悪魔と人生のリング

物事は格闘技の様である。誰が言ったかは知らないが

好きこのんでやってる事に人生哲学めいたモノを見だすと

意味を探求する様にやりたくなるのだ。


ボクシングに例えよう。足腰がしっかりしていないと

上手く立ち回れない。すぐに疲れてしまう。

脚が止まれば生けるサンドバッグだ。


やがて力の抜き方を知る。自然な立ち振る舞いが出来る。

物事は手数であると理解すると、先手を取る為にパンチを出す。

そして曖昧なジャブから確かなストレートを打ち込める。

だけども頭をガードしてもボディブローを受けて悶絶。

残念ながら一度もダウンしない、大ダメージを貰わずして

人生のリングから降りられるワケじゃあないのだ。


人は争いごとで最も重視する事は相手をどれだけボコボコに出来るかじゃない。

どれだけダメージ、損をしないかだけに注視する。

百発殴られてやるから致命打を食らわせろと言うマゾも居なくはないが

どれだけ頭が煮えていても効率よく物事に打ち克つ。

そうやって行かないと長生きできたモノではない。

しょうもない事で苛立ち争う人間は己を見失ってるんで

ハナから地獄行き決定なのだが、これ以降はネタバレが過ぎるぜ。


だが忘れるな。一度放った拳は下げられないと言う事を。

当たり前なのだが、人を殴れば相手が死ぬと言う因果関係があるのに

ノックアウト勝ちをしなければならないと言う状況・・・

そういう時に最も強いのがどれだけ傷ついてもいいから

立ち続け、自我を張り続けられる人間だ。

そういうヤツが初めて化け物を殺せるのだ。


別に争いなんか好まなくてもいいし、なんならやらなくても良い。

しかし、悩まない人間が居るか?生きてる間何も苦しくない人間が居たとしたら

何にも抗わないで時間が止まった映画の様な人間が居たならば

それは誰かの苦しみの上に胡坐をかいて生きてる太いヤツだ。

なんかそんないけ好かないのが居てもそいつだっていつかは死ぬのだ。

特に尊いモノを見つけるわけでもなく、ただ虚しいままで・・・


強がって吠えたら多少は周りが恐れて生きやすくなるかもしれない。

そうなっちまうと人間辞めるのと変わらんのだが

死ぬまで殴り合いのリングに立ち続ける覚悟が要るぜ。

人類よ。言うほど争う必要はないから気を付けろ!


お前の人生は9回裏2アウトの野球かもしれない。

後1点取れば逆転できるサッカーの試合かも知れない。

人間は平凡に生きてる様に見えて色んなものと戦ってるらしいな?

ひょっとしたら俺様が居た魔界の様に毎日がエイリアン狩りみたいな

そんなドンパチ殺し合いの刺激的な日常の方がお好みって奴もいるかもしれないが

人間界とはとことん己との闘いだって答え。

人類よ。悩んでる者達よ。罪を犯さずに生きている事を誇りに思うが良い。

神だかジーザス様は色んなものを戒めるが

悪魔にとって人間は生きると言う観点を追究した生き物なんで

もう少し健全に長生きしてほしいとか考えちまう。

デビルセンチメンタルでは無い。デビル慈悲である。

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