俺でも、頑張れば一人前になれるものでしょうか」
やっとそれだけ言葉にできて、そっと顔を上げた。紺野先生は俺の向かいで目線を落としたまま、じっと黙っている。無理だと言われそうな気がした。
「ああ、そうだ。ガラスの下にいたあの子がね、助けてくれてありがとうと伝えてくださいって。周りの学生も君のおかげで全くの無傷だったよ。僕からもありがとうと言わないとね」
「え?」
質問の答えになっていないし、先生はなぜか笑っている。騒ぎの引き金を引いたのは他ならぬ俺なのに。
もし俺が原因だと知ったら本城さんは何と思うか。やっぱり男の子はいらないと思うのではないか? そう言われることを想像すると、胸が痛くなる。
「ありがとうだなんて、俺のせいなのに」
「いや、君のせいじゃないし、みんなは君が助けた。それが事実だよ。それに、けが人が出なかったってことはね、
いつの間に取りに行ったのだろう。差し出されたタオルを受け取って、すっかり濡れた顔を拭く。
「ただ、ひとつだけ。君はまだ、何もかもが未完成だということだけは、知っておいてもらった方がいい」
「未完成……」
紺野先生は終始浮かべていた笑みを消し、手に持ったボトルの黒い水面に目を落とす。しばらくの時を置き、先生は椅子に深く掛け直すと静かに語り出した。
「君は今日、衝動のままに魔力を使った。さっきは便宜上、魔術と言ったけれど、そう呼ぶにはちょっと惜しい。不完全で未完成。『魔術のようなもの』とでも言うべきか」
先生の言葉を聞くと、まるで魔術にかけられたかのように次第に心が凪いでいく。夕焼け色の瞳がゆっくりとこちらに向く。
「魔術を学んでなくても、強く念じることでそういうものを編めてしまうこともある。まあ、あんまり良くないことだというのは、君にもわかったんじゃないかな」
先生の言うように、今は箸すらも重く感じる。身体のどこかに何かしらのダメージを受けているということは感覚でわかる。
「魔力は魔術師の命そのものと言ってもいいから、決して無駄にしてはいけない。きちんと組み立てられた術式に沿って、しっかりと計算をして、正確に魔力を操作する。なによりも自らの限界を知り、決してそれを踏み越えないようにする。自分の命を守る技術を教えるのがこの学校だ」
「え……さっき、魔力がほぼ空っぽだって」
「そう。今日の君は少し危なかった。技術がないから全力で押し通すしかなかったといったところかな。ああ、限界を超えてしまえばもう二度と目を覚ますことはできないよ。僕はもう、見たくはないかな」
そっと肩に置かれた手はとても暖かいのに、綺麗な夕焼けの色をしたその目はなんだか悲しげに揺れている気がするうえに、最後の言葉が少しひっかかる。
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